永久hoursのPVを観て、Aqourとの思い出をふと思い返した。 2016,7年は過熱期だった。μ'sのファイナルライブ以降、Aqoursは単にひとつの2.5次元コンテンツである以上の眼差しを向けられつづけていて、そのお眼鏡にかなうはずもなくて、それでもAqoursとして自らの物語を必死に示し続ける姿を私は好きになった。彼女たちの姿は誤解を恐れずに言えば必死な"足搔き"だったと思うし、こういう原体験があったからこそ、それ以降の物語でも度々"足搔こう"というフレーズが登場するのだと思う。こういった過熱さは、負の方向にばかり向いていたわけでもないと、私は思っている。ライブという機会を軽視したり、…