江戸時代の武士たちは、毎日何をやって過ごしていたんでしょうか?

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

大変詳しく教えていただき、みなさん、ありがとうございました!

お礼日時:2/10 9:23

その他の回答(11件)

武士は食わねど高楊枝。働かないくせに威張っていたわけです。

偏向、偏見による受け入れ難い回答を看過できず(すみません偉そうに) 武士の名誉の為に無役の御家人から勘定奉行、外国奉行にまで栄達を遂げ交渉した相手の外国人達を感嘆せしめた川路聖謨を紹介します。 川路はもとは内藤姓で持参金付きで貧しい御家人川路家に養子に入った人です。 お役に就くため人知を越えた努力をしました。朝(というより深夜)2時、起床、読書、、。夜が明けて来ると木刀の素振り、槍の素突き2000回、 早朝から夕方まで幕府要職者宅挨拶回り、これを何年も続けました。 寺社奉行の知遇を得るためわざと屋敷の堀に落ち救助してくれた門番に毎日挨拶に行き、更にその屋敷の玄関取り次ぎの侍、更に用人とよしみを深め最終的にはついに寺社奉行との対面を果たしています。凄まじい執念と言うか涙ぐましい努力です。その間、養父は大好きな酒を絶ち、養母は毎日水ごりをしたといいます。(自伝、川路左衛門尉一代記) 役方、番方、無役と言っても個々の事情や職掌の煩瑣は様々です。とてもひとくくりに出来るものではありません。 川路は立身出世を果たしましたが日の目を見ること無く歴史に埋もれた人も多かったと思われます。