南場智子さんと共にDeNAを起業し、その後イギリスでQuipperを創業した渡辺雅之さんによる新連載。マッキンゼーを辞めてベンチャー人生を歩むよになった理由は何か。第1回は、DeNAの起業に参加した動機を語る。


 南場(智子)さんが起業するらしいと聞いたのは1999年の頭だった。

 僕がマッキンゼー・アンド・カンパニーに入社した1997年当時、南場さんは社内でも「いけいけ」のパートナーとして有名で、プロジェクトをガンガン取る指折りの実力者だった。睨まれたら終わりと噂され、我々新卒同期は戦々恐々としていた。

渡辺 雅之
(わたなべ まさゆき)

京都大学在学中から発展途上国20数カ国を渡り歩き、難民支援NPOに住み込みで長期インターンをするなど経済格差や教育問題に強い関心を持つ。卒業後マッキンゼーに入社。1999年に同僚の南場・川田によるDeNA創業に参加し、以来一貫して事業戦略、マーケティング、新規ビジネスを担当。2010年に退職し渡英。ロンドンで学習プラットフォームサービス『Quipper』を創業しCEOを務める。

 カツカツとハイヒールを高らかに鳴らし、ミニスカートで社内を闊歩する南場さんを遠目に見かけると、用事を思い出したかのようにUターンしたり、想定遭遇地点を避けるためにルートを変えたりしたものだ。

 その南場さんと一緒に仕事をするようになったのは、彼女が獲得してきたメディア企業の新規プロジェクトがきっかけだ。当時マッキンゼーでは、プロジェクト化される確度の高い案件は、社内で概要が公開され、参加したいコンサルタントは、担当パートナーに自らを売り込むことが許されていた。

 この案件に強い興味があった僕は、彼女の外出時を見計らって、内線に電話をかけた。当時のボイスメール・システムは間違えた吹き込みを自分で削除することができた。一発勝負の直接会話を避けるため留守電を選んだのだ。緊張で10回以上録音し直したことを覚えている。

 必死のアピールの甲斐あり無事配属されると、意外なことに、判断基準と進め方のルールがはっきりしている彼女の仕事スタイルは、僕にとっては至極快適だった。これを皮切りに、南場プロジェクトに呼ばれるようになり、何度か一緒に働かせてもらった。

 そのような中で聞いたのが、彼女の起業の噂だった。

 実は予兆を感じていた。というのは、数ヶ月前にあるビジネスアイデアへの意見を聞かれ、それとなく参加に興味がないかと探られたことがあったのだ。その時は、面白いとは思ったが、まだ入社して2年も経っていないしさすがに早すぎると遠まわしに断り、敬愛する上司の武運を祈った。

 僕の中で風向きが変わったのは、これまた変人として有名だった川田(尚吾)さんが、どうやら南場さんと一緒に起業するらしいという噂を聞いたときだ。入社以来、一期上の川田さんとは特に仲良くさせてもらっていた。何を聞いても目を閉じて愉悦の表情で熱っぽくプレゼンしてくれるドクター川田(博士号を持っている)は、局地的な人気者で、僕も川田フリークの1人だった。

 彼はどんな話でも、情感たっぷりに、熱く語った。物事をポジティブに見て、面白いところを見つける天才なのだろう。当時流行っていたLinuxのデュアルブートについて、おざなりの相槌しかしない僕を相手に30分以上熱く語ってくれたり、鉄道のレール規格幅の由来と長所短所について講釈をしてもらったことなどが今でも記憶に残る(内容は忘れた)。ウマがあったと思うし、兄のように、というか、近所のおじさんに懐く子供のように、川田さんを慕っていた。そのドクター川田が参加を決めたとなると、俄然話は変わってくる。