1956年(昭和31年)
前回の申年 | 前年 | 当年 | 翌年 | 次回の申年 | |
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年 | 1944年 | 1955年 | 1956年 | 1957年 | 1968年 |
干支 | 申 |
未 |
申 |
酉 |
申 |
1956年の事柄
メルボルンオリンピック、コルティナダンペッツォオリンピック開催。
もはや「戦後」ではない
7月17日、経済企画庁が経済白書を発表。文中に登場する、『もはや「戦後」ではない』というフレーズが流行語となる。同年1月10日に刊行された「文藝春秋」2月号掲載の評論『もはや「戦後」ではない』(中野好夫)を拝借したものであった。
ちなみに「これから輝かしい時代、新しい成長が始まるぞ!」という意味ではなく、「戦後の復興が一段落して経済成長のエンジンはなくなった」みたいな意味である。
コシヒカリが誕生する
戦前より進められていたコメの品種改良は、戦中戦後の食糧難に伴い国の急務となっていた。各地で品種の選抜が行われる中、1944年に収穫量が高く味も良いがいもち病に弱く倒伏しやすい「農林1号」と、いもち病に強い「農林22号」を人工交配させた「越南17号」の育成に福井県農業試験場が成功。
当初は栽培が難しいことから敬遠されたが、新潟県と千葉県で栽培奨励品種となり、1956年に農林省の試験場で育成される品種(農林○○号の通し番号がつく)として農林100号「コシヒカリ」と命名された。
新潟県では風土や気候に合わせた栽培技術が確立され、1970年代より魚沼産コシヒカリが美味い米として人気を集めるようになった。
中山グランプリ(有馬記念)が創設される
中山競馬場改修に伴い、中央競馬会理事長の有馬頼徳による発案で、野球のオールスター戦にならい「ファン投票で選ばれた馬による世代を超えた日本一決定戦」という斬新なアイデアのレース「中山グランプリ」が12月23日に実施された。会場は約2万8000人の大観衆で埋め尽くされ大人気となった。
しかし翌年の1月9日に発案者の有馬頼徳が急逝、その功績を称えて第2回から「有馬記念」と改称されて開催されるようになった。
1956年の出来事
1956年生まれの著名人
1956年に亡くなった著名人
1月31日 | A・A・ミルン(児童文学作家) |
4月2日 | 高村光太郎(詩人) |
6月25日 | 宮城道雄(筝曲家) |
6月26日 | クリフォード・ブラウン(ミュージシャン) |
8月14日 | ベルトルト・ブレヒト(劇作家) |
8月16日 | ベラ・ルゴシ(俳優) |