奄美とは、鹿児島県の
ここでは1について説明する。
概要
- 奄美大島 約6万7000人 712.21平方km
奄美諸島の中心地。奄美市、龍郷町、瀬戸内町、大和村、宇検村で構成されている。 - 喜界島 約8100人 56.86平方km
特攻隊出撃飛行場があった島。島全域が喜界町。 - 加計呂麻島 約1400人 77.39平方km
瀬戸内町。奄美大島の南西部を塞ぐようにある島。 - 請島 約150人 13.34平方km
瀬戸内町。加計呂麻島の南西の島のうち東の方。 - 与路島 約100人 9.35平方km
瀬戸内町。加計呂麻島の南西の島のうち西の方。 - 徳之島 約2万6000人 247.76平方km
徳之島町、伊仙町、天城町で構成される。泉重千代さん、本郷かまとさんといった長寿者を輩出した島。マラソン選手・高橋尚子選手が練習したという高橋尚子ロードがある。 - 沖永良部島 約1万4000人 93.65平方km
和泊町、知名町で構成される。百合の栽培で有名。 - 与論島 約5500人 20.47平方km
与論町。ビーチを巡るも良し、「与論民俗村」で奄美の民俗を知るも良し。
なお、奄美大島、加計呂麻島、請島、与路島、徳之島ではハブが生息しているので草むらなどでは注意が必要。
遅くとも15世紀から17世紀初頭までは琉球王朝の支配下だったが、1609年に樺山久高率いる島津軍によって琉球王朝は敗北し奄美地方は島津藩に併合された。廃藩置県の結果、鹿児島県の一部となる。第2次世界大戦後は沖縄と共に米軍統治下になったものの、1953年12月25日に沖縄よりも先に日本へ復帰した。しかし先行復帰により沖縄では奄美の人が外国人扱いされるなど問題も起きた(特に公務員)。
交通
海路
本土から沖縄本島へ向かう船の中には奄美の島へ寄港するものも多い。
- 奄美海運 鹿児島-喜界-名瀬(大島)-古仁屋(奄美大島)-平土野(徳之島)-知名(沖永良部島)
- マルエーフェリー / マリックスライン 鹿児島-名瀬(奄美大島)-亀徳(徳之島)-和泊(沖永良部島)-与論-本部(沖縄本島)-那覇
- マルエーフェリー 東京-志布志(鹿児島県)-名瀬(奄美大島)-那覇
- マルエーフェリー 神戸-大阪-名瀬(奄美大島)-亀徳(徳之島)-和泊(沖永良部島)-与論-那覇
- 瀬戸内町役場 古仁屋(奄美大島・瀬戸内町)~瀬相(加計呂麻島)~生間(加計呂麻島)
- 瀬戸内町役場 古仁屋(奄美大島・瀬戸内町)~請阿室(請島)~池地(請島)~与路島
空路
奄美大島、喜界島、徳之島、沖永良部島、与論島には空港があり、鹿児島・奄美大島・那覇と結ばれている便もある。