- プロ野球選手一覧 > 柳川洋平
柳川洋平(やながわ ようへい)とは、神奈川県横浜市出身の元プロ野球選手(投手)である。現在は日本海オセアンリーグ・滋賀GOブラックスの監督。
概要
滋賀GOブラックス #86 監督 |
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柳川洋平 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 神奈川県横浜市 |
生年月日 | 1986年2月25日 |
身長 体重 |
183cm 86kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 2008年育成ドラフト3位 |
引退 | 2012年 |
経歴 | |
選手歴
監督・コーチ歴
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野球選手テンプレート |
平塚学園高校で1年生エースとして活躍するが、2年夏からヘルニアなどの故障に苦しめられる。卒業後は母子家庭だったため生活のために社会人の新日本石油に進むが、ここでも肘、肩を痛め直球は120km/h台まで落ち込み、3年目で野球部から戦力外通告を受ける。
しかし野球を諦めきれず、会社を辞めクラブチームの西多摩倶楽部に移籍。故障も治り、その年の秋に巨人の入団テストを受けるが、故障歴を理由に不合格となる。もう1年だけ、と翌年BCリーグの福井ミラクルエレファンツに入団。ここで25試合169回1/3を投げ、169奪三振で最多奪三振のタイトルを獲得。
同年(2008年)の育成ドラフトで、福岡ソフトバンクホークスに指名され悲願のプロ入りを果たした。背番号は124。
育成選手ながら1年目から二軍で抑えとして起用され、17試合で6セーブを挙げるが、2年目にイップスを発症、二軍でも僅か4試合の登板に留まる。しかしこれを周囲の支えで克服し、3年目の2011年、ブライアン・ファルケンボーグの故障を受け、ファームの37試合中21試合に登板して防御率1点台のタフさと安定感を買われて支配下登録を勝ち取った。背番号は53。
支配下登録後、異例の即一軍昇格を果たす。5月22日のヤクルト戦で初登板、畠山和洋とウラディミール・バレンティンを抑えるデビューを飾った。その後は主に敗戦処理ポジションで起用されたが、チームが好調だったため登板機会自体が少なく、先発の上げ下げに伴う入れ替え要員として金無英とともに一軍と二軍の行ったり来たりが続き、一軍では8試合の登板に留まったが、防御率1.29をマーク。二軍ではチーム2位の38試合に登板し12セーブ、防御率1.88と好成績を残した。オフにはオーストラリアでのウィンターリーグに派遣される。
しかし2012年は右肘痛、股関節痛などの故障に苦しめられる。二軍でも結果を残せず、一軍登板無しに終わり、オフに戦力外通告を受けた。現役続行を目指してトライアウトを受けたがオファーは無く、現役を引退。その後、地元の横浜に戻り横浜スタジアムの内装なども手がける建設会社に就職、働きながら地元の少年野球チームの監督を務めた。
2019年から、BCリーグ・滋賀ユナイテッドベースボールクラブの育成コーチに就任。2021年からは監督に就任した。