概要
1967年にクリス・カーティスとトニー・エドワーズの二人のミュージシャンが、リッチー・ブラックモア、ジョン・ロードらに声をかけ「ラウンド・アバウト」というバンド名で結成。後にボーカルにロッド・エヴァンス、ドラマーに、イアン・ペイスが加入し、数名のメンバー交代を経て、68年3月ディープ・パープルにバンド名を変更した。
1968年、デビュー・アルバム「紫の世界(ハッシュ)」を発売。シングルカットされたタイトル、「ハッシュ」は全米4位の大ヒットを記録する。
第1期(1968年-1969年)は、ジョン・ロードが主導した、ポップ性と前衛性を兼ね備えたアート・ロック指向のバラエティに富んだ音楽性であったが、黄金期と呼ばれる第2期(1969年-1973年)より、リッチー・ブラックモア主導の強烈なハードロック路線へと変貌。絶叫系のボーカル、イアン・ギランを迎え「スモーク・オン・ザ・ウォーター」「ブラック・ナイト」「ハイウェイスター」などの定番曲を続々と発表。
第3期(1973-1975)ではイアン・ギランとベーシストのロジャー・グローヴァーが脱退。ディヴィッド・カヴァデール(リードボーカル)と、グレン・ヒューズ(ベース/バックボーカル)が新メンバーとして加入。カヴァデールのソウルフルでブルージーな歌唱と、ヒューズがもたらしたファンキーなサウンドで新境地に至り「Burn(バーン)」などの名曲を発表。第2期にも劣らない人気を博する。しかし、1975年にブラックモアが脱退しRAINBOW(レインボー)の結成に着手。ギタリストがトミー・ボーリンに交代、アルバム「カム・テイスト・ザ・バンド」を発表するが、カヴァデールとボーリンが脱退を表明。1976年12月トミー・ボーリンが死去。同年正式に解散が発表された。
1985年に第2期のメンバーで再結成。しかし1990年にイアン・ギランが脱退。かわりに元RAINBOWのジョー・リン・ターナーが加入するが、マネージメントの意向でギランが再び呼び戻される。これに不満を覚えたブラックモアが1993年に来日公演を行う直前に脱退。バンドはまたもや空中分解の危機に陥った。
ブラックモアの後任には元デキシー・ドラッグスやカンザスで活動したスティーヴ・モーズは加入した。
2002年には中心人物のジョン・ロードが体力的な関係で脱退(この頃、還暦を向えていた)。後任に元RAINBOWのドン・エイリーが加入した。