愛宕山(あたごやま)とは、
愛宕山(あたごやま)とは上方落語の演目で、物語が明白なため初心者にも入りやすく、またくすぐりの多さ、噺家の見せ場も多い噺であり、人気もさながら演じるには高い技量が求められ、これが高座で演じられれば一人前とまで言われている。桂米朝の十八番でもあり、正に名人芸である。明治の頃に東京にも輸出され、桂文楽、古今亭志ん朝などが演じているのだが、ここでは愛宕山は完全なフィクション(後述)になっている。
幇間の一八は、大坂の得意先でしくじったために、伝を頼って仲間の久七と一緒に京にやってきた。その得意先の旦那が、今日は芸者連中を連れて愛宕山で野掛け(ピクニックのようなもの)を提案する。彼は京の連中には負けんとばかり得意になって、意気揚々として登ろうとするが、思いの外愛宕山の道のりは険しく、とうとうへたり込んでしまった。
しばらく遅れて連中に追いつくと、ちょうど峠の茶店がある辺り、旦那はこの辺で休憩を取ろうという。そのとき、一八は茶店で不思議な器を目にする。それはかわらけ投げというもので、昔取った杵柄、旦那は得意になって、天人の舞、お染久松比翼投げ、獅子の洞入りといった大技を披露する。負けじと一八も真似するが、到底敵わない。
面白くない一八はムキになって「京の人間はしみったれやから、こんなもの投げて喜んでるんや。大坂のもんはお金投げたりするんや」と適当なことを口走る。すると、旦那も少し怪訝そうに「それなら、儂はこれを投げよう」と言って取り出だしたるのは、何と本物の小判。それを崖の下の松に投げつけると、胸がすうっとしたとばかり、皆を連れて帰ろうとする。
しかし、一八は勿体ないとばかり下を見つめてばかり、そして茶店から番傘を借りて徐に開き、これを使って飛び降りようとする(実際は傘がすぐ開き、全身を強く打って命に関わります。絶対に真似するなよ、絶対だぞ!)。後込みする一八に対し、旦那はお供の久七を呼び出し、後ろを衝いてやれと一言。すると彼は一八に「飛びたいなら飛べ!」と言って、彼を突き飛ばしてしまった。こうして、傘は開き、崖に舞い降りていく一八…。
しばらくして、一八が目を覚ますと、上から旦那や芸者の呼び声がする。彼はあまりに突然の出来事に意識朦朧としていたが、小判のことを思い出すや、一目散に動き回り、掻き集めた。締めて20枚、すっかりホクホク顔の彼だが、上に戻る手段がない。困り果てた一八だが、流石は幇間、着ていた襦袢の糸をほぐし、撚って長い縄を作り、それを木に引っかけ、木を撓ませ、その反動で飛び上がる。そして元の場所に降り立ち、「旦那さん、只今」と告げるのだ。驚く旦那だが、小判はどうした?と訊ねる。ハッとした一八が一言
「忘れてきた」
この噺はあくまでフィクションであり、実際の愛宕山の風景とは大きく異なる。桂米朝は師匠から「本物の愛宕山登ったら、この噺演じられんようになる」と教わったほど。しかし、かわらけ投げができる場所は、この落語の影響かは知らないが、実在していた(今は、愛宕山でこそはできないが、神護寺や比叡山延暦寺などで遊ぶことができる)。
まして、江戸には愛宕山と呼ばれる山は歴史上存在しない。したがって、桜の名所でもあった飛鳥山、あるいは少し遠いが高尾山あたりをモデルに語っている。
また、一括りに上方落語といっても、江戸の頃には京を中心とした京落語と大坂を中心とした大坂落語があったらしく、この作品は京の旦那衆目線で、大坂の幇間を道化役として扱っていることから、元々は京落語であった可能性がある。
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最終更新:2025/01/27(月) 02:00
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