ヒッチコック本人がナビゲートするスタイルで、「白い恐怖」「めまい」「北北西に進路を取れ」「サイコ」といった代表作の名シーンを解説するほか、現在日本では視聴が困難な「快楽の園」「ダウンヒル」など初期作品の本編フッテージも使用しながら、ヒッチコックの演出テクニックを視覚的に解き明かしていく。監督・脚本を手がけたマーク・カズンズと日本を代表するドキュメント作家、原一男との対談の一部を映画.comが入手した。
原監督:私は試写会で作品をみたんだけれど、早速質問してもよいですか?この映画のタイトルを見た時に、トリュフォーがヒッチコックにインタビューした分厚い本(「映画術 ヒッチコック トリュフォー」<晶文社>)を思い出して、その本をベースに映画化したものだと勝手に思っていたの。
カズンズ:「
ヒッチコックの映画術」というのは日本用のタイトルなんです。ヒッチコックほど有名な監督を題材にする場合、繰り返したくはないわけで、やはり新しいアプローチというのを模索しました。なので、トリュフォーの切り口を踏襲しない。むしろヒッチコックが死から蘇った形で21世紀の我々に対して語りかける。昔の映画作家や作品だと思われているかもしれないけれど、今日にも非常に通じるテーマであり映画なのだということを知ってほしかったんです。
原:今回のこの映画をつくる時に、このトリュフォーの映画術を日本語でいうと乗り越えるという、これよりもっといいものを作ろうと思ったんだよね?
カズンズ:イエス!
原:そうだよね(笑顔)
カズンズ:これがこの作品について最初に書き留めたメモです。映画の章立てにもなっている「孤独」や「逃避」といったテーマだけが書かれています。なにか新しいものを届けなくてはという思いがあるので、超えなくては、よりよいものを作らなきゃという覚悟はあります。そのためには、通常ヒッチコックについて掘り下げられるテーマ以外のものを触れたいなと思って書き留めたのがこのメモです。これが脚本のベースになりました。
原:トリュフォーの本を読む時、映画を勉強したいと思って読んでいるから。なにを学んだかというとつまり、技術的なことが書いてあるでしょ。あの本は、撮影技法のことがわりと中心で。
カズンズ:イエス!
原:カズンズ監督の作品は、技術の問題ではなくて思想とか、彼のバックボーンについて掘り下げるというスタイルになっているでしょ。
カズンズ:実はこの映画はコロナ禍で製作された映画なんですね。コロナ禍では特にロックダウンされて、自宅に隔離されている時、誰もが孤独や悲しみを感じたんだと思う。その中で観たヒッチコック作品にはすごく人間性を感じたんですね。なので、この作品ではより人間ヒッチコックというのをより描かれているのかなと自負しています。
原:そうだよね。
カズンズ:アメリカでは技術的に優れたエンタティーナーとして捉われることが多いかれど、パンデミックという特殊な環境の中で観たというのもあると思いますが、彼のあたたかみとか人間性とかをあらためて感じたので、それはコロナ禍を経て生まれた作品になっていると思います。
原:これを文字化するというプログラムはあるのですか? 勉強するなら文字の方がわかりやすいでしょ?
カズンズ:自分自身はどちらかというと映像の方が響くタイプで、毎日撮影をしているし、監督と同じように撮影することが大好きなんです。本は世の中に溢れているし、僕個人的に映像や映画の方が生きているって感じるんですよね。この作品は今は書籍にする予定はないです。
原:そうなんだね。そうすると我々観客としては、映像を何度も見直さなきゃいけないということになりますね(笑)
カズンズ:イエース! ゆきゆきてと同じです! 5年ごとに見直していかなきゃいけない作品です。
原:彼は作品に関する考察をずっと続けているでしょ。映画以外のサブジェクトに関心をもって映像作品をつくるってこともやっているんですか?
カズンズ:はい、作っています。例えば前作はイタリアで制作したもので、ファシズムの台頭、ムッソリーニに関する映画を作りました。あと、僕は物理学を専攻していたんです。そういう背景もあってアトミックというタイトルの作品も作っています。原子爆弾というより原子爆弾を開発していた時代を描いたものになる予定です。あと、ずっと前からホロコーストに関する映画をつくりたいと思っていました。ナチズムをテーマに。ただ、「
ゆきゆきて、神軍」を拝見し、まったくプランを変えました。それまではホロコーストの生存者たちにフォーカスしようと思っていたんですけれど、「
ゆきゆきて、神軍」を観た後はネオナチ自身を撮ろうと、ホロコーストを否定しているネオナチ自身を撮るために潜入捜査をして制作した作品です。
原:あーそう!
カズンズ:同じです。直接対決といったらいいんでしょうか?これも「
ゆきゆきて、神軍」に影響を受けている部分なんですが、その作品では嘘をつきました。ネオナチの方にその国士主義の映画を作っているんだと言って、アウシュビッツに連れて行ったんです。彼らはもともと収容所自体を否定しているわけなんだけど、連れて行ったんです。本人に直接会って撮影した時は非常に緊張しました。この作品を作っている時は朝、具合が悪くなって吐いてしまったり。映画を作るためには、時には自分が恐怖するゾーンに踏み入らなければいけない。ということを監督から学びました。映画作りってそういうものではありませんか?
原:そういうもんだよね。カズンズさんは映画の研究者なんで小津の映画も詳しいでしょ?
カズンズ:お見せしたいものがあります。<「
小津安二郎」と書かれたTシャツを着て見せる>
一同:笑
原:私は一貫してドキュメンタリーを作ってきたんだけど、新しい作品を作る時は今回のこの作品は、この作品を超えてみせるという目標に設定する映画があるんだけど、「
水俣曼荼羅」(21)は、ドキュメンタリーの描き方のなかでドラマやエンターテイメントの作り方を盛り込んで、劇映画以上の面白いドキュメンタリーを作ろうと常々思っていて、今回の「
水俣曼荼羅」を作るにあたって目標にしたのは小津の映画なの。日本のお客さんに私が言ってもね、わかったようなわからないような顔をする人が多いので、ぜひ「
水俣曼荼羅」を分析してどう小津を乗り越えたか分析してくれたらうれしいな。
カズンズ:もちろん!原監督をたくさんフューチャーさせてもらっている私の本の中で、小津監督が実は映画史の中心にいるのではないかと僕は言ったんですね。ヨーロッパではいろいろ反論もあったのですが。
カズンズ:若い人にワクワクして見てもらいたいと思った時に、ファーストコンタクトは東京物語じゃないと思うんですよね。「
長屋紳士録」とか「大人の見る繪本 生れてはみたけれど」とかがいいんじゃないかと。映画というドラッグの味見をしてみないか?という意味ではこの二作が良いと思います。ドキュメンタリーの場合、若い人にワクワクしてもらうために生命感(バイタリティ)を感じてもらうためにもちろん「
ゆきゆきて、神軍」を薦めています。
キアヌ・リーブスに「
ゆきゆきて、神軍」を見せたら「Holy Shit!(こりゃすげえ!)」という反応でした。バイタリティってすごく大切なことで、生命感に溢れた作品をつくるべきだと僕は思うんです。ドキュメンタリーの多くは結構フラットだったり学術的に寄りすぎていたりする気がします。
(以下全文は『ヒッチコックの映画術』劇場パンフレットに掲載)