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アー君

ナミビアの砂漠のアー君のレビュー・感想・評価

ナミビアの砂漠(2024年製作の映画)
3.3
カンヌ映画祭で国際映画批評家連盟賞を受賞した話題作をやっと鑑賞することができた。(間違えてレビューが半分以上が消えてしまって書き直し。)

【↓以下ネタバレがございます↓】

奔放でありながらも虚無的に生きる主人公カナは、現在の病んだ若者が抱える閉塞感にはとても衝撃を受けた。

冒頭の親友からの死の話よりも、隣の話が気になってしまう共感性ゼロの主観的な演出に、鑑賞者側へ共感をもたらす方法は良く出来ていた。(逆にノーパンしゃぶしゃぶの話をしても上の空だろう。)

時折センシティブな問題を取り扱っていたが、異性の身勝手な行為、最近の映画業界の性加害問題に対してのメッセージであろう。性格が正反対のハヤシとホンダに対してのカナの二面性のようでありながらも、どこかなぞってしまう異性関係にもみえた。それは男性不信よりも父性に対しての存在感の希薄と嫌悪がみられる。

路上で泣き出す場面で男のくせにという印象もあるだろうが、昔のフランス映画でジャン・マレー?(たぶん)が大泣きしているのをみて、男であろうと泣きたい時に素直に泣くのは構わないのかなとは思ってはいた。

帰国子女である自身のアイデンティティとは自分とは何者であるか、箱庭療法で作った大きな樹木は、月並みではあるが疎外感や孤独の象徴であり、良い意味では芯が強く成長過程でもあるのではないか。

物語の途中からカナ自身の客観性を得ようとしているが、これは監督自身の主人公への投影でもあり、映画自体が箱庭的世界であり、無限に増殖された合わせ鏡のようでもあった。

「パリ13区」(2021年)や「ウィークエンド」(1967年)などのヌーヴェルヴァーグに影響を受けているらしく肌感覚にはなるが、カナとハヤシ、ホンダの極端すぎる主従関係はファスビンダー「ペトラ・フォン・カントの苦い涙」のペトラ、カリン、そして従属的なスタッフであるマレーネのキャステイングが下地になっているようにも感じた。

父親役を演じた元パワーズの堀部氏のマルチな演技が光っていた。

画角のサイズや中盤でタイトルを入れるあたりは、今の今を意識しすぎで気負いを感じてしまうところは多々あったが、それでも20代が作ったとは感じられない全体的なクオリティの高さは認めざるを得ないだろう。これから新作を作り続けることで、本作が過去の遺物として上書きをせずに今の感性を絶対に忘れることなく大事にして欲しい。

パンフレットは205×200のほぼ正方形に近い中綴じ仕様。デザイン処理として文章を斜めにしたテキストブロックは可読性を考慮すれば若干走りすぎている印象もあるが、中面はコート紙で表紙はマット仕様で手触りに不思議なほど感触が残る。

[新宿シネマカリテ 12:40〜]
アー君

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