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未来社会の道しるべ

新しい社会を切り開く視点の提供

バリバラを語らせろ

私には得意な人がいます。得意とは、「つきあいやすい」「話しやすい」「一緒に物事を進めやすい」くらいの意味です。たとえば、「倫理観に優れた人」「頭のいい人」「優しい人」は得意です。もっとも、それらの人は、私に限らず、誰でも得意だと思います。私に特徴的だと思うのは、「不幸な人」「少数派の人」「海外に関わりのある人」が得意な点です。「不幸な人」「少数派の人」と関連もしますが、障害者も得意です。

私は医療職に就いているので、障害者には頻繁に会います。私は普通に接しているつもりなのですが、私以外の医療職の人たちより桁違いに適切に対応している時がよくあるようで、障害者に私の予想外に感謝されたことが何度もあります。

そんな私だからでしょう。私の「すごいテレビ番組ランキング」の第一位はNHK教育のバリバラです。ただし、そのランキングでは20年以上も「進め、電波少年」が不動の首位だったので、一位だから名誉とは言えないかもしれません。

Wikipediaによると、バリバラは「日本初の障害者のためのバラエティ番組」と紹介されていますが、世界初なのではないでしょうか。もし海外にこんなすごい番組があるのなら、ぜひ下の「コメントを書く」で教えてもらえると助かります。

大変残念なことに、バリバラが放送された頃から現在まで、私の家にテレビはありません。だから、バリバラも友だちの家にいったときに観た時があるくらいです。番組を最初から最後まで観たことは、記憶する限り、1回しかありません。

その1回のバリバラでも私が何年も忘れられない企画がありました。片足を失った女性が脚マッサージ屋に行って、「片足しかないので半額でお願いします」と要求するのです。常識で考えて「お値段は変わりません」と即答すると思いますが、なぜか受付は上司に確認して「そういった対応はしておりません」と答えていました。すると、今度はもう一人片足の女性を連れてきて、「これで両脚になったので、1人分の料金でお願いします」と要求しました。これも受付は上司に確認していました。これらは隠し撮りだったので、カメラがあるから、この脚マッサージ店がこんな優しい対応をしていたわけでないようです。もっとも、NHKがヤラセをしていた可能性も否定できません。

バリバラはこれまで何度も炎上事件を起こしています。たとえば、「桜を見る会」を障害者たちが演じるパロディでは「アブナイゾウ首相」と「無愛想太郎副総理」が出てしまいます。「安倍晋三」と「麻生太郎」を茶化した呼び方ですが、侮辱ととられても仕方ないので、当然ながら炎上します。「健常者がやっていれば炎上しなかった。これで炎上したのは障害者差別だ」という意見もあった一方で、「健常者がやっていればもっと炎上していた。障害者だから、あの程度で済んでいた」という意見もありました。

こういった議論は、「社会的弱者」ではよくあることです。浮気報道でも「同じことを男性がすれば問題にならない。女性だから問題になった」といった意見は朝日新聞で頻出しますが、「同じことを男性がすればもっと問題になった。女性だから、あの程度で済んだ」という意見も必ずあります。

そういった問題も含めて、バリバラは社会の問題を際立たせていると感じます。一般社会でも「これはかわいい女性だから許されているだけだ。そうでない女性や男性がすれば非難ごうごうだ」という問題はありますが、バリバラではそれが目立つように私は思います。一般社会でも「当事者だけど、よく分かっていないな」という問題もありますが、バリバラだと「障害者だけど、障害者のことよく分かっていないな」という問題が目立ちます。

たとえば、はっきり言って、バリバラのご意見番の玉木幸則の人間観と社会観はひどいです。玉木にその自覚がないことも私を苛立たせます。

とはいえ、それを含めても、バリバラはすごいと思います。バリバラのご意見番でなければ、私は玉木の人間観と社会観をこのブログで堂々と批判しなかったでしょう。「確かに、この障害者の人間観と社会観はひどいが、それは本人の責任とは必ずしもいえない」などと考えて、批判もしなかった、あるいは批判できなかったと思います。

バリバラが批判する感動ポルノと比べると、バリバラは障害者の真の姿を示していることは間違いありません。誰もが助けたくなる障害者ではなく、誰もが助けたくない(と思うだろう)障害者もたくさん出てきます。誰もが助けたくない障害者がどれくらいの割合でいるのかは私も予想がつきませんが、誰もが助けたくない健常者の割合よりは少なくあるべきでしょう。

障害者の権利に関する条約では、障害者が他の者と平等に人権や自由を行使できるようにするため、必要な配慮を行うことを求めています。この配慮を「合理的配慮」と呼び、条約では「合理的配慮」をしないことは差別とされています。合理的配慮がいかなる範囲かつ内容で実現されるかについては各国の裁量にゆだねられており、様々な要素を総合的に勘案して、個々の事案に即して判断されるべきものです。

というわけで、障害者の合理的配慮は簡単に決められませんが、完全に決められないものでもありません。たとえば、上記の片脚マッサージも、「片脚であれば料金は通常の3分の2,かける時間も3分の2が妥当」などと、いずれ「合理的配慮」が決まってくるのではないでしょうか。問題なのは、「片脚ならば脚マッサージは受けられない」「片脚ならば半額と無理難題言う客はお断りだ」と一切拒否すること、あるいは片脚の人たちが「片脚で脚マッサージ行ったらトラブルになるだろうから、行くのはやめておこう」となにもしないことではないでしょうか。そうなれば、いつまでも「合理的配慮」が決まらず、健常者と障害者の分断も続きます。もし私が「片脚だから半額にしてくれ」と言われたら、「うーん。それは難しいと思います。大学の授業料だって、半期だったら半額になるわけではないですよね。3分の2ではどうでしょうか」などと提案しているでしょう。

こんなことを考えられたのも、バリバラのおかげです。

孫文の虚像

孫文といえば、台湾だけでなく中国でも、「国父」として神格化された存在です。しかし、その実像は、中国人はもちろん、台湾人ですら、ろくに知られていません。

孫文」(深町英夫著、岩波新書)によると、孫文の絶頂期は1912年1月1日の辛亥革命時の臨時大総統就任の宣誓式です。しかし、辛亥革命、あるいは武昌蜂起は孫文が主導したものではありません。武昌蜂起当時、孫文アメリカにいたので、主導どころか、参加もしていません。

辛亥革命は、四千年以上続いた中国の君主制を廃止させたので、文字通りに革命的事件です。ただし、帝政廃止、共和制国家設立は、孫文が帰国する前に決まっていたことで、辛亥革命での孫文の功績はわずかです。

革命後も、中華民国臨時政府が存在していたのは1913年10月10日までで、2年未満で潰えています。そのうち、孫文が臨時大総統に就いていたのは1912年2月14日までと、わずか2ヶ月未満です。もっといえば、孫文は1913年8月8日には日本に亡命、つまり逃げています。以後、3年間、孫文は日本で過ごしますが、自己への絶対服従を仲間に要求したため、護国戦争では蚊帳の外に置かれました。

1917年から孫文は南部(広東)を中心に勢力を広げますが、軍閥をうまく操れず、北伐の途中、「革命いまだ成らず」の言葉を残して、1925年に亡くなります。

大局的に見れば、孫文は1912年の帝政廃止から1949年の中国統一までの激動の時代に活躍した無数の革命家たちの一人に過ぎません。孫文より知性の高い革命家も、孫文より政策実現能力が高い革命家もいたに違いありません。しかし、この激動の時代の中で、過去も現在も、孫文より人気のある革命家はいませんでした。

辛亥革命の初期の段階、1911年11月で既に有名無名の多くの中国人が、なぜか「大総統になるのは孫文しかない」と考えていました。同年12月29日の臨時大総統選挙でも、孫文は各省17票中16票を集め、圧勝しています。

なぜ辛亥革命時に、孫文がここまで神格化されてしまったのか、私には謎です。もしこの疑問に答えられる方がいたら、下の「コメントを書く」に情報源とともに記入をお願いします。

現在だったら、一発で政治生命が終わる孫文の女性スキャンダルを次に書きます。

孫文は中国に妻がいるにもかかわらず、1902年に亡命中の日本で大山薫と結婚し、その他に日本人の愛人まで作って、常に同伴させていました。さらにいえば、大山薫を妊娠させたものの、出産前に孫文は帰国し、母子のためにお金も送付しませんでした。もし現在の中国の有力政治家がこんな過去を持っていたら、大スキャンダルで、死後も批判され続けるに違いありません。付け加えておくと、1913年に日本に再亡命した後、結婚したはずの大山薫には一切合わず、孫文浙江財閥宋慶齢と結婚しています。

私が孫文により失望したのは、宮崎滔天頭山満という怪しい人物と親しすぎることです。こんな胡散臭い日本人と仲良しなら、少なくとも現在の価値観だと、評価は低くなるはずです。

日本で孫文の評価が高いのはまだ分かるにしても、台湾、まして中国で孫文がいまだ神格化されていることは、滑稽としか思えません。

立花孝志は南あわじ市長選挙で落選する

日本が負けるに違いない太平洋戦争を始めた本質的理由、あるいは日本が第二次大戦で負けた本質的原因」などの100年たっても忘れるべきでない事件を論じているのに、1年後には忘れられていい事件を論じたくないのですが、既に「斎藤前兵庫県知事の大逆転勝利後」を書いたので、ついでに予想しておきます。

2025年1月の南あわじ市長選挙に、お騒がせyou tuberの立花孝志が立候補するらしいですが、まず落選するでしょう。「南あわじをドバイにしたい」は比喩だから、まだいいとしても、「ふるさと納税を10倍にする」「関空と洲本(淡路島の一部)を海路で結んで外国人観光客の増大」など、実現できるわけがありません。

さらには、ゴルフ場の拡張、和歌山県と淡路島を結ぶ橋の建設など、発想が昭和で、古すぎます。こんなことを実現させたら、借金に苦しんで、「地域活性の起爆剤が反対の意味で起爆してしまう」ことは確実です。

そもそも、日本の過疎地域の活性化など、市長一人の力でどうにかなる問題ではありません。日本の衰退はどんなに優秀な政治家がどんなに頑張っても止められません。せいぜい、衰退スピードを緩くするくらいです。「人口減少の深刻さ」に私が書いた通りです。

それにしても、上記のような政策を聞いた時点で、「立花孝志は所詮お騒がせyou tuberに過ぎなかった」「そんなの政策、実現できませんよ。議論するのもバカらしい」と誰もが考えると思いましたが、この文芸春秋電子版動画では、2人の「ジャーナリスト」が立花孝志の大言壮語を素直に聞いています。

もっとも、ここでは立花の落選を予想しましたが、立花のプロパガンダが功を奏して、当選する可能性もあるでしょう。さらに言えば、ゴルフ場の拡張などで、ゴルフ場利用者が増えた程度で、拡張費用まで考えれば成功とは必ずしも言えないのに、「成功」と立花が言い出す可能性はあるでしょう。そうなると、日本の衆愚政治もさらに悪化していくことになります。

「斎藤知事のパワハラ調査は、また聞き情報がほとんど。実際に目撃した情報はわずか」「西播磨元県民局長が自殺した理由に不倫疑惑があるとマスコミは知っていながら、全く報道しない」などの本質的な情報を広め、立花たった一人でマスコミの斎藤バッシングを覆しました。だからこそ、「持続可能性を考え、コンパクトシティを目指すべき」「人口減少が続く限り持続不可能なので、外国人労働者を積極的に受け入れよう」「それでも人口減少は続くので、未婚税と少子税と子ども補助金を導入しよう」「南あわじ市だけで未婚税と少子税と子ども補助金を導入したら、他の市に若い女性が逃げられるだけだから、日本全体で実施してもらうようにしよう」などど、市民が受け入れたくないが、必要な政策を立花には訴えてほしかったです。

 

11月27日追記:さすが、というか、やっぱり、というか、立花孝志は予想不可能で、南あわじ市長選の前に大阪府泉大津市長選挙に立候補するようです。立花の行動は泉大津市は立花の出身地らしいですが、それ以上に重要な理由は単純に選挙日が近いからです。調べてみたら、泉大津市長の任期満了に伴う選挙で、その現職が似非科学を根拠とする新型コロナワクチン反対派なので、これは立花が勝つ可能性も十分ありそうです。立花が泉大津市長になったら、南あわじ市長選挙は立花が推す別の候補を出すそうです。(泉大津市長選で負けた)立花が出るにせよ、立花の推す候補が出るにしろ、南あわじ市長選では現職に負けるでしょう。なぜなら、南あわじ市長の現職は東大卒の元経済産業省官僚だからです。

官民ファンドの失敗

今朝の朝日新聞からの引用です。

 

官民ファンドは、民間企業だけではリスクが高くて手が出せない投資を支援する。官民が共同で出資し、「民間主導で投資案件の目利きを行う」とされる。

内閣官房が点検の対象とする官民ファンドは昨年3月末時点で14ある。この中核を占めるのが、投資の終了後に国に資金を返済することを前提とする「財政投融資」を元手とする8ファンドで、その出資状況を調べた。

8ファンドは、2009~22年に設立された。ともに経済産業省が所管する「産業革新投資機構」(JIC)と「海外需要開拓支援機構」(クールジャパン機構、CJ)を除く六つは、国と企業の折半出資だった。

政府は国の出資比率の上限を定めていない。ただ、財務省幹部によると、「官民」という建前から、多くが国と企業が折半で設立された。CJも、設立時に財政投融資を要求した際に、「民間からの出資については、政府出資と同額程度を期待」と説明していた。

ところが、昨年度末時点では、8ファンドの国の出資の平均は80.2%まで高まっている。折半出資だった6ファンドのうち、五つで国の出資比率が上昇し、「海外交通・都市開発事業支援機構」(JOIN)、「農林漁業成長産業化支援機構」(A―FIVE)、「海外通信・放送・郵便事業支援機構」(JICT)は9割を超えた。

ただ、国の出資が9割を超すファンドのほとんどは100億円を超える累積赤字を抱え、経営の手直しが急務になっている。

官民ファンド

官民ファンドと言いながら、ほとんど純官ファンドです。

それはそうでしょう。これら官民ファンドの第一目的は、利益を出すことではなく、お金を使うことです。利益が出ないなら、お金が減るだけのファンドなら、誰も出したいお金などありません。例外は、自分のものでないお金(税金)です。朝日新聞の引用を続けます。

 

ファンドの多くは、積極財政が持論だった安倍晋三政権下の13~15年に設立された。財務省で予算を担当する主計局は、予算の膨張で、財政が悪化することを恐れていた。

そこで目を付けたのが財投だった。各省庁や自民党族議員から求められた企業支援を、財投を原資にしたファンドで行えば、その分予算の膨張を抑えることができるからだ。

 

積極財政とは、バラマキ政治とほぼ同義です。安倍政権は、バラマキ政治で「好景気」を無理やり作り出し、ツケ(借金)を後の世代に回しました。財投とは財政投融資の略で、もう一つの国債(国の借金)と考えても、そう間違っていません。

官民ファンドの役員に、官僚たちが天下っているのは言うまでもありません。バラマキ政治が行われると、新しい公的機関ができて、官僚たちの天下り先(再就職先)が増えて、国の借金がうなぎ上りになるのは、天皇制と並ぶ日本の金城湯池です。この鉄壁の既得権益を崩すことは、憲法改正以上に難しいでしょう。

そういえば、「ガソリン価格減額補助金3兆円は博報堂が分配」で莫大な税金の不正支出批判記事を去年に書きましたが、正直にいえば、私自身、そのことを忘れていました。

このような莫大な税金の無駄使い報道がろくに注目も批判もされず、黙認され続けるのは、なぜなのでしょうか。10年以上解けない日本の謎の一つです。

斎藤前兵庫県知事の大逆転勝利後

斎藤前兵庫県知事に対する県職員のアンケートには次のような内容がありました。

 

「知事がイベントや視察に行くときは、個室の控室が必要。控室には鏡も必須」

「牡蠣の養殖場視察には、船室付きの船を用意」

「現場視察には、必ずマスコミを呼べ」

「マスコミが来ない時には、動画と写真を撮れ」

「知事が使う鉛筆の芯は尖り過ぎてはいけない。丸くしたものを机に置く」

「車のドアは職員が開ける」

「海づくり大会のポロシャツのサイズはM」

「視察の際の知事の荷物は、事前に職員に運ばせる」

「着替えのシャツは、しわになるのでカバンには入れない」

「イベントや出張時、知事は歩かない」

「20メートル歩くと激怒」

「会議の際、激高すると必ず机をたたく」

「知事が乗るタイミングでエレベーターが来るようにする」

「広報物には必ず知事の写真を載せる」

「職員がテレビ取材を受けてはいけない。必ず怒られる」

 

当然ながら、この斎藤はパワハラ知事としてマスコミに罵倒され、疑惑を懸命に否定したものの、県議員たちに満場一致で不信任案を決議され、辞任せざるを得なくなりました。東大卒で元総務省官僚の斎藤に対する罵詈雑言の一つを下に記録しておきます。

 

この知事、子供の頃から「元彦ちゃんはお勉強だけ頑張ってくれたら、あとはなんでもしますからね。テストの成績がよかったらなんでも買ってあげるし。疲れてお勉強できないと困るから歩かなくてもよいですからねー」って感じで育ったんでしょうね。いい歳して周りの職員さんたちに対する怒り方や威張り方がもう幼稚な小学生レベル。まだ知事を続けたいと言っているのが究極のワガママですね。「ヤダヤダ!絶対に知事やめないもんね!!」 大人は付き合いきれません。

 

日本中から批判されたにもかかわらず、斎藤は臆面もなく、県知事選に再度立候補します。「斎藤だけは当選させてはいけない」と誰もが思う中、斎藤も予想していなかった援助者、立花孝志が現れます。

立花孝志は斎藤の疑惑を全否定して、斎藤は加害者ではなく被害者である、とこれまでと180度違う見解を披露します。特に衝撃的な「事実」は、自殺した元県民局長に不倫疑惑があり、マスコミがそれを「プライベートだから」と一切報道しなかったことです。

その後、「県の公益通報担当部署が斎藤のパワハラを否定していた」「県職員の天下りOBの規制を斎藤が徹底して、ほとんどの県職員は斎藤に反感を持っていた」などのマスコミがほとんど(あるいは全く)報じなかった事実がSNSなどで拡散されます。多くの兵庫県民は「マスコミに騙されていた」と感じ、斎藤は「パワハラ知事」から「悲劇のヒーロー」に生まれ変わり、知事選でも大逆転勝利しました(この記事は県知事選の前日に書いていますが、誰もが容易に予想できる未来なので、過去形で書いています)。

 

ただし、この斎藤勝利の最大の功労者である立花も事実を歪曲しています。選挙の時点で、どれくらいの人がそれを認識していたのでしょうか。

まず、立花自身も既に認めている通り、立花が片山元副知事に会った、立花が片山元副知事から直接資料をもらった、というのは真っ赤な嘘でした。肝心かなめの情報源で嘘をついていたのです。しかも、立花は嘘を認めた後に、「嘘も方便」という言い逃れまでしています。

また、元県民局長が10人との女性と不倫していた、と立花は言っていましたが、常識で考えて、多すぎます。他にも、元県民局長の公用PCに「不倫動画」があった、と立花が言っていたのに、いつの間にか公用PCに「不倫日記」があった、と発言内容が変わっていたりします。

そもそも不倫なんて事実無根の可能性もあります。元県民局長と一緒に斎藤の悪い噂を集めていた県職員がたまたま女性だったために、不倫疑惑をでっちあげられた可能性も十分あるはずです。共に仕事をしていただけなのに、男女なので、交際疑惑や不倫疑惑が出てきてしまうのは、世の常です。若い女性の小保方のSTAP細胞の捏造疑惑で、援助者である著名学者の笹井が自殺したのも、同じ構造です。

さらに、立花の存在自体が怪しすぎます。立花はNHKに対する脅迫罪で有罪判決が確定し、執行猶予期間中です。斎藤の知り合いでもないのに兵庫県の知事選に、自身ではなく斎藤を勝たせるという異常な動機で出馬しています。しかも、立花の立候補費用300万円は、斎藤の知り合いでもない林尚弘なる塾経営で大儲けした胡散臭い人物が支払っています。立花や林、マスコミのどちらを信用するかと言えば、私なら圧倒的にマスコミになります。

とはいえ、立花からの情報を全て無視したとしても、不倫が一切のデマだとしても、現時点での情報を総合すれば、斎藤に正当性があると私は考えています。

ぜひマスコミには、斎藤に投票した人のうち、何%が立花の発言を信じていたか、何%が立花とは無関係に選んだのか、調べてもらいたいです。

これから、つまり選挙後、立花の発言に嘘が多かったことは暴かれていくと思います。立花の発言を信じていた人はそれに愕然とするかもしれません。

確かに立花の「斎藤絶対正義」は絶対的に間違っています。しかし、よほどの新事実が明らかにならない限り、マスコミによる斎藤の「パワハラ」に対する総バッシング、その頃のマスコミによる斎藤擁護の情報の乏しさは、立花同様に間違っていたはずです。いえ、参議院議員を3ヶ月で辞職してしまう怪しいyou tuberの立花と、第四の権力とも呼ばれるマスコミの社会に対する影響力を考えれば、マスコミの罪は立花の数倍重いと私は考えます。

また、この事件からも言えることは、「ハラスメント」「虐待」という言葉は絶対悪となるため、よほどでなければ避けた方がいい、ということです。

日米決戦の直接の契機は東南アジア情勢の誤認

前回の記事の続きです。

「戦争まで」(加藤陽子著、朝日出版社)には、リットン報告書が出た後でも、日本が国際連盟から脱退しないですむ方法を提案しています。結論から言うと、そんな方法はあるわけがなく、満州事変を起こした時点で、日本にできることは国際連盟を脱退する時期を先延ばしする程度でした。

上記の本では、アメリカに蛇蝎のごとく嫌われて、戦後も当然のようにA級戦犯被告にされた松岡洋右が、なんと「国際連盟から脱退するな」「国家の前途のために妥協しろ」、と日本政府に打電していた事実を示しています。

松岡は「連盟の面目が立つように、事実上、本件から連盟が手を引くように誘導する」という本国からの訓令を受けていました。この訓令通りに、イギリスのサイモン外相が、日本と中国、それにイギリス、中国、ソ連を呼んで、5大国でひざ詰めで話し合いませんか、と提案してくれたのです。満州事変について、国際連盟で決議を出さず、国際連盟とは別の場所、5大国会談で話し合う、という訓令通りの提案です。松岡は渡りに船、とその案に乗りました。

しかし、当時の内田外相がその案を突っぱねます。内田外相は、中国国民政府との直接的な交渉で問題をまとめられると楽観していたそうです。最後まで日本が中国側に強気に出れば、中国側は屈服してくる、と中国国内の対日妥協派に過大な期待をかけていたようです。この内田の楽観について、「天皇は全然納得していなかった」との記録が残っています。周知の通り、内田の楽観は誤認だったと歴史が証明しています。

「戦争まで」に、もし5大国で話し合えば、アメリカ、ソ連の当時の状況から、満州国は承認され、日本が連盟を脱退しなかったかもしれない、と著者の「楽観」が書かれています。繰り返しますが、それは連盟脱退の延命策になる程度で、満州事変後の日本の連盟脱退は不可避です(断定します)。

1933年にアメリカで孤立主義のローズベルトが大統領になっただの、ニューヨークタイムズの「中国は国際連盟に規定された国家の定義にあてはまらない」の記事だの、ソ連の5ヶ年計画の失敗で数十万の餓死者が出ただの、ソ連領内の満州国公使館の建設の許可だの、些末な事実をいくつも見つけて、著者は楽観していますが、大局観がなさすぎます。満州事変が成功した時点で、満州から日本が撤兵することなどありえず、そうであれば、侵略国家日本を世界が受け入れるわけがありません。そんなことも分からない人が日本最高の大学で歴史学の教授になれた事実に失望します。

ところで、この本で私は初めて知ったことですが、団琢磨が暗殺されたのは、団がリットンと会った翌日だったそうです。犬養毅もリットンに会った後に暗殺されています。

この時代の国家主義者たちの暗殺の横行がそれに反する意見を委縮させ、日本を大戦争の敗北へと進ませています。結果、300万人の日本人が殺され、その数倍のアジアの同胞を日本人が殺すことになります。

そんな不正義な殺人を大量にしたり、大量にされたりするくらいなら、なぜ桁違いに少数である血盟団青年将校たちを殺さなかったのでしょうか。天皇や国体といった人類普遍の正義に反する「正義」のために特攻隊として死ぬくらいなら、なぜ人類普遍の正義のために日本人は死ぬ気で1920年代や1930年代に過激な国粋主義思想を潰しておかなかったのでしょうか。こんな意見を今まで聞いたことがなかったので、あえてここで書きました。

この本は、日独伊三国軍事同盟についても詳述しています。この軍事同盟は、第二次大戦のヨーロッパ戦域でドイツが快進撃を続けているから、「バスに乗り遅れるな」という流れで日本は拙速に結んでしまった、と一般に言われます。著者はそうでない、とわざわざ見出しで否定していますが、どう考えても、一般論が正しいでしょう。

著者が示している通り、この条約はわずか20日という異常な短期間で結ばれています。日英同盟は、両国の勢力範囲でもめたため3ヶ月もかかった、と対比して、その短さを強調しています。

日独伊三国軍事同盟によって、日米の敵対関係は決定的になります。当時、ドイツはイギリスと戦争しており、そのイギリスをアメリカは全面的に支援していたことが大きな理由の一つです。だからこそ、翌1941年の日米交渉でも、日本がアメリカと交易したいのなら(石油を輸入したいのなら)、日独伊三国軍事同盟は破棄しろ、と何度もアメリカは要求しています。

当時、日本は石油のほとんどをアメリカから輸入していたので、アメリカとの関係が悪化したら極めて困りました。戦争中の最大の石油消費者である海軍にとっては死活問題でした。だから当然、日独伊三国軍事同盟を結ぶべきかどうか、1940年9月19日の御前会議で話された時、海軍は反対しました。ちなみに、その直前の9月4日には、三国同盟に最後まで同意できなかった海軍大臣の吉田が辞職してもいます。

このように、日独伊三国軍事同盟の争点は、日米関係が悪化するかどうか、より具体的にはアメリカが石油の禁輸をするかどうかにありました。戦後から歴史を振り返った時、これが正しい見解ですし、私も長年、そうだと考えていました。

しかし、実質的な議論をした1940年7月12日と16日の2回の「日独伊提携強化に関する陸海外三省係官会議」の議事録の争点は、全く別でした。なんと「ドイツの牽制」が争点だったのです。ドイツに負けた国、特にフランスやオランダが持っていた植民地の行方を一番心配していたのです。

意味不明です。どこまで世界情勢を見間違っていたのでしょうか。

ともかく、この時の三省係官会議の議事録を引用します。

陸軍の大野大佐の発言です。「ドイツは蘭印(今のインドネシア)、仏印(今のカンボジア)、中国に対して経済活動を活発化させるだろう。よって、日本の対仏印、対蘭印政策は、ドイツの工作を予防するため、急ぐ必要がある。戦後、ヨーロッパでの勝敗問題が東南アジア地域に及んでくるのは避けたい」と言っています。

海軍の柴中佐の発言です。「来日したドイツの経済人などは、ドイツの経済が戦争で疲弊してなどいないと述べていた。戦時体制に対応するために活性化された経済は、戦争が終わると余剰生産を生むに違いなく、ドイツはアジアに回帰してくるはずだ」

陸軍の高山中佐の発言です。「ドイツの対ソ政策がどうなるかによって、仏印や蘭印に対するやり方も決まってくると思う。仏印と蘭印を日本に任せる、とドイツが言ってくれれば本当に良いが、(ソ連と戦わず)ヨーロッパ建設だけに邁進するとなると、これら仏印蘭印を、ドイツは積極的に手に入れようとするので面倒だ」

陸軍参謀の種村少佐の発言です。「結局、海軍力が物を言うと思う。海軍力を持たないドイツがいかに頑張ったところで、日本の海軍勢力圏内では日本に対抗できない。問題は日本の腹一つで決まる」

9月の御前会議で最大の争点であった、アメリカとの関係悪化については全く論じられていません。アメリカという言葉すら出てきていません。この時代、軍関係者の海外情勢の情報源はほとんどドイツだったことが証明されています。

1941年にアメリカが石油禁輸に踏みこんだ直接の契機は、日本の南部仏印進駐です。これはドイツの傀儡であるフランスのビシー政権に許可を得た平和的進駐だったせいか、陸海軍はおろか、当時の近衛首相ですら、これでアメリカが石油禁輸することを予想していませんでした。そして、このアメリカの石油禁輸こそ、日本がアメリカとの戦争に訴えるしかない、と考える最後の分水嶺だったことは周知の通りです。

1940年夏頃からの東南アジア植民地に対する日本の間違った認識(アメリカは関与しないとの勝手な期待)が、太平洋戦争の直接の契機になったことは日本人なら覚えておくべきでしょう。高校の日本史の教科書には必ず載せて、場合によっては中学の社会の教科書にも載せてほしいです。

この本では、興味深い日本政治の本質も書かれています。

「当時も今もそうだと思いますが、日本では多くの場合、トップの政治家が政策を考案しているのではありません。だいたい、担当各省庁の課長級の人々が集まり、合議を重ね、文案をこしらえて、それを各省庁のトップに上げて、決済を仰ぐといった決定されていく方式がとられています」

だから、戦前の御前会議で論じている内容は、大臣や次官が議論すべきと決めたものではなく、40才前後の各省の課長たちが決めたものなのです。もちろん、課長たちから上がってきた案を拒否することもできるのですが、多くの場合、大臣や次官たちが考えても優れた案なので、御前会議は、その案をだいたい受け入れていました。実質的に、日本の政治を動かしているのは、各省の課長たちだったのです

そして、「当時も今も」と著者が書いている通り、この各省の40才前後の課長たちが日本政治を動かしているのは、現在も続いています。私も10年以上前から、それについて知ってはいたので、「日本は政治家より官僚が強い」の記事で触れています。

以上から、「日米開戦が起こった直接の原因は、各省の大臣たちは正しく認識していたのに、各省の課長たちが東南アジア情勢を誤認したからだ。だから、各省の課長たちでなく、各省の大臣が日本を動かす制度に改革すべきだ」という意見も出てくるかもしれません。

しかし、私はその意見に反対です。上記の通り、各省の課長たちの提案だけしか、閣議でも話されない伝統は今も続いているようですが、閣議で拒否する権利は今も昔もあります。だから、御前会議で日独伊三国軍事同盟を拒否することはできたし、南部仏印進駐を拒否することもできましたが、大臣たちが最終承認して実行されているので、究極的には課長たちより大臣たちの責任です。上記の通り、各省の課長たちの提案は、大臣たちが考えても優れているからこそ、御前会議や閣議でも承認されています。現実問題として、現場をよく知る各省の課長たちの方が、大臣たちよりも、素晴らしい提案ができるのでしょう。だから、この問題を解決する最良の方法は、「提案を課長でなく大臣にさせる」ではなく、「各省に有能な課長を任命し、課長に質の高い情報を集める」だと私は考えます。

この理屈でいけば、1940年~1941年の東南アジア情勢を誤認しないための解決策は、「各省の課長がドイツからの我田引水な情報に惑わされず、アメリカやイギリスからの質の高い情報を集めるべきだった」になるでしょう。

また、「なぜ陸海軍の課長クラスは東南アジア情勢をここまでひどく誤認してしまったのか」の答えは、やはり「バスに乗り遅れるな」という思潮に日本で最も優秀な軍官僚たちも流されたからになるはずです。

日本人が1千万人以上の殺人を避ける方法はあったに決まっている

「戦争まで」(加藤陽子著、朝日出版社)を読んで、失望しました。

太平洋戦争と日露戦争の相似」で示したような加藤陽子の道徳観の浅さは相変わらずですが、歴史の本質を見抜く能力の低さにも失望しました。

加藤は「アメリカが強気で出れば日本は戦争しないと考えていた人がいたように、日本も強気で出ればアメリカは戦争しないと考えていた松岡洋右のような人がいても不思議でない」と当時のアメリカの日本の軍事力の差を無視し、保守派が喜びそうな持論を展開しています。他にも、共産党の見解を陰謀論と吐き捨てるほどの加藤は保守派なのに、それでも日本だと革新的すぎると考えられるようで、2020年に日本学術会議の会員になることを菅首相によって任命を拒否された6人のうちの1人になっています。「日本で革新的でも西洋では保守的である」が現在でも通用している実例でしょう。

一方で、加藤は「ローズヴェルト大統領やハル国務長官など何名かは真珠湾攻撃を知っていたが、現地の人に知らせなかった。これは全くの嘘であることは、アメリカの国防総省が研究し続けていることから分かる」と断定するほど、アメリカ寄りです。「岩倉外交が不平等条約を改正できなかった理由」に私はこう書きました。

 

岩倉具視を筆頭に、この使節団の日本人は国際的にとても通用しない考え方をする者ばかりでした。一方、国際的に通用する考えをする日本人は、本人は無意識かもしれませんが、必要以上に西洋びいきです。厳密にいえば、同じ人物が「国内でしか通用しない考え方」と「国際的で西洋寄りの考え方」を直線で結んで、その間を行き来していたようです。この当時、国際的に通用する理屈を駆使して、日本の利益になる交渉をできる政治家がいなかったのです。国内でのみ通用する政治家が大部分で、一部の国際政治家は西洋を崇拝している状況は、当時だけでなく、現代日本にまで連綿と続いている伝統ではないでしょうか。

 

加藤は政治家ではなく学者ですが、「必要以上に西洋びいき」になっており、「国内でしか通用しない考え方」と「国際的で西洋寄りの考え方」を直線で結んで、その間を行き来しているようです。

「戦争まで」は「太平洋戦争と日露戦争の相似」と「『満蒙は日本の生命線』とはなんだったのか」の記事で取り上げた「それでも、日本人は戦争を選んだ」(加藤陽子著、新潮文庫)の続編にあたる本です。

満州事変から太平洋戦争までの間に、日本がアメリカとの戦争を避けるための決定的な機会として、リットン調査団への対応、日独伊三国軍事同盟締結、1941年の日米交渉の三つを挙げています。

その三つが、1941年12月からの日米決戦を避ける機会であったことは私も同意します。しかし、満州事変という越えてはならない一線を越えてしまった後なので、その三つの機会で当時の日本がどうしようが日米決戦は避けられない、つまり世界大戦で日本は大敗したと私は考えます。

第一のリットン調査団への対応ですが、「満州事変は日本の自衛のための戦争でない」「満州国を認めない」を三大結論の二つとする(もう一つの大結論は「中国の日本製品のボイコットは中国国民政府によるもの」)リットン報告書を日本の陸軍が受け入れる可能性があったとは考えられません。リットン報告書に理不尽に憤慨して1933年に日本が国際連盟を脱退しなかったとしても、日本が満州から撤兵しない限り、そう遠くないうちに日本は国際連盟を脱退していたに違いありません。

第二、第三の日独伊三国軍事同盟締結時や1941年の日米交渉でうまくすれば、1941年12月からの太平洋戦争勃発は避けられたでしょう。しかし、アメリカとの対立が生じた根本原因である(満州事変から続く)日中戦争を止めない限り、日米開戦は不可避でした。たとえ、日本がドイツと軍事同盟を結ばなかったとして、第二次世界大戦にも加わらなかったとしても、日本が中国と戦争を続けている限り、アメリカ、場合によってはソ連も、日中戦争に介入していました。その場合、日本に落とされた原子爆弾は2つで済まなかったかもしれません。

大局的にみれば、「満州事変後、日本はどうすればアメリカとの戦争を避けられたか」の模範解答は「どうやっても避けられない」になるでしょう。あるいは「その問題提起自体がナンセンス」も正解でしょう。「日本がアメリカと戦争しないためには満州事変を起こすべきでなかった」ので、「満州事変を起こさないためにはどうすればよかったか」が本来提起されるべき問題です。

そのためには、統帥権の暴走を生む契機となった1930年のロンドン海軍軍縮条約までは戻るべきです。ここで国会野党の犬養毅鳩山一郎、枢密院の伊東巳代治や金子堅太郎が「統帥権干犯問題」という憲法問題を言い出さなければ、軍部の独走も、満州事変も抑えられたかもしれません。統帥権について少しでも勉強した人には常識でしょうが、「統帥権の独立」とは、軍部が言い出したことではなく、政治家が言い出した憲法解釈で、結果として政治家が軍事に口を出せなくなる墓穴を掘っています。

もっとも、その程度でも不十分でしょう。次の記事でも言及する通り、八紘一宇、神国日本などの国粋主義思想に日本全体が陥りすぎて、それに反する思想を徹底的に委縮させたことが根本原因です。

やはり「日本が負けるに違いない太平洋戦争を始めた本質的理由、あるいは日本が第二次大戦で負けた本質的原因」に書いた通り、第一次世界大戦を契機に「自由と平等意識の向上」と「世界全体の中で日本を客観視すること」が最重要だったと考えます。

次の記事で「戦争まで」について、さらに考察します。

「満蒙は日本の生命線」とはなんだったのか

前回の記事の続きです。

「それでも、日本人は戦争を選んだ」(加藤陽子著、新潮文庫)では、松岡洋右の造語「満蒙は日本の生命線」の「生命線」とは、山県有朋がシュタインから教わった「利益線」と同義である、と断定しています。

誰もが不要と認めているのに継続している制度を『枢密院』と呼ぶ提案」に書いたように、シュタインは伊藤博文に枢密院を想起させた人物でもあります。このタカ派ドイツ人に、日本の政治と軍事に明治期で最も影響を与えた伊藤と山県がともに感化されてしまったので、「日本が戦争を選んだ」のかもしれません。

「生命線」あるいは「利益線」とはなんでしょうか。これは「主権線」の対になる言葉で、主権線が主権の及ぶ範囲で、利益線は自国の存亡に関わる外国の状態(なぜか範囲とは書いていません)だそうです。

山県もシュタインも、日本の利益線は朝鮮半島と考えていました。しかし、「太平洋戦争と日露戦争の相似」にあるように、日露戦争後、利益線は「満蒙」まで広がってしまいます。さらに書けば、満州帝国を樹立した後、利益線は北支(中国北部)まで広がります。「いつまで利益線を広げる気だ。そこまで守れるわけがない」と考えなかったのが異常です。

ところで、細かい点ですが、なぜ満州だけでなく、内蒙古も含む満蒙となっているか知っているでしょうか。これは1912年の第3回日露協約の秘密条約で日本とロシアが、北京を通る東経116度以東の内蒙古部分を日本の勢力範囲と定めたからのようです。上記の本で私も初めて知りました。

日露戦争後、日本とロシアは急速に仲が良くなり、中国や世界に秘密で、満州をどう分け合うかについての秘密条約を結んでいました。しかし、1917年にロシア革命が起き、ソ連帝政ロシア時代の秘密条約を暴露し、この秘密条約は無効になったはずでした。しかし、日本、特に陸軍はそう考えず、満蒙には日本の特殊権益があると日本中で喧伝し、世界にも主張してしまいます。

上記の本で画期的なのは、陸軍の首脳部は「日本は将来の戦争のために満蒙が必要」と考えていながら、「中国が満蒙に関する条約を守っていない」と国内外で訴えていた、と断定している点です。「軍人たちの主眼は、対ソ戦に備える基地として満蒙を中国政府の支配下から分離することでした。国際法や条約に守られているはずの日本の権益を中国がないがしろにしているかどうかは、本当のところあまり関係がない(後付けである)」と喝破しています。

それにもかかわらず、1931年7月、満州事変が起こる2ヶ月前の東大生に「満蒙に武力行使すべきか」のアンケートをとると、「すぐに武力行使すべき」が56%、「外交手段を尽くした後に武力行使すべき」が32%と、合計9割ほどが肯定していました。「満州事変の後ならまだ分かりますが、これは前なのです」と著者も驚いています。

「満蒙は日本の生命線」との陸軍のプロパガンダは、満州事変前に東大生までも浸透していたようです。しかし、当然ながら、世界では全く通用しない理屈です。満州事変前に、そこまで日本人が、東大生を含めて、国際的に通用しない理屈を信奉していた、とは私も考えたくありません。

というより、このアンケート結果は、本当に東大生の意思だったのか、と調査結果自体に疑問があります。なぜなら、満州事変発生の2日後の憲兵による調査で「満蒙に武力行使すべきか」に「はい」と答えた東大生がやはり9割と書かれているからです。常識で考えて、満州事変発生後なら、発生前より「はい」は激増すべきです。まして、憲兵による調査なのですから。

「満蒙に武力行使すべきか」もしくは「満蒙は日本の生命線(利益線)か」の答えは、満州事変前であれば、一般大衆はもちろん、東大生であっても、「分からない」が多数派だったはずです。

他にも、この本で疑問を感じている点はあります。その最大のものは、「太平洋戦争と日露戦争の相似」に書いた通り、著者の道徳観の浅さです。まずタイトルの「それでも、日本人は戦争を選んだ」からして、疑問があります。戦後に書かれた本なのですから、「それなのに、日本人は戦争を選んだ」とすべきでしょう。

太平洋戦争と日露戦争の相似

「それでも、日本人は戦争を選んだ」(加藤陽子著、新潮文庫)を最後まで読んでみました。この本は現在まで30万部を越えて売れているのですが、序章の著者の道徳観の浅さに失望して、そこから先を読まないまま、数年が過ぎていました。

この本は東大の歴史学准教授が栄光学園の生徒(栄光学園についての私の記事はこちらにあります)に2007年に行った特別講義です。それにしても、いくら中高生相手とはいえ、「子供のいる人妻と結婚する大変さというのは、みなさんにはまだ分からない世界でしょうが(笑)」、「(第二次大戦前にドイツや日本が台頭するのを防ぐには、イギリスはどうすればよかったか、の問いに、第一次大戦でイギリスが負けておくべきだった、との答えに)うーん、この答えは面白すぎる(笑)」、「(ルソーが指摘したように、第二次大戦の後に勝利した国が敗れた国の憲法を書き換えるという事態が起こったことについて)戦争を考える面白さがだんだんと分かっていただけるのではないでしょうか」など、何千万人も死んだ戦争の話をしているのに笑いすぎであり、「面白い」という表現も道徳に反します。「面白い」はせめて「有意義」や「大切だ」などに置き換えるべきでしょう。

ただし、今回、改めて全編を読んでみると、学者の本だけあり、私の知らない事実がいくつも書かれていました。

たとえば、日露戦争前に伊藤博文が非戦派で、山県有朋は開戦派だったとの通説は、既に覆されているそうです。なんと、山県ですら、開戦1ヶ月前まで、なんとか大国ロシアとの戦争を回避できないか、外交交渉に望みをかけていました。1902年に日英同盟を結んでから、山県や桂太郎小村寿太郎はロシアと開戦するよう政府にはたらきかけたとの説は、戦前に書かれたそれぞれの伝記を鵜呑みにしたからで、実際のところ、山県や桂や小村は「日本は朝鮮の優越権、ロシアは満州の優越権」をロシアに認めてもらうよう、開戦数ヶ月前まで外交交渉をしていました。

しかし、1903年10月(日露戦争開戦4ヶ月前)にベゾブラーゾフがロシア宮廷で権力掌握し、日露交渉に責任を持つ極東総督にも対日強硬派が任命されてしまいます。結果、ロシアは外交交渉で次のような要求を出します。

「朝鮮の日本の優越権をロシアが認めるために、日本は次の2つの条件をのめ。一つ目、ロシアが朝鮮海峡を自由に航行できる権利を認めろ。2つ目、北緯39度以北の朝鮮を中立化して、日本が朝鮮領土の軍略的使用をしない」

まるで日露戦争版のハルノートです。日本が朝鮮にこだわったのは、まさにロシアが朝鮮海峡に出てこないためなので、こんな条件、日本がのめるわけがありません。そして、日本は戦争に訴えました。

日露戦争が太平洋戦争と似ている点は他にもあります。「ロシアはお金がない。さらに、ポーランドエストニアフィンランドが反抗している。日本と戦争する余裕はない」とロシアの現状を自身に都合よく日本が解釈していたことです。太平洋戦争前に「ルーズベルトはヨーロッパの大戦争に巻き込まれたくないし、選挙でもそう約束していた。日本と戦争したら、否応なくヨーロッパの大戦争にも巻き込まれるから、最後は日本との戦争を避けて譲歩するだろう」とアメリカの現状を自身に都合よく日本が解釈していた点と似ています。どちらも最後通告から分かる通り、「日本を見下しすぎていて、戦争しても勝つ自信が十分にあったので、日本に譲歩する気などなかった」が正しかったのですが、それに日本の首脳部はあまり気づいていなかったようです。

ロシアもアメリカも「日本を見下しすぎていたので」、緒戦で日本が勝ったのは共通しています。開戦1年目までで終わらせることができれば、どちらも日本の勝利でした。日露戦争は幸運と日本の努力でそうなりましたが、太平洋戦争がそうならなかったのは周知の通りです。

第二次大戦では、たとえドイツがイギリスやソ連に(一時的に)勝つ、という奇跡があっても、アメリカとの戦争が1年で終わるわけがないことは、日本も太平洋戦争前から予想していました(アメリカ一国でドイツや日本の枢軸国側に戦争で勝つことができ、最終的にイギリスやフランスやロシアがドイツから解放され、中国が日本から解放されていたでしょう)。

一方、日本が1905年にポーツマス条約を結ばず、日中戦争や太平洋戦争のように日露戦争を長期化させていたら、確実に負けていました。これを日本の首脳部は十分認識していたはずですが、日露戦争後、なぜか一部(もしくは大部分)の政治家や軍人は忘れてしまい(一般の日本人は最初から認識すらせず)、朝鮮の優越権を認めてもらうために日露戦争をしたのに、日露戦争後に満州の優越権まで日本にあると錯覚するようになります。「なぜ戦前の陸軍で下剋上が横行したのか」に書いた通り、この錯覚こそ日本が太平洋戦争に突入した大きな要因です。

次の記事に続きます。

アメリカの民主主義を守るためにはアメリカの選挙制度を変えればいいだけである

今朝の朝日新聞の記事の抜粋です。

 

 USスチールは1901年、鉄鋼王アンドリュー・カーネギーらによって創設された。粗鋼生産量が国内の3分の2を占めた時期もある。社名に「US」を冠し、米国を代表することが運命づけられた企業だった。

 時代を画した建造物に鉄鋼を供給し、国の工業化を牽引(けんいん)。良質な雇用も生み出し、50~60年代の米国の黄金時代を支えた。「アイコニック・カンパニー」(象徴企業)と呼ばれるゆえんだ。

 過去の栄光の記憶を選挙スローガン「MAGA」(米国を再び偉大に)に重ね、人々の郷愁に訴えかけたのがトランプだった。「世界で最も偉大な企業の一つだったUSスチールが、日本に売られようとしている」

 ペンシルベニア州で今春開いた選挙集会で、トランプは買収の「絶対阻止」を表明しつつ、ラストベルト(さびついた工業地帯)に住む聴衆のプライドをくすぐった。「この州は、何世代にもわたってタフで強い鉱山・工場・鉄鋼労働者たちが、歴史上最も偉大な国家を築いた場所だ。しかし衰退の一途をたどっている。この恐怖が続くことは許さない」

 外資によるUSスチール買収の「阻止」を、同州が繁栄を取り戻すことに重ねるかのような口ぶりだった。

 対するバイデンがピッツバーグに乗り込んだのはその4日後だった。「USスチールは1世紀以上にわたって米国を象徴する企業だった」。やはり過去の栄光を引き、全米鉄鋼労働組合(USW)の組合員に訴えた。

 「米国で所有され、米国で運営され、米国の組合鉄鋼労働者が働く米企業であり続けるべきだ」

 3代にわたる同州の労働者で、USスチールで約30年働くロバート・ハチソン(53)は演説にうなずいた。「鉄は私の人生そのもの。誰もが国内企業であり続けてほしいと思っている」

 「誇り」にかこつけて、買収に反対してきたトランプとバイデン。本音はともに、USWや労働者らの支持取り付けにある。この州が大統領選の行方を左右する最大の接戦州であるためだ。

 とはいえ、彼らの主張は実のところ苦しい。かつて世界首位だったUSスチールの粗鋼生産は24位まで後退。買収のきっかけも同社が「身売り」を宣言したからだった。日鉄の投資抜きでどう再建するのか大統領選では誰も語ろうとしない。

 「USスチール、という名前じゃなかったら、こうはならなかっただろう」。地元アレゲニー郡の共和党委員長サム・デマルコは嘆く。日鉄の森らとも面会し、日鉄がUSスチールの雇用を守り、州内の古くなった工場に投資する方針を確認したという。「この取引はUSスチールの将来にとって最善だ」

 工場の立地自治体からも、党派関係なく買収を支持する声が出る。USスチール首脳は、買収が破談した場合、製鉄所の閉鎖や雇用の削減、本社の移転などを検討せざるを得ないとしている。

 バイデンの後を継いで民主党の大統領候補となった副大統領のハリスは、テレビのインタビューでこうした点をただされた。だが、「米国人労働者による米国内での生産を維持することが最も重要だ」という原則論を述べるだけだった。

 大統領選でどちらが勝ったとしても、経済合理性を超えた「米国第一主義」がはびこる大国と、世界は向き合うことになりそうだ。

 ハリスとトランプがひっきりなしに訪れる州が三つある。東部ペンシルベニア、中西部ミシガン、同ウィスコンシン。11月の大統領選の結果は、この3州の勝敗に大きく左右されるからだ。

 2012年に3州を制覇したオバマ(民主)が再選を決め、16年は3州をおさえたトランプが初当選した。20年に3州を奪還したバイデンは、トランプの再選を阻んだ。

一部の州での勝敗が段違いに重みを持つのは、米国独特の選挙制度ゆえだ。

 大統領選は、人口に応じて各州に割り振られた「選挙人」を多くとった方が勝つ。大半の州では、1票でも多く取った方がその州に割り当てられた選挙人を総取りする。全米50州のうちほとんどの州で民主、共和の勝敗があらかじめほぼ見えており、残りの一握りの接戦州の行方が、全体を左右する構図になっている。

なかでも、この3州では近年、民主と共和の候補者が激しく競る。

 3州は鉄鋼や自動車などの製造業が栄えた工業州だ。産業の衰退で雇用が大きく失われ、一帯は「ラストベルト」(さびついた工業地帯)と呼ばれる。それだけに、失われた製造業の復興や、労働者の保護など、一帯で重視される課題がとりわけクローズアップされる現象が起きる。

 3州の人口は選挙人ベースで全米の8%を占めるに過ぎない。だが候補者たちは3州の有権者に響く政策を競い、地域の不利益につながるような問題には持論も封印する。

 

このブログを読むような人なら、今更伝えるまでもない情報かもしれません。アメリカの人口の8%がアメリカ全体のみならず、世界全体に多大な影響を及ぼす異常事態になっています。

「この問題を解決するために、どうすればいいか?」

これが大学入試で出たら「アメリカ大統領選の選挙制度を変えればいい」が模範解答になるはずです。というより、それ以外の解答があるとは思えません。

アメリカ人がいかにバカだとしても、これに気づかないほどバカだとは信じられません。上の記事を書いた朝日新聞記者も、アメリカの選挙制度の異常さを指摘しているのに、それを変えるべきと主張していない理由が分かりません。ナチスや太平洋戦争がおかしいと頭のどこかでは認識しながらも、外形上は熱狂的に支持した国民と同じなのか、と推測するくらいです。

アメリカ大統領選挙制度を変えようと主張する人があまりに少ないことは、私にとって10年以上解決していない世界の謎の一つです。もしこの答えが分かった人がいたら、下のコメント欄に書いてもらえると助かります。

袴田再審無罪報道でなぜ紅林の名前が出ないのか

この1ヶ月ほど、毎日のように袴田再審無罪のニュースが流れています。再審が認められた10年前に、無罪であることは実質的に世間に知れ渡っていたので、今回の判決は「裁判でも検察・警察側の捏造が認められた」程度の意義しかありません。

それにしても不思議なのは、元プロボクサーの袴田にチャンピオンベルトが渡されただの、袴田の姉の長年の苦労だの、重要性の低いことが報道されているのに、「なぜ警察が捏造までしたのか」という考察があまりに少ないこと、紅林という極悪人が静岡にいたので起こった冤罪であることが、ほとんど報道されないことです。

多くの日本人にとって、袴田巌など知りもしなかったはずです。自分が行ったこともない静岡で、自分が生まれる前に起きた殺人事件で、誰が犯人であるかなど、どうでもいいことです。問題なのは、袴田事件が国家権力の警察のでっち上げで死刑判決に至ったことです。さらには、再審無罪が確定した後も、検察側が「捏造と断じたことには強い不満を抱かざるを得ません」と否定したことです。これでは、また検察・警察の不正義が起こるかもしれません。それこそ、次は自分が警察の罠にはまって、冤罪なのに死刑にされる可能性があります。

とはいえ、検察・警察側も弁護できる部分はあるはずです。「袴田事件は紅林教団が起こしたものだ。あんなひどい冤罪は例外中の例外で、あの時代の静岡でなければ起きなかった」と主張したい人はいるはずです。少なくとも、私が検察官や警察官なら、そう言っています。

袴田再審無罪を報道する時、まともなジャーナリストなら「なぜこんなひどい冤罪が起こったんだ」と考えるはずです。そして、すぐに「拷問王の紅林麻雄を教祖にしてしまった日本」の問題に気づくはずです。あるいは、既に知っているはずです。

にもかかわらず、袴田再審無罪のニュースの時、より大きく根本原因を生じさせた紅林が無視されているのは不思議でなりません。上の記事と同じ終わり方になりますが、このようなマスコミ報道に接すると、袴田事件のような冤罪が今後日本に出てこないと自信を持って言えない自分が情けないです。

石破政権はアメリカの陰謀で短命になるだろう

アメリカに潰された政治家たち」(孫崎亨著、河出文庫)という本があります。「戦後史の正体」(孫崎享著、創元社)の「日本の首相が反米ならアメリカに潰される」説をより詳しくしたものです。

牽強付会(こじつけ)と私も考えますが、本では、ほぼ全ての日本の首相の退陣時期がアメリカの陰謀だけで見事に説明されています。首相の地位は、選挙、党内支持、世論、産業や税制や福祉や教育などの国内政策、外交など多くの要因で決まります。外交にしても、アメリカ以外に、中国、韓国、北朝鮮、ロシア、東南アジア、ヨーロッパ、オーストラリアなど、多くの関係国があります。それら他の要因を全て無視して、アメリカとの関係だけで首相の地位が説明できてしまう事実に、それなりに牽強付会だとしても、私は驚いてしまいます。

歴代首相のうち、表紙にもある岸信介田中角栄小沢一郎(小沢の場合は首相就任阻止)に関しては、十分な証拠提示から、アメリカの陰謀で潰されたのだろうと私も考えます。

この孫崎説が正しいなら、日米地位協定の改定を外交政策の目玉に据えている石破政権は、短命に終わることになります。もっともアメリカの陰謀と分からないように、アメリカは工作するでしょう。

それはともかく日米地位協定など、右翼だろうが左翼だろうが、日本人なら全員反対以外ありえません。にもかかわらず、「日米地位協定の改定を主張するなど、石破茂はけしからん」と批判する記事が右翼の読売新聞にも、左翼の朝日新聞にも、既にいくつも出ているのは確かに不思議です。

立花隆はCIAのスパイである

立花隆といえば、1974年10月10日に文芸春秋に載った「田中角栄研究 その金脈と人脈」が出世作です。この記事により、田中角栄首相が辞任に追い込まれて、その後、田中は首相再任を狙っていたものの、果たせることなく政治生命を終えています。「戦後史の正体」(孫崎享著、創元社)にある通り、立花隆は日本史上で政治を最も動かした記事を執筆したと言えるでしょう。

私も知らなかったのですが、この記事が出ても、当初、マスコミはなんら反応せず、田中角栄の権力基盤に大きな影響はなかったようです。しかし、10月22日に田中首相外国特派員協会に講演に出ると、アメリカ人記者を中心に徹底的に「田中角栄研究 その金脈と人脈」について追及されました。

当然ながら、その外国人記者たちの多くは日本語を読めません。日本の新聞がどこも取り上げていない記事を、5名もの外国人記者が次つぎに質問したのは奇妙としか言いようがありません。

この外国特派員協会の講演の翌日朝刊で、それまで無視していた朝日新聞と読売新聞がともに一面トップで立花隆の記事を取り上げたのです。「戦後史の正体」はこの動きを「なんのことはない。またもや朝日新聞と読売新聞が火をつけているのです」と表現しています。朝日と読売は、戦後かなりの時期まで(あるいは今も)アメリカの影響が大きかったようです。

この動きに反田中の自民党議員も足並みをそろえ、さらには木川田一隆・東電社長(元経済同友会代表幹事)、中山素平(元経済同友会代表幹事)の経済界も反田中に動きます。前回の記事に書いた通り、孫崎によると、経済同友会アメリカの言いなりの経済団体です。この反田中の動きに抗しきれず、翌月の11月26日、田中は首相を辞任します。

念のため付け加えておくと、この首相辞任時、後に田中が有罪判決を受けるロッキード事件はまだ発生していません。だから当然、立花隆の「田中角栄研究 その金脈と人脈」にもロッキード事件のロの字もありません。立花隆の記事に田中角栄の違法行為はなんら書かれておらず、当時の自民党有力議員で横行していた田中の悪質な金脈と人脈関係を暴いた程度です。

私が不思議でならないのは、こんな奇妙な経緯なら、誰もがアメリカの陰謀を疑います。ロッキード事件については、アメリカの陰謀だったと中曽根康弘が証言し、キッシンジャーも暗に認めています。アメリカが田中を嫌った理由は、中曽根は石油問題だと述べて、孫崎は中国問題と述べています。どちらにせよ、ロッキード事件アメリカの陰謀であるなら、必然的に、田中の首相辞任もアメリカの陰謀だろうと普通なら考えます。上記のように、日本のマスコミ全てが無視していた立花隆のゴシップ記事を、突如として、外国人記者が5名も取り上げるなんて異常事態が発生していたなら、なおのことです。

そのことの異常さに最も気づくべきなのは「知の巨人」とも称された立花隆本人でしょう。「なぜアメリカ人が自分の記事をこんな場で取り上げるんだ。いつ英語に翻訳されたんだ」と考えない訳がありません。しかし、立花隆本人は死ぬまで一度もその疑問を口に出していません。そうなると、当然、立花隆アメリカのスパイではないか、との疑惑が出るのに、そんな疑惑を聞いたことがあるでしょうか。

もし立花隆アメリカのスパイなら、立花隆の大きな謎の一つが説明できてしまいます。それは「アメリカ人ジャーナリストですら取材できていないアメリカ人宇宙飛行士たちに、なぜ日本人ジャーナリストの立花隆が取材できたのか」という謎です。

アメリカ人の何名もの宇宙飛行士への直接対話する機会なんて、NASAと強いコネでもなければ不可能です。いえ、NASAと強いコネがあるジャーナリストだってアメリカに確実にいたはずですが、ほぼ誰もインタビューできていません。ソ連もそうですが、アメリカも宇宙飛行士を国家機密にしていました。宇宙飛行士たちが秘密のベールに包まれたことも原因となって、「NASAの月面着陸は嘘だった。実際は地球上で撮影されていた」というトンデモ説が登場しています。

そんなアメリカの国家機密の宇宙飛行士に何名も、宇宙開発後進国日本(当時は日本人宇宙飛行士はゼロでした)で大手マスコミにも所属していない立花隆が、一体全体なぜインタビューできたのでしょうか。立花隆に独自のアメリカとのコネがあったことは間違いありませんが、どうやってそんなコネができたのでしょうか。

それはやはり、「田中角栄研究 その金脈と人脈」でしょう。この記事によって、立花隆に独自のアメリカとのコネができた可能性が最も高いはずです。

余談ですが、「宇宙からの帰還」(立花隆著、中公文庫)におさめられた宇宙飛行士のインタビュー集で、立花隆は突如として超科学を持ち出して、宇宙飛行士たちを返答に困らせています。もちろん、知的能力も性格も優れた宇宙飛行士たちなので、超科学の質問からうまく逃げて、心の中では立花隆を軽蔑していても、それを気づかせないように返答してはいます。それにしても、科学技術の偉業を成し遂げた人たちにインタビューする千載一遇の機会に、神だの神秘体験だのを聴くなんて、日本の恥です。

立花隆アメリカのスパイと気づかない日本人が多いのはまだしも、宇宙飛行士に超科学の話を持ち出す立花隆を「知の巨人」と崇める日本人が多いのは、残念でなりません。

60年安保デモはアメリカの陰謀である

「戦後史の正体」(孫崎享著、創元社)では、60年安保闘争アメリカの陰謀だと書いています。あの日本史上最大の国会デモがアメリカに仕組まれたものだと証明しています(あるいは証明しようとしています)。

「バカをいえ! なぜアメリカが日米安保条約の反対デモを手助けするのか。アメリカは日米安保条約を結びたくないと主張したいわけか?」

そう考えるのが普通でしょう。私もそう考えました。

当然ながら、アメリカは日米安保条約を結びたいに決まっています。一方で、アメリカは岸首相を退陣させたいと考えていました。だから、国会内で安保条約は成立させて、国会外で安保反対デモを応援することで、目的通り、岸首相を辞任に追い込みました。

「意味が分からない。なぜそんな遠回りの方法を使うのか。岸を退陣させたいなら、自民党内の権力闘争に陰謀を加える方法が普通だろう」

そんな反論もあるでしょう。孫崎は「確証なし」と認めながら、それについて以下のように推測しています。

1,岸首相の自主独立路線(孫崎によると岸は日米安保条約だけでなく、本命の日米地位協定の改定までするつもりだった)に危惧をもった米軍およびCIA関係者が工作を行って岸政権を倒そうとした

2,ところが岸の党内基盤および官界の掌握力は強く、政権内部から切り崩すという通常の手段が通じなかった

3,そこで経済同友会などから(アメリカが)資金提供をして、独裁国に対してよく用いられる反政府デモの手法を使うことになった

4,ところが6月15日のデモで女子東大生が死亡し、安保闘争が爆発的に盛り上がったため、岸首相の退陣の見通しが立ったこともあり、翌16日からはデモを押さえこむ方向で動いた

このうち「3」は説明が必要でしょう。

60年安保闘争で中心勢力となったのは全学連であり、全学連の中心勢力はブントです。ブントは1958年に民青(日本共産党の学生組織)から独立(ケンカ別れ)した新左翼であり、当初は一台の電話機の電話代さえ半年も未払いになるほど金がありませんでした。それが安保闘争の最盛期になると、ブントは何十台ものバスをチャーターして学生たちを国会議事堂前まで運んでいました。この資金源は、大衆からのカンパもあるものの、戦前の武装共産党時代を主導して、収監中に転向して右翼となった田中清玄でした。田中清玄は、他の財界人たちをブントに紹介しており、その中には経済同友会の中山素平と今里広記もいました。この経済同友会は、「戦後史の正体」によると、戦後の財閥解体後、「アメリカに協力することに全く抵抗のない人びとを日本の経済界の中止にすえる」ために創設されました。つまり、ブントは田中のようなCIA協力者や、中山や今里のようなアメリカの従僕たちから資金提供を受けることで、日本史上最大の国会デモを実現できていたのです。これら背後にアメリカのいる3人から資金提供を受けていたことは、後にブントの主導者たちが認めています。

ここで興味深い、というか矛盾することを「戦後史の正体」から引用しておくと、アメリカは自ら煽っておきながら、60年安保のデモの勢いに驚いてもいたそうです。デモ参加者たちが「アメリカのせいで日本が再び戦争に巻き込まれる」と抗議していたことをアメリカは熟知していました。あんな大規模デモを起こさせるほど、アメリカが日本人に嫌われているとは思っていなかったようです。1961年から駐日アメリカ大使となったライシャワーは日本の保守派だけでなく、進歩派とも交流を深めることを重視しましたが、それは60年安保のデモに脅威を感じていたからのようです。

このように、「戦後史の正体」を読んでいると、アメリカが日本を裏で操作していることが分かると同時に、アメリカの工作のちぐはぐさも見えてきます。60年安保がいい例ですが、一方で新安保条約にしても旧安保条約と実質的になにも変わらないように工作して、もう一方で安保反対運動に資金援助して、もう一方で安保反対運動の勢いに驚いています。これは米軍(国防総省)、国務省、CIAが十分に意思疎通をとっていないために生じた混乱でしょう。この戦後のアメリカの工作による混乱は、戦前の中国、特に1911年の辛亥革命から1937年の日中戦争までの日本人大陸浪人のたちの暗躍による混乱と似ている気がします。アメリカによるベトナム戦争と、日本による満州事変から日中戦争が似ているように、です。

話を60年安保に戻します。60年安保の国会デモがアメリカの工作によるものとの説は、当時の政治家、マスコミ、国民のどれくらいが知っていたのでしょうか。あるいは、今も日本人のどれくらいが知っているのでしょうか。日本史上最大の民衆デモ、まるで市民革命のような盛り上がりが、アメリカの手の平の上で踊らされていただけなのに、日本人の誰もがそれに気づかないままであった、なんてありえるのでしょうか。

もちろん、上記のアメリカの走狗の3人は資金提供しただけです。一番重要なのは民衆の怒りであり、それは自然発生したものだと思いたいです。

ただし、「戦後史の正体」によると、マスコミはしばしばアメリカの言いなりになっています。実際、孫崎は6月17日の異例の全国新聞七社共同宣言「その理由のいかんを問わず、暴力を用いて事を運ばんとすることは、断じて許されるべきではない」(実質的な国会デモの批判)がアメリカの指示によるものと断定しています。

確かに、あれほど安保反対運動を煽っていたマスコミが、突如として安保反対運動を一斉に非難するのは異常です。なんらかの陰謀があったことは間違いないと私も考えます。

しかし、それ以前のマスコミの安保条約反対は、記者たちの自由意思によるもののはずです。とはいえ、上記の通り、安保反対の国会デモもアメリカからの資金援助があったことも事実のようです。だから、七社共同宣言以前のマスコミの安保反対運動も、アメリカの陰謀の影響はあったのかもしれません。そして、マスコミの安保反対運動がなければ、民衆の安保反対運動は盛り上がらず、国会前にあれほど熱狂した大衆が集まらなかったのも、事実のはずです。

こうなってくると、日本史上最大のデモも、どこからか日本人の自由意思で、どこまでがアメリカの陰謀なのかも、もはや誰にも分らないはずです。あるいは、全てアメリカの陰謀に踊らされていただけなのかもしれません。

立花隆はCIAのスパイである」の記事で「戦後史の正体」に書かれた衝撃の事実をさらに記録しておきます

アメリカは日本を防衛しないし、する気もない

アメリカは日本の防衛義務がある」

多くの日本人はそう考えています。外務省のHPにもそう書かれていますし、全ての日本の外交政策はそれを前提に進めています。

「日本にある米軍基地の7割は沖縄に集中している」

沖縄問題でよく出てくる事実です。鳩山由紀夫元首相が主張したように、これを解決するためには「沖縄の米軍基地を日本のどこかに移動する」か「沖縄の米軍基地を日本から撤去する」のどれかを選択することになります。このうち「沖縄の米軍基地を日本から撤去する」は論外と、ろくに検討すらされません。なぜなら「日本は世界最強の米軍が守ってくれている。米軍がいなくなれば、日本の安全保障は維持できない」からです。

米軍の抑止力がなくなれば、北朝鮮が遠慮なくミサイルを撃ち込むかもしれない、ロシアが攻めてくるかもしれない、最低でも中国は尖閣諸島を占領するに違いない、などと日本人は考えているようです。

しかし、実態は、アメリカは日本を防衛しないし、する気もありません。

多くの日本人はこれを戯言や陰謀論と考えるでしょう。10年以上前に「戦後史の正体」(孫崎享著、創元社)を読んだ私も半信半疑でした。しかし、それから10年たって、「日本が攻められた時、アメリカは日本を防衛しなければならない」は嘘だと確信したので、今回記事にしています。

アメリカの日本防衛義務は、新日米安保条約の第5条を根拠とされています。これは以下の文になります。

「各締約国(日本とアメリカ)は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宜言する」

一方、アメリカのNATO加盟国の防衛義務は以下のNATO条約第5条を根拠としています。

「条約締結国(1カ国に対してでも複数国に対してでも)に対する武力攻撃は、全締結国に対する攻撃と見なし、そのような武力攻撃が発生した場合、全締結国は国連憲章第51条に規定されている個別的自衛権または集団的自衛権を行使して、北大西洋地域の安全を回復し平和を維持するために必要と認められる軍事力の使用を含んだ行動を直ちに取って被攻撃国を援助する」

一読しただけで、なにが違うか分からないでしょう。最大の違いは、日米安保条約に「自国の憲法上の規定及び手続に従つて」がある点です。つまり、たとえ日本が攻撃されても、アメリカ政府が拒否すれば、アメリカは日本を防衛しなくてもいいのです。

もっとも、それが本質でもないと私は考えます。本質は、アメリカはNATO加盟国を守る意思は強くても、日本を守る意思が弱いことです。もちろん、ほぼ全てのアメリカ人は日本を同盟国だと考えていますし、日本が北朝鮮や中国から攻撃されたら、激しい非難はします。しかし、そのためにアメリカが北朝鮮や中国に武力で報復するかどうかは、場合によるとしか言いようがありません。だから、義務ではないのです。

たとえば、「尖閣諸島で日中が戦争すれば」で書いたように、尖閣諸島に中国が攻めてきたら、日本は確実に負けます。ただし、かりに日本が負けても、日米安保条約により、アメリカが日本を助けてくれる、と考えている日本人は少なくないでしょう。あるいは、これが日本の公式見解なのかもしれません。

残念ながら、その可能性はほぼゼロだと断定します。確かに、2010年にもヒラリー国務長官が「尖閣諸島は安保条約の対象である」と明言していますし、外務省のHPにも尖閣諸島日米安保条約の対象である証拠がいくつか載っています。これについての反論も私は書けますが、そこは重要でないので省略します。

重要なのは、「尖閣諸島で日中が戦争すれば」にも書いたように、こんなアメリカ本土から遠く離れた無人島のために、アメリカが中国に武力攻撃するわけがないことです。もっと書けば、「アメリカは中国に負ける」(孫崎亨著、河出文庫)によると、尖閣諸島で中国とアメリカが戦争しても、アメリカが負けるとアメリカのランド研究所などが予想しています。

もっとも、「なぜアメリカは朝鮮戦争に参戦したのか」に書いたように、中国の共産主義化を見逃したアメリカがなぜか朝鮮半島共産主義化を全力で阻止したりしたので、論理的に、尖閣諸島のためにアメリカが中国と武力衝突する理由はないのですが、非論理的に、アメリカが中国と武力衝突する可能性はあります。ただし、その可能性は極めて低いと日本人は知っておくべきです

ところで、かりに中国が尖閣諸島を軍事占領して、アメリカがなにもしなかったとしたら、日本はアメリカに日米安保条約違反だと批判するのでしょうか。

その可能性は低いと推測します。十中八九、日本政府は「アメリカに日本の防衛義務はある。日米安保条約にある通り、アメリカの手続きに従って防衛義務は履行される」と真顔で言うでしょう。「なにを言っているんだ! 日米安保条約の対象範囲と明言されていた尖閣諸島が中国に攻撃されたのに、現にアメリカはなにもしてくれなかったじゃないか!」と批判する国会議員も必ず出てきますが、「日米安全保障条約はなんら変わっていないので、これまで通りにアメリカに日本の防衛義務はあると解釈しております」と言い逃れをするに違いありません。

「日本が攻撃されても、アメリカ政府が拒否すれば、アメリカは日本を守らなくていい」なら、「日本にアメリカの防衛義務はない」と普通なら解釈します。しかし、「陸海空軍その他の戦力を保持しない」憲法を持つ日本が、陸海空軍を持っているのですから、その正反対の解釈も成り立つのでしょう。

だから、尖閣諸島を中国が実行支配して、アメリカがなにもしなかったら、「アメリカには日本の防衛義務がある」は嘘だった、と日本人の多くが気づくかと問われたら、私は「気づかない可能性が高い」と答えざるを得ません。

そもそも、日米安全保障条約および日米地位協定は、本質的になんのためにあるかと言えば、GHQ時代の占領軍(米軍)に認めていた特権を継続させるために存在しています。では、占領軍はなんのために日本にいたのでしょうか。その理由は一つではありませんが、最大の理由といえるものが、日本が再びアメリカの敵国になることを防ぐためです。

だから、日米安保条約で「アメリカが日本を守ってくれる」というのは間違いで、「小沢一郎の『自衛隊の国連軍化』案」に書いたように、日米安保条約で「アメリカは日本の再軍備を防ぎたい」のです。在日米軍の仮想敵国は、中国やロシアや北朝鮮も含まれるにしろ、最大の敵は日本なのです。実質は「米軍は日本を攻撃するためにいる」のに、名目は「米軍は日本を守るためにいる」と大嘘をついています。その大嘘に占領統治終了後70年間も、上から下まで騙され続けている、世界史上稀にみるおめでたい国民が日本人です。

ここまで見事に騙され続けている国は、他にないでしょう。日本同様、アメリカが武力で攻め込んで、現地に親米政権を樹立させた国は、21世紀だとアフガニスタンイラクがありますが、どちらも日本人ほどうまく騙せていません。

孫崎によると、CIA不要論はこれまで何度も出てきましたが、そのたびにCIAは「日本を見ろ。あれこそCIAの傑作だ」と主張するそうです。全くその通りです。

陰謀論もいいかげんにしろ。孫崎に洗脳されすぎだ」

そんな反論が聞こえてきそうです。10年前、私も半信半疑でした。しかし、10年間、どんな本を読んでも、上記の孫崎説を覆せる証拠は見つけられず、むしろ、孫崎説が正しい証拠しか見つけられませんでした。

この仮説をすぐには信じられないにしろ、かりにこの仮説が事実であれば、この日米同盟の本質を日本が見抜けない限り、日本が「like a boy of twelve」から脱却できないことは同意してもらえるのではないでしょうか。

枝葉末節の反論はいくらでも出せることは知っています。このブログで無益な議論をするつもりもありません。それを知った上で、本質的な反論をしたい方は、下に書いてもらえると嬉しいです。