私には得意な人がいます。得意とは、「つきあいやすい」「話しやすい」「一緒に物事を進めやすい」くらいの意味です。たとえば、「倫理観に優れた人」「頭のいい人」「優しい人」は得意です。もっとも、それらの人は、私に限らず、誰でも得意だと思います。私に特徴的だと思うのは、「不幸な人」「少数派の人」「海外に関わりのある人」が得意な点です。「不幸な人」「少数派の人」と関連もしますが、障害者も得意です。
私は医療職に就いているので、障害者には頻繁に会います。私は普通に接しているつもりなのですが、私以外の医療職の人たちより桁違いに適切に対応している時がよくあるようで、障害者に私の予想外に感謝されたことが何度もあります。
そんな私だからでしょう。私の「すごいテレビ番組ランキング」の第一位はNHK教育のバリバラです。ただし、そのランキングでは20年以上も「進め、電波少年」が不動の首位だったので、一位だから名誉とは言えないかもしれません。
Wikipediaによると、バリバラは「日本初の障害者のためのバラエティ番組」と紹介されていますが、世界初なのではないでしょうか。もし海外にこんなすごい番組があるのなら、ぜひ下の「コメントを書く」で教えてもらえると助かります。
大変残念なことに、バリバラが放送された頃から現在まで、私の家にテレビはありません。だから、バリバラも友だちの家にいったときに観た時があるくらいです。番組を最初から最後まで観たことは、記憶する限り、1回しかありません。
その1回のバリバラでも私が何年も忘れられない企画がありました。片足を失った女性が脚マッサージ屋に行って、「片足しかないので半額でお願いします」と要求するのです。常識で考えて「お値段は変わりません」と即答すると思いますが、なぜか受付は上司に確認して「そういった対応はしておりません」と答えていました。すると、今度はもう一人片足の女性を連れてきて、「これで両脚になったので、1人分の料金でお願いします」と要求しました。これも受付は上司に確認していました。これらは隠し撮りだったので、カメラがあるから、この脚マッサージ店がこんな優しい対応をしていたわけでないようです。もっとも、NHKがヤラセをしていた可能性も否定できません。
バリバラはこれまで何度も炎上事件を起こしています。たとえば、「桜を見る会」を障害者たちが演じるパロディでは「アブナイゾウ首相」と「無愛想太郎副総理」が出てしまいます。「安倍晋三」と「麻生太郎」を茶化した呼び方ですが、侮辱ととられても仕方ないので、当然ながら炎上します。「健常者がやっていれば炎上しなかった。これで炎上したのは障害者差別だ」という意見もあった一方で、「健常者がやっていればもっと炎上していた。障害者だから、あの程度で済んでいた」という意見もありました。
こういった議論は、「社会的弱者」ではよくあることです。浮気報道でも「同じことを男性がすれば問題にならない。女性だから問題になった」といった意見は朝日新聞で頻出しますが、「同じことを男性がすればもっと問題になった。女性だから、あの程度で済んだ」という意見も必ずあります。
そういった問題も含めて、バリバラは社会の問題を際立たせていると感じます。一般社会でも「これはかわいい女性だから許されているだけだ。そうでない女性や男性がすれば非難ごうごうだ」という問題はありますが、バリバラではそれが目立つように私は思います。一般社会でも「当事者だけど、よく分かっていないな」という問題もありますが、バリバラだと「障害者だけど、障害者のことよく分かっていないな」という問題が目立ちます。
たとえば、はっきり言って、バリバラのご意見番の玉木幸則の人間観と社会観はひどいです。玉木にその自覚がないことも私を苛立たせます。
とはいえ、それを含めても、バリバラはすごいと思います。バリバラのご意見番でなければ、私は玉木の人間観と社会観をこのブログで堂々と批判しなかったでしょう。「確かに、この障害者の人間観と社会観はひどいが、それは本人の責任とは必ずしもいえない」などと考えて、批判もしなかった、あるいは批判できなかったと思います。
バリバラが批判する感動ポルノと比べると、バリバラは障害者の真の姿を示していることは間違いありません。誰もが助けたくなる障害者ではなく、誰もが助けたくない(と思うだろう)障害者もたくさん出てきます。誰もが助けたくない障害者がどれくらいの割合でいるのかは私も予想がつきませんが、誰もが助けたくない健常者の割合よりは少なくあるべきでしょう。
障害者の権利に関する条約では、障害者が他の者と平等に人権や自由を行使できるようにするため、必要な配慮を行うことを求めています。この配慮を「合理的配慮」と呼び、条約では「合理的配慮」をしないことは差別とされています。合理的配慮がいかなる範囲かつ内容で実現されるかについては各国の裁量にゆだねられており、様々な要素を総合的に勘案して、個々の事案に即して判断されるべきものです。
というわけで、障害者の合理的配慮は簡単に決められませんが、完全に決められないものでもありません。たとえば、上記の片脚マッサージも、「片脚であれば料金は通常の3分の2,かける時間も3分の2が妥当」などと、いずれ「合理的配慮」が決まってくるのではないでしょうか。問題なのは、「片脚ならば脚マッサージは受けられない」「片脚ならば半額と無理難題言う客はお断りだ」と一切拒否すること、あるいは片脚の人たちが「片脚で脚マッサージ行ったらトラブルになるだろうから、行くのはやめておこう」となにもしないことではないでしょうか。そうなれば、いつまでも「合理的配慮」が決まらず、健常者と障害者の分断も続きます。もし私が「片脚だから半額にしてくれ」と言われたら、「うーん。それは難しいと思います。大学の授業料だって、半期だったら半額になるわけではないですよね。3分の2ではどうでしょうか」などと提案しているでしょう。
こんなことを考えられたのも、バリバラのおかげです。