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未来社会の道しるべ

新しい社会を切り開く視点の提供

日本の歴史はいつになったら神話ではなく事実に基づくのか

私は小学生の時、魏志倭人伝を習いました。最も古い書物による日本実在記録です。しばらくして、マンガの「中国の歴史」を読んでいるとき、ふと気づきました。

(魏は三国志曹操の国じゃないか。魏志倭人伝とは、中国の歴史書の一部だ。他国の歴史書が自国の存在を証明する最古の記録だとは、情けない。ひらがな、カタカナなどの独自文字ができる前だとしても、自ら正確な歴史くらい記録しておいてほしかった)

それから10年以上たって、幕末以降の近代史を調べている時、私は次のことを感じました。

(日本の歴史を知るために、アメリカの資料を調べなければならないことが、なぜこんなに多いのか。また、アメリカの方が日本より資料が詳しいため、重要な結論がアメリカ側の一次資料に基づいていることが非常に多い)

2013年、日本に特定秘密保護法が成立してしまいました。これは多くの知識人から強い批判を浴びていますが、「国家と秘密」(久保亨著、瀬畑源著、集英社新書)を読めば、もともと日本の公文書は秘密だらけだったことが分かります。

2001年に情報公開法、2011年に公文書管理法の二つができて、ようやく日本も近代国家並みの情報公開ができるようになった、はずでした。しかし、官僚や政治家たちが「議事録の内容を公表するなら、自由に発言できない」と思ったのか、それらの法律が適切に運用され出す前の2013年に特定秘密保護法を作って、以前の体制に戻してしまったのです。

別の観点でいえば、2001年まで日本は公文書をろくに公開していませんでしたし、2011年まではそもそもの公文書をあまり作っていませんでした。「国家と秘密」によると、国立公文書館の職員数は、アメリカ2720人、ドイツ790人、韓国340人、ベトナム270人、日本47人という有様です。私が上のような感想を持つのも至極当然だったのです。

日本の公文書管理法の第1条にはこんなことが書かれています。

「公文書は健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源である」

「公文書が適切に保存・利用されることで、現在および将来の国民に説明する債務が全うされる」

魏志倭人伝の時代、日本の統治者は卑弥呼であり、神権政治が行われていました。日本の歴史書である古事記や日本書記では、卑弥呼は神話の中に組み込まれており、何年前で日本のどこの話かも全くの謎です。現在の日本はもちろん神権政治ではなく民主政治のはずなのですが、民主化の成熟度のバロメーターともいえる公文書公開度は著しく低いままです。このままでは神話時代と同じく、自国の歴史を知るために、他国の公式文書を頼りにしなければいけないでしょう。

情けないです。

日本や日本人にプライドを持っている人たちなら、日本政府に公文書作成とその情報公開を徹底して要求していってほしいです。