「本当の貧困の話をしよう」(石井光太著、文藝春秋)はひどい本でした。私が絶賛した「浮浪児1945」(石井光太著、新潮文庫)の著者であり、その他にも私が素晴らしいと考えた本の著者なので期待していましたが、裏切られました。
最初から「自己肯定感が高いことが重要だ」「貧乏でも成功する人と失敗する人の違いは、自己肯定感の有無だ」と断定しています。
「ケーキの切れない非行少年たち」(宮口幸治著、新潮新書)の著者の精神科医は、学校コンサルテーションを定期的に行っているそうです。学校で先生たちに困っている子どもの事例を発表してもらい、著者も含めたみんなでどうするかを考えます。その会で100%例外なく出てくる言葉が「この子は自尊感情が低い」だそうです。この精神科医は少年鑑別所でも働いていたそうですが、そこの少年調査書にも必ずと言っていいほど「当少年は自尊感情が低い」と書かれています。こういった表現に、この精神科医は違和感をいつも覚えると書いています。私も同感です。
「自己肯定感」「自尊感情」が高いことはいいことでしょうか。「自分は素晴らしい」「自分はもっとできる」と考えている人とは、私はあまりつきあいたくありません。意識的にしろ、無意識にしろ、他人からも高い評価を求めてしまうからです。
そもそも「人は自分のためにしか生きられない」に書いたように、全ての人は自己防衛反応からか、形は違っていても、自己肯定感や自尊感情を持っているはずです。「私には無理だ」「俺はバカだから」と言っている人でも、「そんな自分でも認められるべきだ」といった自己肯定感や自尊感情を持っていたりします。むしろ、問題行動を起こす人たちは「そんな私でもいいじゃないか」「ありのままの俺を受け入れるべきだ」という異常に高い自己肯定感や自尊感情を持っており、手に負えなかったりします。当たり前のことですが、見方さえ変えれば、全ての人は自己肯定感や自尊感情が高い側面と、低い側面を持っています。
「『自己肯定感』や『自尊感情』を高めるべきだ」と言っても、本来そうすべきかも不明ですし、具体的になにを目指したいのかも不明です。「自己肯定感」や「自尊感情」などの無意味な言葉を使用せず、「あなたが生きてもいいと分かってほしい」「あなたの価値を理解できる人もいることを知ってほしい」「達成感を味わってほしい」「成長できることを学んでほしい」など、別の表現を使うべきでしょう。