平成から令和へと、新たな時代が幕を開けた2019年。
およそ30年前に生まれた「J-POP」という言葉と共に移り変わってきた日本の音楽シーンは、今、どこに向かおうとしているのだろうか?
そんなテーマで、音楽プロデューサーの亀田誠治さんに取材を行った。
今年6月1日・2日、日比谷公園で開催される新たな音楽フェスティバル「日比谷音楽祭」の開催を呼びかけ、実行委員会の委員長を務める亀田さん。
「フリーで誰もが参加できる、ボーダーレスな音楽祭」を掲げ、豪華アーティストのステージが無料で楽しめるイベントを立ち上げた意図はどこにあったのか。その背景にあった閉塞感と危機意識とは何か。
前編では「分断」と「教育」という問題意識をキーワードに語ってもらった。
(取材・文:柴那典、写真:林直幸)
1964年生まれ。音楽プロデューサー・ベーシスト。これまでに椎名林檎、平井堅、スピッツ、GLAY、いきものがかり、JUJU、エレファントカシマシ、大原櫻子、GLIM SPANKY、山本彩、石川さゆり、東京スカパラダイスオーケストラ、MISIAなど数多くのプロデュース、アレンジを手がける。2004年に椎名林檎らと東京事変を結成し、2012年閏日に解散。2007年第49回、2015年第57回の日本レコード大賞では編曲賞を受賞。近年はJ-POPの魅力を解説する音楽教養番組『亀田音楽専門学校(Eテレ)』シリーズが大きな反響を呼んだ。
ニューヨークで目にした光景
――亀田さんが「日比谷音楽祭」の開催に携わるようになったのは、どういう経緯からだったんでしょうか。
2年ほど前、日比谷公園さんから「日比谷公園全体を使った音楽フェスをプロデュースしてくれないか」という依頼がありました。
「日比谷音楽祭」は僕の思いつきで始めたことではなく、あくまで声をかけていただいて始まったことなんです。
ただ、そこに至る前には僕自身の思いも強くありました。
――亀田さん自身の思いというと?
数年前から毎年のようにニューヨークに通っているんですが、ニューヨークのセントラルパークでは毎年6月から10月まで「サマーステージ」というフリーコンサートが毎晩のように行われているんです。
そこでは気鋭のミュージシャンからマライア・キャリーのような大物、80代のソウルの大御所シンガー、ジャズやクラシックの楽団など、世代やジャンルを越えた多種多様なアーティストの演奏が無料で楽しめる。
出演者側だけでなくお客さんも多様です。老夫婦が来たり、ベビーカーを押した家族連れが来たり、ジョギング姿の男性が来たりもする。
みなさん、朝に並んで整理券をもらうとピクニックをしたりしながら夜のコンサートまで公園で充実した一日を過ごしているんです。
それが毎日行われていて、日常の風景になっている。それを見たときに、音楽が文化として根付くというのは、CDが何枚売れたかとか、どれだけヒットしたかとか、そういうことじゃないんだと強く感じたんですね。
ニューヨークの「サマーステージ」では、何十年もかけて、音楽が人々の生活の中に浸透している。成熟した音楽文化というのはこういうことだと感じていたんです。
――そういったフリーコンサートを日本でもできないかという思いがあった。
そうです。そういうことをずっと思っていたところに、日比谷公園さんからお話をいただいた。これは天命だと思いました。「是非やらせてください」とお返事して、2年半ほど準備を進めてきました。
それに、日比谷公園はまさに日本のセントラルパークのようだと思いませんか? 東京の真ん中にパブリックな憩いの場所として公園がある。
歴史を紐解けば、現在の野外小音楽堂は明治時代に初めて軍楽隊による洋楽演奏が行われた場所でもあるし、日比谷公会堂は数々のクラシックの名演が行われた場所で、さらに日比谷公園の近くには帝国劇場や宝塚劇場や日生劇場があって、ニューヨークのブロードウェイを思わせる場所でもある。いろんなイメージがぴったりと合ったんですね。
――日比谷公園というと、音楽ファンには野音(日比谷野外大音楽堂)のイメージが大きいと思います。
そうですね。ミュージシャンにとっても、野音は武道館に並ぶ音楽の聖地です。
どちらも歴史と伝統を積み重ねてきた場所で、武道館は演奏すると天井から音が降ってくるように感じるのに対して、野音では東京の空に自分たちの音が飛んでいくような実感があります。
お客さんの顔が見えて、青空が見えて、木々が見えて、ビルが見える。そういう野外の場でライブができるというのはミュージシャン冥利につきるし、野音でライブができるというのはミュージシャンにとっても勲章ですね。
2013年から3年間、NHKのEテレで『亀田音楽専門学校』という音楽教育番組をやっていたんですけれど、その番組内の「日本の音楽聖地巡り」というコーナーでまず行ったのも武道館と野音でした。