現代の男性性の問題を考える際に大きなヒントをくれるキーワードに「ポピュラー・ミソジニー」というものがある。それはどんな概念で、どのようなものの見方を授けてくれるのか。このほど『新しい声を聞くぼくたち』(講談社)を上梓した、専修大学教授の河野真太郎氏が解説する。
女性専用車両への反発
大学でジェンダーやフェミニズムについて教えていると文字通りに必ず、100%の確率で学生から返ってくる反応がある。それは「女性専用車両」についてである。別に当該の講義で女性専用車両や痴漢について述べたわけではない。ジェンダー、フェミニズム一般についての講義への反応だ。
その反応の主旨は、女性専用車両は男性を排除するものであり、それは「逆差別」だ、というものである。
私は長いこと、この反応がうまく理解できないでいた。フェミニズム一般の話をしているところに、話題にもなっていない女性専用車両について逆差別だという反応をするのはなぜなのか、と。
さらに興味深いのは、おそらくそのような反応をする人も、男女が不平等でいいと思っているわけではないという点だ。逆で、平等であるべきだと思っている。つまり、彼ら・彼女らは、女性専用車両は男女の平等を損なっている(女性を過剰に優遇している)と主張したいようなのだ。その前提にあるのは、男女は現状において女性専用車両なしでもすでに平等なのである、ということだろう。
考えてみると、こうした学生たちの反応は、現代社会のジェンダーに関する一つの典型的な認識を示しているように見える。「すでに男女平等は達成されている」「女性ばかり優遇されている」。こうした認識が一部において強い説得力を獲得する社会とは、いったいどのようなものなのだろうか。以下では、「ポピュラー・ミソジニー」「新しいミソジニー」という概念を解説しつつ、考えてみたい。