技術立国ニッポンの復活の鍵は
「ものづくり精神」からの脱却しかない!
かつて日本は「技術立国」と称され、世界中から注目を浴びていた。ところが日本の技術文化の象徴である「ものづくり」に足を引っ張られる形で世界が推し進めるシステム化に乗り遅れた。
日本の科学技術はかつてのように世界を制することができるのだろうか? その鍵を握るのが「システム科学技術」だ。「ものづくり」に固執するのではなく、「目的」と「機能要素」を「適切に結び付ける」柔軟な発想力に日本の未来がかかっている。
はしがき
オランダの地図を開いてほしい。
アムステルダムが面している湾はかつてゾイデル海と呼ばれており海の一部であったが、現在は淡水湖である。その北側に北海とゾイデル海を隔てる大堤防が築かれたのは一九三二年のことである。
オランダの国土の約四分の一は海抜がマイナスで(海面より低くてこの地に住む人々はたびたびの高潮、洪水に泣かされてきた。ここに強固な堤防を築けばそうした水害を防ぐことができ、またゾイデル海を淡水化することによって農業用水の確保などのメリットが生じると考えたのである。
当時としてはオランダの国運を賭けた大工事であり、この計画の最高責任者となったのが、ノーベル物理学賞を受賞した高名な物理学者のヘンドリック・ローレンツであった。

土木工学や海洋学には素人に近いローレンツになぜこのような大役が回ってきたのかは不明であるが、おそらくこの工事の計画段階で激しい論争があったからだといわれている。
論点は、堤防を築くことによる影響についてである。ゾイデル海の外側にあるワッデン列島の潮位が、新しい堤防によってどう変わるかについての推定が専門家によって大きく異なり、それに決着をつけなければ堤防工事の着工はできなかったのである。潮位変化を小さく見積もる意見を採用すれば堤防の高さは低くてすむからコストは安くなる。逆に、潮位変化の大きな推定を採用すれば高い堤防を必要とするので工事業者の利益は大きくなる。どちらの側も満足させたければ両者を足して二で割るような妥協案も考えられる。
オランダ政府はどの方策も採らなかった。論争の科学的な決着をこの高名な物理学者にゆだねたのである。当時すでに六五歳になっていたローレンツはオランダ国民の義務としてこの困難な仕事を引き受けた。
一九一八年に発足したローレンツの委員会が、その最終報告を女王に提出したのが一九二六年であるから、結論を得るまでに八年かかっている。八年間のローレンツとその委員会の、あくまでも科学に基礎を置いた完壁な仕事ぶりはここでは述べない。興味ある読者は朝永振一郎博士による紹介記事を参照されたい(「自然」一九六〇年一月号)。
結果として、ワッデン列島の潮位の影響は北海からの波と堤防から打ち返す波の干渉によって打ち消し合うので、ワッデン列島に必要な堤防の高さは当初の計画よりもはるかに低いものですむことが計算上明らかになった。オランダ政府は数百万ギルダーのコストを削減することができた。この計算のもととなった近似理論はローレンツがつくり、実際の計算もローレンツ自身が行ったという。
堤防工事は一九二七年に着工された。計画では完成まで九年を要するとされたが、ローレンツ委員会が立てた計画が優れていたために予定よりも四年早い一九三二年に完成した。ローレンツの計算結果はその後、暴風が来るたびに正しいことが検証されているとのことである。