2018年の夏は異常に暑かった。そして気が遠くなるほど長かった。7月の頭からの暑さはとどまることなく、9月まで完走した夏はさまざまな異変を起こしたに違いない。我が家でもあった。「惨劇」といっても大げさではない事件が――。
2017年夏に認知症の診断を受けた前後、1年近くの闘いを経て、父親が車の運転をやめることに成功したライターの田中さん(運転をやめさせるまでの苦悩についてはこちらの記事参照)。大きな事故を起こす前に運転をやめてくれたことに安どしたのもつかの間、約7か月後に衝撃的な出来事が起きた。
気付けば自宅が血の海に
2018年7月末のこと。運転をやめて以来、よく歩くようになっていた父が、この日も、午前に2回、違うスーパーに出かけ、さらにまた午後に「暑いからやめて」と止めたのに出かけてしまった。父は介護1レベルの認知症。週に2回半日のデイサービスに行きながら、自分のことは自分でする生活をなんとか保っていた。
出かけてしまった父のことが気になりながら2階で仕事をしていると、ほどなく父が帰った音がする。その時は帰ってきたことに安心し、再びやっていたことに没頭してしまった。はっと我に返ると、20分ほど経過していた。いつもなら買い物から戻ったらすぐに2階の自室にあがる父の気配がしない。
胸騒ぎがして階下におりると、洗面台に赤いものが見えた。確認にいくと、鮮血のしずくがぼたぼたと落ちている。「何これ?」と、急いで父がいる居間にいく廊下にも、血がたれており、それを追いながら居間に入ると視界が赤に染まった。
血だまりよりも目立ったのは、床に広がったおびただしい数の赤く染まったティッシュだ。「この血を流したのは父?それとも猫に何か?」と、混乱しながら部屋の奥を見ると、父が窓際で外を見ている。「お父さん、これ何?」と大きな声で問いかけると、父は妙に落ち着いた声で「なんでもない」と言いながら振り返った。
逆光でよく顔が見えないが、フォルムに違和感を覚えた。近寄ると息がとまった。額の広範囲に血糊がついている。が、その下が妙に白くて硬そうだ。
これは骨だ。骨がむきだしになっている。
「救急車を呼ぶから」と動揺して電話を取る私の背後から、「そんなのいいよ。大げさな」という声が返ってきた。この状態で何を言ってるのか、しかも痛くないの? 父は痛がることもなく部屋をうろうろしており、その平然とした様子がむしろ不安を煽る。とにかく買い物からの帰り道に顔から転んだことだけ確認をした。
「自宅に皮があると思うから持ってきて」
やってきた救急隊員に父が認知症であることを伝えると、時間の経過や状況を聞かれた。本人は「いやぁ駅から帰ってくる間に、ちょっと転んじゃって」と答えている。聞き取りにかなりの時間を割き、市民病院の救急外来へ。隊員の方が「おでこ、骨にみえるけど膜だと思うよ。あんな広範囲が骨のはずないよ」と慰めてくれた。しかし私は「あれは骨だ」という確信があった。
広い待合室で、私の頭の中は「どうして父が帰ってきた時にすぐ階下にいかなかったのだろう」という悔いと、「一体どうしたらあんなことになるのか?」という疑問でぐるぐるしていた。30分ほど経った頃、医師が出てきて言った。「おでこの皮も肉もないから縫えないんだよね。本人は流しに捨てたって言ってるから、取りにいってくれる? 暑さでだめになってるかもしれないけど」。
流しに皮と肉を捨てた? いや、皮つき肉か。やっぱりあれは骨だったが、「そうなる前に皮と肉がどこかにあるはず」ということに、この時まで思い至らなかった。
タクシーで急ぎ自宅に戻り、待機してもらって走って台所の流しに向かった。タイミングの悪いことに、昼すぎに私は桃を食べていて、その皮も捨ててある。暑さで腐りつつある生ごみの中を注意深く探ると、桃の皮か人間の皮膚かわからないものと共に、生しゃけの分厚い皮のようなぬるっとした手触りの分厚いものに触れた。
確認するように水で洗ったが、これが自分が探しているものか判断もできない。とりあえず疑いのあるものは全て氷水の入ったビニール袋につっこみ、また病院に車で向かった。
奇妙なものが入ったビニールを手でつかんでいる私が異様に見えたのだろう。運転手さんが「お客さん、それ何すか?」と聞いた。
「顔の肉付きの皮かな」。