20世紀の科学技術がもたらした幸福
2020年明けから、いつ晴れるとも知れない暗雲が地球を覆っている。新型コロナウイルスと人類との闘いが、持久戦の様相を呈してきているのだ。
21世紀を目前にしたころ、20世紀に登場した「人間を幸せにしたモノ」についてのアンケートに内外の識者が回答した。テレビ、飛行機、コンピューター……などを抑えて、堂々トップに立ったのは、実に「抗生物質(ペニシリンなど)」だった(2000年4月27日付『読売新聞』)。上位を占めたのは、いずれも科学技術の産物である。
それから20年、21世紀初頭に人類を見舞った空前のコロナ禍。飛行機によってヒトと共に運ばれたウイルスが感染を広げ、連日のテレビ報道を横目に見やりながら、在宅でコンピューターと向き合ってテレワークに勤しむ日々……。“幸せなモノ”に囲まれているはずの生活が、ちっとも幸福に見えないではないか。
決定的なモノが欠けている。前述したアンケートのトップにあるような薬である。病原体であるウイルスが根絶できそうもなく、治療薬やワクチンの登場は、人類共通の悲願となっている。残念ながら、ペニシリンに代表される抗生物質とは、抗菌薬のうち微生物が生産した物質のことである。細菌に対しては有用でも、ウイルスの前では無力である。
人類と感染症との長い戦い
さて、1928年にフレミングが青カビからペニシリンを発見し、一部の細菌との闘いに勝利するまでには、実に長い歴史がある。有史以来、人類は、死病と恐れられていた数々の感染症(伝染病)を乗り越えて生き永らえてきた。
一国あるいは一地域に暮らす大多数の人が死亡することもあり、感染症は、時として歴史を左右するほどの脅威となった。インカ帝国が16世紀に滅亡したのは、麻疹(はしか)や天然痘によって、人口崩壊を起こしたことが原因だとされる。また、中世ヨーロッパでは、ペストが蔓延して人口の半数が命を落とし、封建体制の崩壊につながったという。
人類の歴史が、感染症との戦いであるならば、医学の歴史は、感染症を克服しようと挑んだ日々と言えるかもしれない。世界各地で、疫病(伝染病)について紀元前の記録が見つかっている。日本では、8世紀の『日本書紀』に、疫気(えやみ)の記述がある。もっとも、疫病を鎮めようにも、加持祈禱に頼るか、今から見れば根拠の乏しい治療しかなかった。
目に見えない微生物が、伝染病を起こしていると次第に明かされ、それを標的とした治療が誕生するのは、はるか近現代まで待たねばならない。17世紀、オランダのレーウェンフックは、自作の顕微鏡で微生物の存在を確認し、観察記録を投稿した。しかし、それは単なる微生物の発見話にとどまり、医学的な解明が進むのは、それから200年して、近代細菌学の祖とされるコッホやパスツールが登場してからだ。