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2021.03.13
# シン・エヴァンゲリオン # 映画 # エンタメ

『シン・エヴァ』、優しい「ネタバレ配慮」がネットに溢れる「独特の理由」【ネタバレなし】

森 功次 プロフィール

しかしこうした公式の動きをふまえたとしても、今回の雰囲気は、鑑賞者たちの配慮と敬意によって自発的に形成されているところが大きいだろう。この雰囲気は、公式発表への従順・忠実さだけでつくられたものではない(とはいえ、このような配慮と敬意に満ちた空気は、公開直後に見に行ったコアなファンによって作り出されるものであろうから、すぐに霧消していくのだろうが)。

このネタバレ配慮の雰囲気を生み出しているものは、何なのだろうか。『シン・エヴァ』をとりまくこの雰囲気は、他の作品のそれと何が違うのだろうか。この考察からは、ネタバレの悪さを語る上での重要な論点が見えてくる。

 

ネタバレは文化論的に興味ぶかい現象である

ネタバレという事象について、すこし一般的な話をしておこう。

ネタバレというのは、私の専門である美学・芸術哲学の観点からすると、とても興味ぶかい現象である。ネタバレはなぜ悪いのか、何がネタバレにあたるのか、人はなぜあえてネタバレ情報を読みに行くのか。考えるべき問題は多々ある。

ネタバレは避けるべきものだと一見思われがちだが、ネタバレされてもOKですよ、という人は実は結構いる。しかも、SNS等でネタバレに触れてしまうのはもはや避けがたい、という「やむなく受認派」ではなく、ネタバレ大歓迎、むしろネタバレ情報を読んでから鑑賞したい、という「積極的歓迎派」も案外たくさんいるのだ。

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