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2022.01.09

「やたらと“エビデンス”を求める人」と「陰謀論にハマる人」、その意外な共通点

じつは両者は似ているのかもしれない…

「それってエビデンスあるんですか?」

世の中には、それを言われると言葉に詰まってしまう「脅し文句」がある。「誰に向かってものを言っているんだ」とか「……ですが、何か問題でも?」といった言い回しはその典型だ。最近そこに加わったように見えるのが、「それってエビデンスあるんですか?」である。

誰かがこう問い詰められているのを見ると、見ているこちら側まで少しドキッとしてしまう。もちろん、何らかのデータを持っていれば良いのだが、24時間365日あらゆる発言をデータに基づいて行うわけではない。だから、隙あらばこのフレーズを使うことができる。そういう事情もあってか、「個人的な意見ですが……」とか「あくまで印象ですが……」とあらかじめ断ってから話し始める光景も珍しくない。

言うまでもなく、「エビデンス」を求めることそれ自体は良いことである。何のデータもないよりは、根拠となるデータがあった方が良い。何らかの意思決定に関わる問題ならなおさらだ。データとは無関係の「直感」に従って施策を決めるのは、リスクが大きすぎる。

ところが、この言葉はしばしば、必要以上に攻撃的なニュアンスを帯び、相手を黙らせる道具になっている。

〔PHOTO〕iStock
 

「エビデンス」がなぜ流行るのか?

そもそも、数年前まで「エビデンス」という言葉はさほど耳慣れたものではなかった。しかし近年、この言葉は少しずつ社会へと浸透し、「コロナ禍」の中で完全に定着したようだ。

新型コロナウイルス感染症が話題になり始めた2020年初頭には、マスメディアで「エビデンス」が連呼されるのを見るたび、「ちゃんと通じてるの?」と少し心配になった。けれども、その後、この言葉は見る見るうちに市民権を獲得し、菅義偉総理が「Go Toトラベルが感染拡大の主要な原因であるとのエビデンスは現在のところ存在しない」と発言した同年11月末には、すっかりお馴染みのフレーズになっていた。いまでは専門家どころか一般の人までもが口々に「エビデンス」を語るようになっている。

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