近年、スマートフォンやタブレットなど個人の端末の普及で、ネットが“当たり前”の存在になってきました。ノマドワーカーのように、ネットを駆使した多様な働き方も。ネットは働く人の重要なツールの一部になりました。Webサイト「ほぼ日刊イトイ新聞(ほぼ日)」の主宰として、ネットの今までとこれから、そして「はたらくこと」を見つめている糸井重里さんに、働く人とネットの関係性について聞いてみました。
■ しっかり休むと、ネットは「欠かせる」と思える
――早速ですが、糸井さんはスマートフォンユーザーですか?
糸井 発売から間を置かずにiPhoneを使い始めました。仕事では、メールと、Twitterに使っています。
――スケジュール管理は?
糸井 自分の予定は、今日何をするか、メールで毎日もらっているんですよ。それを見るためにiPhoneを使っています。社内ではサイボウズを使っているので、こいつはここにいるんだというのはiPhoneで確認しています。
――なるほど。仕事をする上で、ネットにつながる端末は欠かせないと感じますか?
糸井 いやあ、このごろ「欠かせる」んじゃないかなあって。しっかり休むと、いらなかったなあと思うんですよね。データに向かう時間に向かえばいい。絶えず首輪やリードを意識して生きなくていいんじゃないかなあと。
僕の知っているあいつやあいつが今何しているか知ることに、何の意味があるんでしょう。僕が今うどんを食べていることを人に言って、何の意味があるんでしょう。こんなことはしないで生きていたはずなので、(ネットとのつながりを)薄めようと。いい休みが取れるほど、そういう気持ちになりますね。
■ 働き方に“ありなし”はない
――ネットが普及したことで、働き方も多様化してきたと感じます。例えば、オフィスを持たないノマドワーカーや、自身のPRサイトを製作して企業にアピールする就職活動生たち。そういう人たちの動きをどう思いますか?
糸井 ごく自然なことだと思っています。行為そのものに「いい」や「悪い」は言えなくて、品質があると思うんです。ノマドワーカーの中に、「あいつの働き方いいねえ」とつい言いたくなるような人や、いい問いかけをしてくれる人がいれば「いいね」と言うと思うんです。
例えば寿司が好きでも、まずい寿司はいらないじゃないですか。おでんが嫌いでも、おいしいおでんはおいしいかもしれない。“おいしい”か“まずい”かが大事で、ジャンルや方法は、案外みんなに平等に配られているものだから、問題じゃないと思います。ただ、資本がなくてもできることが、どんどん増えていくのはすごくいいですよね。
――たしかにそれはネットの大きな魅力ですよね。自分でサイトを作って、少しのサーバー代があればいいくらいで。
糸井 それくらいですよね。それはすごいことですよ。
――ネットで活動している人の中には、定職には就かずに、自分で働く場所を作る人も増えています。
糸井 あらゆる場所に仕事があるんだったら、全部ありだと思います。戦後には、鉄くずを拾って歩いても仕事になったわけだし。
――ありなしの問題ではない。
糸井 ありなしの問題ではないですね。その中に、注目に値する面白い働き方があれば面白いと思うし。面白くなければ、面白くない。
――糸井さんが最近面白いと思った働き方はありますか?
糸井 ニコニコ動画(ドワンゴ)の川上量生さんは面白いと思ったなあ。川上さんが、鈴木敏夫さんのかばん持ちとしてスタジオジブリに入りましたよね? あれ、僕もやりたいようなタイプ。いくらくれるからどこに行きたいじゃない。ああいう自由があることを本当にやって見せてて、しかもだんだんと“意味”が出てきてますよね。
――糸井さんがかばん持ちをするなら、誰のところに行きたいですか?
糸井 僕にはそういう人、あまりいないかもしれないなあ。やっぱり年齢差があって、年上のほうがいいです。どこかの部族の首長とか、全然分からない外国人とかのほうがいいかもしれないねえ。
■ 地方で働く人の壁と距離を円滑にするネット
――糸井さんは地方で働くことについてどう思いますか? 少し前までは、やりたいことが都心に集中していて、東京で就職する人が多かったですが、最近は場所にとらわれずに働く人が増えてきていますよね。
糸井 僕がかつて想像していたよりも、地方の可能性はものすごく増えたと思います。同時に、限界もある。都会という場所は、別の刺激が山ほどあって、ぶつかるとどう対処すればいいか分からないくらい大きな摩擦熱が起きる。なので次の展開が思いつきやすいんです。地方は、ひとつのアイデアをどんどん育てていくことはできるんだけど、それを邪魔する別のアイデアや、批評的にいいアイデアを育ててくれる人に出会うのがものすごく難しいと思うんです。
――自分の意見を育てるにはいいけれど、誰かの意見を取り入れるのは難しい。
糸井 そうです。自分の持っているコンセプトが危ういと感じる刺激を受けるには、地方は難しい。都会だと、もっと面白くする機会が隣に偶然いたというようなことがある。何をどう育てるか、何をどうしたいかで、持ち場が違うような気がしますね。都会はやっぱりすごい。だけど、そのダメさもある。早く捨てて次に行かなきゃいけないと焦っては、面白いものを育てられないことがありますから。そこは、両方できるといいよね。
――そうですね。
糸井 僕が京都にいる時間を増やそうと思ったのも、東北との行き来を意識的に続けているのも、地方と都会を両方感じられるから。両方をやりやすくしてくれるのは、ネットですよね。「さあ今から行きます」とか「行かないけどできます」とか。それはすごいことですよね。
――つながっていますよね。
糸井 うん。
■ “おしゃべり”のためのネットが多すぎる?
――ほぼ日刊イトイ新聞が1998年6月にスタートしてから今まで、ずーっとネットに触れてきた糸井さんから見て、最近のネットに思うことはありますか?
糸井 なくてもいいよってことを、思い出しているんじゃないかなあ。何でも、なくてもいいんですよね。タバコに依存する、恋人に依存する、親に依存するのと同じように、ネットがないと生きていけないと思いすぎていた。もう一度自由に選び取るというか、同じ人と結婚し直すみたいな。ネットと1回離婚して、もう1回結婚し直すみたいなことが必要かもしれませんね。
――個人が使えるようになればなるほど、殺伐とした話題も増えてきた気がします。
糸井 おしゃべりのためだけにある部分が多すぎますよね。頭の中で済むことのために費やしているネットがちょっと多い。
例えば、里芋を植えようとしている人が、ネットで「こうするといい」「ああするといい」と言われたら、頭の中だけで終わらない。失敗しても言った人が責任取ってくれるわけじゃないから、慎重に選びますよね。里芋ができて食べることができたら、ネットが役に立った例。でも「里芋を育てるってどういうことですか」と呼び掛けて「あーでもない」「こーでもない」と言われて「なるほど里芋ってこういうことなんですね」で終わるのは、なんだか面白くないんだよね。何をやりたいか、生身の隣人とどういう関係を結ぶのかが人間にとって面白いことなので、ネットを主にして考えるのは「依存じゃないの?」と思います。
――働く人が上手にネットと付き合っていくには、どうしたらいいと思いますか?
糸井 やっぱり依存しないこと。いつでも別れられると思って付き合うこと。自分もそうしたいと思っています。ほぼ日も「ネットをやめていいんだよ」と平気で言えたらいいですね。
■ 遊んでいるのか、仕事なのか分からない状況で働きたい
ほぼ日は2013年6月、働くことを考えるイベント「はたらきたい展。」を、東京・渋谷で開催しました。東京での反響を受けて、2013年12月28日~2014年1月19日には、大阪・梅田ロフトに巡回。関西を中心に、多くの人が訪れました。働くということをずっと考えてきた糸井さん自身は、どう“はたらきたい”のでしょうか。
――「はたらきたい展。」の巡回は最初から考えられていたんですか?
糸井 あんまり考えてなかったです。東京の反応がよくて、どの街にも「来たい」と言ってくれるお客さんがいると分かった。ビジネスじゃなくて、喜んでもらえるならやろうかなあと。あと“練習”になるから。
――今後も別の街に?
糸井 行く、と思う。いくつやれるか分からないですけど、あとひとつ、ふたつですかね。
――最後に、糸井さんは、どう働いていきたいと思いますか?
糸井 うーん。遊びたい。
――それは、働きながら遊びたい?
糸井 どっちだかよく分からない遊びが一番いい。「儲(もう)けるな」という仕事のほうが、実は難しいんですよ。だから“練習”する。まあ、やりたいことをやっているから、これでいいのかもしれない。
糸井さんに、はてなのステッカーをプレゼント。取材中、ずっと左胸に貼ってくれていました