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清水の舞台から飛び降りる思い?京都・祇園界隈を練り歩く
京都清水の舞台から飛び降りる思い?京都・祇園界隈を練り歩く
まいどまいど! 日常生活において思い切った判断・行動を起こすときに使われることわざ「清水の舞台から飛び降りる」の由来ともなった場所は京都・東山にある清水寺として知られてはりまんな。 ここは年中を通じて、海外からぎょうさんの外国人観光客が訪れて参拝してはります。 清水の舞台は京都市内を一望することができ、京都の街並みを眺めたり、記念に写真を撮っている人の姿も。 清水寺の近くには、縁結びの神様として知られる地主神社が鎮座してはります。 元々は、清水寺の鎮守社であったといい、境内には10m離れた場所に大きな石が2つがある。 ここでは、目を閉じて、その石から石までたどりつけば、願いが叶うといわれてはりまんな。 ほんでまた、大阪城を築城した豊臣秀吉はんを祀る豊国神社が鎮座している他、テレビなどで取り上げられることの多い八坂神社やテレビコマーシャルのロケーションなどでも使用された東福寺もオススメでおまっせ。 ほんで、なんちゅうても、京都屈指の繁華街といえば、祇園でんな。 舞妓・芸妓はんでおなじみの芸者はんが活躍する祇園を散策しながら、京都らしさを発見しまひょ! ほな、まいどおおきに~!
山号は音羽山。 本尊は千手観音。 開基は延鎮。 かつて、法相宗に属したが、現在は北法相宗大本山。 西国三十三所観音霊場の第16番札所。 清水寺は法相宗(南都六宗の一)系の寺院。 石山寺(滋賀県大津市)、長谷寺(奈良県桜井市)などと並ぶ、日本でも有数の観音霊場。 「古都京都の文化財」としてユネスコ世界遺産に登録。 境内は標高242mの清水山(音羽山)中腹に立地。 本堂東側には寺名の由来ともなった名水が3本の筧から流れ落ちており、音羽の滝と呼ばれている。
清水の舞台
国宝に指定。 徳川家光の寄進により1633年に再建。 「清水の舞台」とも呼ばれる。 この高さから眺める京都市内の景色は圧巻。
眺望
京都市街地を一望することができる。
清水寺に隣接する場所に鎮座。 江戸時代までは清水寺の鎮守社であった。 主祭神は、大国主様。 縁結びの神さまとして知られている。 創建は日本建国以前の神代とされる。
御車返しの桜
1633年、現在の社殿は、徳川家光によって造営。 国の重要文化財に指定。 世界遺産「古都京都の文化財」に登録。
恋占いの石
境内には約10m離れた場所にある2つの守護石「恋占いの石」。 目を閉じて、その石から石に辿り着けば恋が叶うとされている。 また、「恋占いの石」は原子物理学者ライル・ボースト博士による科学的な年代測定で縄文時代のものであることが判明した。
京都を代表する和菓子の一つ「八ッ橋」を販売する老舗として知られ、店先には「元祖八ッ橋」という看板を掲げる。 本家西尾八ツ橋の流れを汲む、完全手作業製造・梱包、添加物無添加。 餡入り八ツ橋が4角形で、通年販売は一般的な餡入りと抹茶餡入りが販売。 本家西尾八ツ橋の本社は京都府京都市左京区にあり、1689年に山城国愛宕郡聖護院村八ッ橋屋として創業。 故事「三河国八ッ橋」に感銘を受けた元禄時代の西尾家が橋に似せた米粉の煎餅菓子を作ったのが西尾八ッ橋の由来。 明治時代、菓子博金賞、パリ万博で銀賞を受賞。
祭神は菊理媛神・速玉男命・事解男命の3神。 幕末から明治維新にかけて活躍した人物の御霊を奉祀するため、東山の霊山の佳域社を創建。 霊山官祭招魂社と称したが、京都霊山護国神社へと改称。 戦後、宗教法人・神社本庁の包括下におかれ、国家の手を離れた。 GHQ占領下においては京都神社に改称。 独立後は元の社名に復した。 1970年、明治維新関係の資料を展示する「霊山歴史館」が開館。 松下幸之助の寄付により建設され、幕末から明治維新にかけて活躍した坂本龍馬や新選組らを筆頭に、西郷隆盛、中岡慎太郎、木戸孝允、高杉晋作など倒幕派志士の遺品とともに、徳川慶喜、松平容保など幕府側に関する資料も数多く展示。
豊臣秀吉に嫁いだ寧々。 秀吉の没後、当地で過ごしたことにちなみ、「ねねの道」と名付けられた。 別名、高台寺道。
観光に人力車
京都市内中心部では観光客を乗せた人力車が走り抜ける。
臨済宗建仁寺派の寺院。 山号は鷲峰山、寺号は高台寿聖禅寺。 豊臣秀吉の正室である北政所(高台院)が秀吉の冥福を祈るために建立した寺院。 寺号は北政所の落飾(仏門に入る)後の院号である高台院にちなむ。
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京都を代表する人気観光地の一つに数えられる清水寺と高台寺の間に位置するため、多くの人通りがある中、見つけたのは、釜座(かまんざ)の清水二年坂店。 うどんやそばなど、和食中心のお品書き。
湯葉丼とそばの定食
京都といえば、湯葉の丼。 アツアツのごはんをホフホフをいただきながら、美味しいおつゆと一緒にそばをいただく贅沢な逸品。
1867年、新撰組の一員であった伊東甲子太郎は、近藤勇らとの意見の不一致により対立し、新選組を離脱した。 また、同じ志しを持った者を新選組から引き抜いて結成した。 一和同心・国内皆兵・大開国大強国を基本とし、公議による朝廷(公卿)中心の政体づくりを目指す独自の政治活動を展開した。 油小路事件で伊東・藤堂・服部・毛内が死亡し、残った同士は薩摩藩邸に逃げたことにより解散。 その後、赤報隊に2番隊として参加した。
国の名勝に指定。 園域は八坂神社、知恩院に隣接する。 圓山公園とも表記される。 「祇園枝垂桜」に代表される桜の名所である。
全国にある八坂神社や素戔嗚尊を祭神とする関連神社の総本社。 通称、祇園さんと呼ばれる。 毎年7月に行われる祇園祭(祇園会)で知られる。
境内
656年、高句麗から来日した調進副使・伊利之使主の創建。 牛頭天王は釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神とされ、名は新羅の牛頭山に由来。 そして山城国愛宕郡八坂郷に祀り、「八坂造」の姓を賜ったのに始まる。
祭神は、素盞鳴尊、大己貴命。 別名、感神院新宮、粟田天王宮。 平安時代、神祇官並びに陰陽寮より「兵災、疫病が多くなる」と天皇に奏上された。 そこで、全国の諸神に御供えをして国家と民の安全を祈願。 その際、従五位上出羽守藤原興世は勅使として感神院祇園社(八坂神社)に七日七晩、丹精を込めて祈願。 興世の枕元に一人の老翁・大己貴神が立ち、「祇園の東北は牛頭天王に縁ある地なので、其処に祀れ」と告げて姿を消した。 興世は朝廷に奏上し、勅命によりその地に社を建て御神霊をお祀りした。 一説では、孝昭天皇の分かれである粟田氏がその地を治めていた時に氏神として当社を創建したとも。
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1954年、友禅染の始祖・宮崎友禅生誕300年を記念して改修造園。 東山の湧き水を引き入れた庭園と枯山水の庭園とで構成。 苑内には裏千家ゆかりの茶室「華麓庵」と当山第86世中村康隆猊下の白寿を記念して移築された茶室「白寿庵」がある。
開基は、伝教大師最澄。 本尊は、熾盛光如来。 三千院(梶井門跡)、妙法院と共に、天台宗の三門跡寺院。 「門跡寺院」とは皇室や摂関家の子弟が入寺する寺院のことで、これまで多くの法親王が門主(住職)を務めた。 江戸時代、仮御所「粟田御所」となった。 日本三不動の一つに数えられる「青不動」がある。
祇園社(八坂神社)の門前町であったのでこの名が付けられた町名。 鴨川から東大路通・八坂神社までの四条通の南北に発展した。 舞妓が活躍する京都有数の花街であり、地区内には南座(歌舞伎劇場)、祇園甲部歌舞練場、祇園会館などがある。 国の重要伝統的建造物群保存地区として選定。 京都市の歴史的景観保全修景地区に指定。
中心部
多くの観光客でにぎわっていた。
夜の祇園
日没後、家々がライトアップされ、華やかさに花を添える。
日本の三大祭の一つ「祇園祭」についての歴史や資料などを中心に保存展示している施設。 原寸大の鉾が設置され、見学できる。 山鉾の模型や祇園祭の見どころを上映する屏風型のモニターも。 また施設内にはギャラリー・ショップがあり、京都に関する書籍や雑貨が販売されている。
漢字をテーマとした博物館および図書館。 2016年、公益財団法人日本漢字能力検定協会により開設。 漢字に触れたり、学んだり、楽しんだりできる。 2011年、京都市立弥栄中学校が閉校し、跡地に建設された。
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花見小路通は京都市の南北の通りの一つ。 全長約1km。 京都を代表する人気観光地の一つである祇園の中心にあたり、メインストリートとして知られている。 明治時代、建仁寺の境内地であったが由緒ある茶屋や料理屋が立ち並ぶようになった。 2001年、電線類地中化が実現し、石畳の整備が完成。
祇園ファーストビルにある飲食店街。 昭和時代の雰囲気が漂う商店街として人気を集めている。
吉本興業が運営する「よしもと祇園花月」の公演が行われる。 その他、毎年11月には名物の祇園をどりの開催地となる。 また、隔年に開催される京都映画祭の会場ともなっている。 1958年、開館。 外壁は、開館当時から現存するタイル壁画である。 2012年、映画館として営業していた。
芸能プロダクション・プロモーター・テレビ番組制作プロダクションとして知られる吉本興業が運営するよしもと祇園花月にある喫茶店。 店内はテーブル席がある。 1978年、開業。 メニューはお茶やコーヒーをはじめ、ジェラート、ロールケーキ、プリン、トーストなど。
特製牛すじカレーライス
特製牛すじカレーライス
中華そばの専門店。 店内はカウンター席のみ。 2023年、開業。 国産鶏ガラ、国産豚背骨、淡路産香味野菜に醤油ダレが特徴。
中華そば
メニューは中華そば、ニラそば、まぜそば、あんかけ中華そば、ネギそばなど。
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鶏と野菜をベースにしたスープが特徴のラーメン専門店。 店内はカウンター席とテーブル席がある。 メニューは京らぁめん、とろ旨 ちゃあしゅうめん、辛味噌らぁ~めん、餃子、から揚げなど。
多くの芸能人が訪れるとか
場所は吉本興業が運営する祇園花月の目の前に位置するため、多くの芸能人が訪れるとか。
1924年、明治時代の実業家・村井吉兵衛が興した村井銀行の「祇園支店」として建築。 設計は建築家の吉武長一。 吉武は米国のペンシルバニア・テクニカルカレッジで建築を学んだ。 村井吉兵衛は明治時代、京都の煙草商の次男として誕生。 煙草の行商を始め、米国人技師の協力で日本初の両切り紙巻き煙草を製造し、「サンライス」を発売。 葉を包んで紙を巻き上げる工程を完全自動化したボンサック式巻き上げ機を導入して発売された「ヒーロー」は年間生産量日本一を達成。 1900年、パリ万博では金賞を受賞。 煙草界で頭角を現した吉兵衛は、「煙草王」と呼ばれた。
江戸時代から続く日本最古の劇場。 桃山風の造りは、登録有形文化財に指定。 また南座がある川端通沿いには「阿国歌舞伎発祥地の碑」が建立。 出雲阿国は、歌舞伎の創始者とされ、ここが最初の歌舞伎興行となったとか。
江戸時代、四条河原での興行が許可された7か所の常設芝居小屋の一つ「北座」。 1893年、北座と南座のみ興行していたが、北座が閉鎖。 現在、南座のみの興行となっている。 井筒八ッ橋本舗は「北座」に因んで外観を劇場風に改装し、本店と博物館「北座ぎをん思いで博物館」を併設。 1階には井筒八ッ橋の直営売店、2階には「井筒茶店」がある。 「北座ぎをん思いで博物館」では祇園町の歴史や文化を紹介。 祇園にゆかりのある吉井勇や谷崎潤一郎などの文化人の遺品や遺作、伝統的髪型などを展示・公開。
滋賀県の比叡山付近から京都府京都市内を流れる鴨川までを結ぶ白川に架かる橋。 白川の最も下流側にあたる。 当所、江戸幕府によって石柱、石桁、石板形式で架橋。 1912年、架け替えられた。 2003年、高欄と石畳舗装の改修。 白川という名の由来は、流域一帯の地質が花崗岩であり、川底の砂が白いことから。
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石畳の道に紅殻格子の町家が並ぶ。 春にはソメイヨシノやしだれ桜が咲き誇り、花見客でにぎわう。
街並み
街並み
街並み
街並み
別名、祇園のお稲荷さん。 祭神は狸。 かつてこの界隈には狸が住んでいてよくイタズラをしていた。 狸を祀る祠を建立するとイタズラがなくなったとか。 京都御所より辰巳(南東)方向にあることから「辰巳大明神」と呼ばれた。 白川沿いに鎮座し、昔から人々の信仰が厚く、特に芸妓さん舞妓さんの姿があるとか。
祇園を愛した歌人の吉井勇氏が詠んだ一首、歌集「酒ほがひ」の一つ。 かにかくに 祇園はこひし 寐るときも 枕のしたを 水のながるる 吉井勇氏は1886年生まれ。 当時、白川の両岸には茶屋が建ち並び,建物の奥の一間は川の上に少し突き出ていたことから「枕のしたを 水のながるる」。 1945年、第二次世界大戦中に白川北側の家々は強制撤去され、周辺の茶屋「大友」も対象になった。 大友は文人や画人らと交流のあった磯田多佳の茶屋。 歌碑は吉井勇氏の古稀(70歳)の祝いとして建立。
1917年、日本最初の駅伝競争が4月27日から3日間、奠都五十周年記念大博覧会「東海道駅伝徒歩競争」として開催された。 競争区間は京都・三条大橋から東京・上野不忍池の博覧会正面玄関までの約508km、23区間に分けたもの。 当地はそのスタート地点。