異端審問官の行動原理
まずこの話からしよう。現在、NHK総合テレビで『チ。-地球の運動について-』というアニメが放送されている。「15世紀のヨーロッパを舞台に、禁じられた地動説を命がけで研究する人間たちの生き様と信念を描いた」フィクション作品らしく、時折目から鱗の指摘や表現が飛び出てきてなかなか刺激的な作品だ。その中で、歴史上悪名高き「異端審問官」が描かれており、恐ろしい描写も(たぶん、NHK的範囲で)なされている。
エピソード10『知』では、新たにそうした異端審問官になる若い聖職者たちに向けて、司教から言葉が与えられるシーンが描かれている。次のようなものだ。
「こんにちは、親愛なる兄弟たちよ、知っての通り、諸君らは今日から異端審問の職に就く、その前に私から一つ話したいことがある。この職の重要性についてだ。
数百年前、西ローマ崩壊後、社会は秩序を失った。混乱と暴力が蔓延り、権力が生まれては消え、バラバラな人類を統一する術は無かった。誰も彼もが皆、大切なものを奪われた。そんな狂気の沙汰に唯一希望の光を照らしたのが、我々の帰依する教会だ。
社会に文化と道徳を布教し、日々に愛と救済を与えた。教会により人々は繋がる。この素晴らしき行いに、文句を付ける者が居ようか。
驚くことに居るのだ。それこそが異教、異端者だ。
奴らは信仰を失い、破戒に存在意義を覚える。履き違えた自由を謳い、道徳や倫理を砕き、救いと希望を放棄し、人々を分断する。
我々は彼らを、異端者を、救わねばならん。
彼らは悪魔に唆された被害者だ。彼らの魂は死後、地獄へ行く。こんな悲惨な事は無い。君等の仕事により、異端者を改宗へと導いてほしい。
今を生きる我々は、かつての錯乱した時代を見たことはない。しかしだからこそ、二度とそのような時代を訪れさせるわけにはいかない。その責任がある。
家族のため、未来のため、信徒のため、そして異端者のため、君らが必要だ。その仕事で、君らの情熱で、全人類を救ってくれ。
頼む。」
『チ。-地球の運動について-』 ep.10『知』より、司教の言葉。
司教は、権威で強制するわけでも、恐怖で縛り付けるわけでもない。理性的に、善意に訴えかけて、「異端者を、救わねばならん」と説く。*1
「家族のため、未来のため、信徒のため(略)君らの情熱で、全人類を救ってくれ。頼む」と説く。
こうした善意に送り出されて、あの猖獗を極めた異端審問が行われたと思うと、人間の業の深さを思わずに居られない。この番組では他にも凄惨な異端審問官の行状が描かれているが、この情景はそれらを凌駕する、恐ろしい光景であり言葉だ。
現代の異端審問官
現代においても「異端審問官」は存在する。突然、誰かが誰かを指差す。この社会を、世界を、そして国家を脅かす存在と。そして指差された者の下に「異端審問官」が殺到し、ムチが打たれ、石が投げつけられ、十字架に架けられ、火を付けられる。「異端審問官」に悪意は無い。または悪意を認識できない。彼らを駆動するものは、信念であり、情熱であり、善意だ。
まさに、「地獄への道は善意で舗装されている」
果たして私達は、こうした言葉、善意を超克することができるだろうか。
昨今、行われた選挙。「SNSの勝利」などと言う言葉が生まれた。
東京都知事選挙における「石丸現象」、兵庫県の斎藤元彦知事のまさかの再選、そして名古屋市長選挙。ここには「異端」が存在し、「家族のため、未来のため、全人類を救」うために情熱を傾ける「異端審問官」が居た。
名古屋市長選挙において、河村前市長の市政を後継する候補は「減税」を継承し、対立する候補は「増税」を行う。その「増税」によって収益を確保し、税収から利権を得ようとする、自民、公明、立民、国民の各既存政党共同体による利権獲得集団の代理人であって、市民、納税者の手取りを、こうした利権集団に奪おうとしている。河村前代表の後継者は、こうした利権集団から「減税」という形で税を奪い返し、納税者、有権者の為に戦っているのである!
などと大げさな騒ぎを引き起こした。
名古屋市における市民税減税は、元々課税率6%だったものを、5.4%に、0.6%下げるというもので、これを 「0.6% 減税」と言わすに 「10% 減税」と言ったのが幻想のはじまり。今でも手取り所得が10%減税されるという勘違いを、経済アナリストだか自称する輩*2が吹聴するようなデマが飛ばされている。
現在では、県税移譲もあり、8% の課税率が 7.7% となっている、「0.3% 減税」または「3.75%減税」であり、年収500万円クラスの家庭でも、年額で5千円程度、月にならせば420円ほどでしか無い。この400円が最大の争点だったとするなら、名古屋はなんと平和なのだろう。
そして、大塚候補が「増税」または「市民税減税廃止」などと言っているのであれば、まだこの議論、対立は成立するが、それすらも言っていない。
その他にも大塚候補が投げつけられたデマはある。
いわく「大塚候補が市長になったら敬老パスが廃止される」これは、前々回の「いわき候補」前回の「横井候補」も食らった河村支援者お得意のデマ攻撃だ。最近では「敬老パスは河村前市長が作った制度だ」というバリエーションもあったそうだ。現在の敬老パス制度を定めた条例は平成16年(2004年)に制定されている。当然、河村市政より前だ。また河村前市長は2022年に敬老パスに利用回数制限を加えた。(3条2項)
https://kri502.legal-square.com/HAS-Shohin/jsp/SVDocumentView
大塚候補は移民を推進するというデマも有った。
まず河村市政自体多文化共生推進プランを続けている。
名古屋市:第3次名古屋市多文化共生推進プラン(暮らしの情報)
そして順調に名古屋に住む外国人は増えている。
また大塚候補は国会で次のような質疑も行っていて、無秩序な外国資本による日本国内の土地所有に対する対策を求めても居る。
大塚耕平
— ひこ (@UmQ7ZkNooT9Tzil) 2024年11月22日
『外国人の土地取得規制について一年前に「GATSの14条の2 安全保障の例外を適用してはどうか」と提案し、総理が「検討を進めたい」と言って一年経った。どんな検討を進めた?治外法権的な状況を作られてしまっては、独立国家の尊厳どころか実態を守れなくなる可能性がある』#名古屋市長選挙 pic.twitter.com/pUdMq11DVr
移民政策を進めるというのは、適正な外国人流入に向けた、制度整備を企図したものであって、いたずらな排外主義や、その逆の漫然とした流入を黙認する態度とは異なる制度の整備や確立を言うのだろう。果たして河村前市長やその後継者にはどの程度の見識があるのか。
現代の異端審問官は、「異端」と指さされた者に対し、いたずらに悪感情を持ち、まさに「悪魔」にでも対峙したかのように憎しみを投げつけ、その者の社会的存在を毀損し、弱体化させるためのデマを平気で投げつける。
東京都知事選においては、石丸にたいして「蓮舫」が居た。日本社会を外国勢力に売り渡す、反日の象徴としての「蓮舫」を十字架に架けるために異端審問官が駆けつけ、恐ろしい情熱でデマを、石を投げつけた。
斎藤元彦には「議会」や既得権益で凝り固まった県当局がいて、そうした勢力に陥れられ、百条委員会という場で公開処刑されそうになったのだという物語*3がでっち上げられ、その斎藤知事に対して、白馬に乗った豚某政治団体代表が駆けつけ、敏腕PR会社社長が、「斎藤元彦たった一人の戦い」を支援するために、ボランティアで、ロハで、善意で、社員(もちろん給料なし、有給消化、または休職して)総出で、活動していたのだ。きっとそうだ。
そうして、悪の組織、県議会、県当局によって「唆された」異端者としての県民局長が、でっち上げた告発文で斎藤知事は陥れられ、その異端を暴こうとした知事派に、「10年で10人と不倫関係にあり、中には不同意性交まで起こした事実を把握されたことに悲嘆して、自裁したのだ」「知事は悪くない」という物語まで振りまかれた。(悪魔や、悪魔に唆された異端者に対しては、「死者の尊厳」などどうでも良いのだろう)
そもそも3月12日に各方面に送付された告発文は公益通報に当たり、とりあえずその事実を精査するべきで、その送付者や作成者を特定するような、ゲシュタポのような行為は行うべきではなく、ましてやそれで不当な人事介入(3月27日の役職解任、定年退職取消し)を行うような行為は、それ自体が悪質な「パワハラ」に当たるだろう。
つまり、斎藤元彦知事の違法性、反社会性は、この外形的な事象だけを取ってみても明らかであり、公職者の、県という地方自治体のトップとしての資質に欠けている。そこにあやふやな県議会や県当局の既得権集団であるとか、告発した職員の私事を持ち込んで論点をすり替えても、意味がない。しかし、多くの兵庫県民はこうした明白な事実を立脚点とした判断を行わず、不確かな「ネットde真実」を信じて斎藤知事を再選させた。
異端審問官の行ったいわゆる「魔女裁判」は、その物理的残虐さ*4もさることながら、こうした没論理に暗澹たる思いが去来する。いわく、「水は魔女を避けるから、魔女と目されている者を川に放り込んで、浮かんできたら魔女なので火あぶり、そのまま沈んで死んだら人間」などとする論理破綻や、ブルオモン村で行われた一族崩壊の模様*5など、真実を明らかにする知的誠実さを忘れた人間の浅はかな姿というのは、見るに耐えない。もっとも醜悪な景色だ。
このまま日本の社会を放置しておけば、この魔女裁判の世界、異端審問官の跋扈した世界になるだろう。
そして、その時、異端審問官から指さされるのは「あなた」かも知れない。
そうした異端審問官たちを駆動させる言葉、上記の司教の言葉を超克し、打破する方法、それについては次回に譲ることとする。
1990年代の「ネット右派論壇」草創期の、ある事件を参考に説き起こしていこう。
参考文献:『魔女狩りのヨーロッパ史』池上俊一著