前田利治
表示
この記事の主題はウィキペディアにおける独立記事作成の目安を満たしていないおそれがあります。 (2023年6月) |
時代 | 江戸時代前期 |
---|---|
生誕 | 元和4年(1618年) |
死没 | 万治3年4月21日(1660年5月29日) |
改名 | 宮松丸(幼名)→利治 |
官位 | 正四位下、飛騨守、侍従 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家光→家綱 |
藩 | 加賀大聖寺藩主 |
氏族 | 前田氏 |
父母 | 父:前田利常、母:徳川秀忠次女・珠姫 |
兄弟 | 亀鶴姫(森忠広正室)、光高、小媛、利次、利治、満姫(浅野光晟正室)、富姫(昌子、八条宮智忠親王妃)、夏姫、利明 |
妻 | 正室:上杉定勝の娘・徳(長松院) |
子 | 養子:利明(実弟) |
前田 利治(まえだ としはる)は、江戸時代前期の大名。加賀国大聖寺藩の初代藩主。大聖寺前田家の祖。小堀政一(遠州)から手ほどきを受けた茶人であった。
生涯
元和4年(1618年)、加賀藩3代藩主・前田利常の三男として誕生する。
寛永16年(1639年)、父・利常が隠居するにあたり、江沼郡を中心に7万石を分封される。当初、鉱山の開発に力を注ぎ、領内に金山銀山を発見した。この鉱山開発の途上で見つかった良質の陶土と、利治が茶人であったことが、後の九谷焼の生産に結びついた。
万治3年(1660年)に死去。享年43。跡を弟で養子・利明が継いだ。
系譜
父母
正室
- 徳、長松院 ー 上杉定勝の娘
養子
- 前田利明 ー 実弟