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前田利之

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
前田利之
時代 江戸時代後期
生誕 天明5年10月17日1785年11月18日
死没 天保7年12月10日1837年1月16日
改名 虎次郎(幼名)、利之
諡号 済民、三宝館、敬事堂、冥鴻館、白鳩軒
戒名 篤含院殿温山良潤大居士
墓所 石川県加賀市の実性院
官位 従四位下、侍従
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉
加賀大聖寺藩
氏族 前田氏
父母 父:前田利物、母:前田信成の娘(梅芳院)
養父:前田利考
兄弟 利之、卯、瓊
正室:酒井忠徳の娘・貞寿院
側室:厚見氏(智泉院)、古河氏、中村氏、小原氏(蓮静院)
造酒丞(長男)、鈴(霊光院)、利極、緩次郎(三男・塋運院)、利建、利平、建(水野忠順正室)、銈(永井直輝正室)
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前田 利之(まえだ としこれ)は、加賀大聖寺藩の第9代藩主。

生涯

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天明5年(1785年)10月17日、第7代藩主・前田利物の三男として大聖寺で生まれる。文化2年(1805年)、第8代藩主で従兄の利考が死去したため、その養子として文化3年(1806年)3月14日に家督を継いだ。文政4年(1821年)、本家の加賀藩主・前田斉広の懇請により、幕府から10万石の高直しを受けて、大聖寺藩は10万石格の大名となった。ところがこれにより、軍役の負担など出費の増大が相次いで財政悪化を招いた。このため、倹約を強化して財政再建を目指したが、効果はなかった。

天保7年12月10日(1837年1月16日)、大聖寺で死去した。享年52。跡を次男の利極が継いだ。

系譜

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父母

正室

側室

  • 智泉院 ー 厚見氏
  • 古河氏
  • 中村氏
  • 蓮静院 ー 小原氏益の娘

子女

  • 前田造酒丞(長男)生母は貞寿院(正室)
  • 前田利極(次男)生母は貞寿院(正室)
  • 前田緩次郎 ー 塋運院(三男)生母は智泉院(側室)
  • 前田利建、生母は智泉院(側室)
  • 前田利平(六男)生母は蓮静院(側室)
  • 鈴 ー 霊光院、生母は智泉院(側室)
  • 建 ー 水野忠順正室、生母は蓮静院(側室)
  • 銈 ー 永井直輝正室、生母は中村氏(側室)