エイプリル・フール (バンド)
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エイプリル・フール Apryl Fool | |
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出身地 | 日本、東京都 |
ジャンル | |
活動期間 | 1969年 |
レーベル | Musicolor Record / COLUMBIA |
メンバー |
エイプリル・フール(Apryl Fool)は、1969年に活動した日本のロックバンド。
概略
[編集]1969年4月1日結成[1]。グループ・サウンズ流行下、1968年8月に日本コロムビアからデビューしたザ・フローラルが前身。ザ・フローラルのベーシストとドラマーを変更、あわせてバンド名も改称。名前の由来は結成日と、「この名前にしておけば、かなり自由なことを練られずに、或いは無責任にやれる」[1]ということから。
メンバーの交代と前後して、英米のアート・ロック/サイケデリック・ロックの代表格だったアイアン・バタフライ、ヴァニラ・ファッジやドアーズなどのような、オルガンによるロックを中心メンバー柳田博義が志向。1969年に日本で流行したブルース・ロック(ギター主体のザ・ゴールデン・カップス、ブルース・クリエイション、ザ・モップスなど)と異なり、ピアノ、キーボード中心のアレンジによる録音を残している。英米ロックを標榜した日本の「ニューロック」において、先駆的バンドの一つであった。
その後のはっぴいえんどが展開する、言葉や日本語に重点を置いたシンガーソングライターブームと呼応した「風街世界」とは異なり、器楽演奏を中心とする、電気楽器や音響機器による実験音楽的要素が色濃い。詞はベトナム戦争、学生運動、サイケデリック・ロックなどの影響で、世紀末的なメッセージ色が強く、テーマはシュールリアリズム、退廃、堕落にあり、また表現主義的で英語と日本語両方それぞれで作詞されている。日本語詞では松本隆がアマチュア・バンド「バーンズ」のオリジナル曲「暗い日曜日」(有名シャンソン曲とは同名異曲)を提供している。
メンバー
[編集]経歴
[編集]1968年
[編集]- 2月11日[2]、モンキーズファンクラブ日本支部の企画で結成されたGSバンド「ザ・フローラル」結成。同バンドは、モンキーズの日本のファンクラブを運営していたミュージカラーレコードが当時のGSブームを背景にファンクラブからバンドを生み出すことを考え、オーディションを開催、合格した小坂忠(ヴォーカル)に柳田ヒロ(キーボード、ギター)、杉山喜一(ベース)、義村康市(ドラム)、菊池英二(ギター)が加わって結成された[3][4]。コンセプト、衣装、楽器デザイン、作詞をイラストレーターの宇野亜喜良が手掛けた[5]。
- 8月15日、シングル「涙は花びら」(作詞:宇野亜喜良、作曲:村井邦彦)でデビュー。
- 10月、シングル「さまよう船」(作詞:山上路夫、作曲:村井邦彦)発売。3・4日のザ・モンキーズ来日公演で前座と、3曲ほどバッキングを担当[2]。
1969年
[編集]- ピンキー・チックスのシングル「悲しき恋のバラード」の演奏をザ・フローラルが担当。
- 4月1日、その後GSブームの下火により会社側から方向転換を強いられ[3]、メンバー交代。小坂、柳田、菊池の3人を残し、柳田の兄のバンド「ドクターズ」のベーシストだった細野晴臣と彼が当時参加していたバンド「バーンズ」のドラマーであった松本隆(松本零)を勧誘し1969年2月再編。細野のアイデアを採用し、バンド名を改称。
- 4月、アルバム『APRYL FOOL』レコーディング。
- 5月、新宿のゴーゴークラブ「パニック」に専属出演[2]。
- 春〜夏、吉田喜重監督の映画『エロス+虐殺』のサウンドトラックをレコーディング。音楽監督は一柳慧。
- 6月頃、細野・小坂・松本(アメリカン・ロック、フォーク・ロック、日本語ロック指向)と柳田・菊池(ブリティッシュ・ロック、プログレッシヴ・ロック、インプロヴィゼーション指向)の二派で音楽的亀裂が決定的となり解散が決まる。その後暫く残務処理が続く。
- 9月12日、TBS「ヤング720」に出演[2]。
- 9月15 - 22日、東京キッドブラザースのロック・ミュージカル「東京キッド」の劇伴を演奏。
- 9月27日、アルバム『APRYL FOOL』発売。日消ホールでアルバム発売記念フリーコンサート。
- 10月15日、東京キッドブラザースのロック・ミュージカル「続・黄金バット」で演奏。
- 10月26日、銀座「ジャンク」でラスト・ライヴ。
- 10月28日、細野と松本が大瀧詠一、鈴木茂を引き入れて「バレンタイン・ブルー」を結成し初ライヴ。後にはっぴいえんどとなる。
- 年末、東京キッドブラザースのレコード『LOVE & BANANA』発売。演奏をエイプリル・フールが担当。
1970年
[編集]- 4月、日本コロムビアより『エロス+虐殺』サウンドトラック発売。
ディスコグラフィ
[編集]スタジオ・アルバム
[編集]- APRYL FOOL(1969年9月27日 ) - Musicolor Record / COLUMBIA LP:YS-10068-J ※ボブ・ディランの「プレッジング・マイ・タイム」をカバー。アルバム・ジャケットの写真は荒木経惟。「外国での反響を知る為には英語でないと…」[6]との考えにより日本語曲は「組曲:母なる大地」と「暗い日曜日」のみ。
その他
[編集]- LOVE & BANANA(1969年末) - ミュージカラー LP:番号なし ※東京キッドブラザースのロック・ミュージカルの劇中歌をスタジオ録音した17センチLP。
- エロス+虐殺 / ジャズ・ロック(1970年) - LP:BSS-52 ※サウンドトラックB面の「ジャズ・ロック」を演奏(インストにつき小坂は不参加。細野も不参加と『HOSONO BOX』のブックレットに記載)。
- ザ・フローラル
ピクチャー・ディスク製造の専門会社からデビューした、エイプリル・フールの前身バンド。小坂、菊池、柳田が参加。
- 涙は花びら(1968年8月) - ミュージカラー / 日本コロムビア EP:MA1
- 涙は花びら
- 水平線のバラ
- さまよう船(1968年10月) - ミュージカラー / 日本コロムビア EP:MA2
- さまよう船
- 愛のメモリー
出典
[編集]- ^ a b 『ニューミュージック・マガジン』1969年9月号、ニューミュージック・マガジン社、p8「今月のニューミュージック」
- ^ a b c d 黒沢進『日本ロック紀GS編』、シンコー・ミュージック、1994年、p69「ザ・フローラル」、p160「エイプリル・フール」
- ^ a b 『細野晴臣と彼らの時代』門間雄介 文芸春秋 2020
- ^ 小坂忠インタビュー 記憶の記録LIBLARY
- ^ はっぴいえんどの原点!ザ・フローラルの残したシングル2枚が50年を経て『フローラルの日記』として初正規CD化決定 UROROS、2018-10-17
- ^ 『ミュージック・ライフ』1969年9月号、新興楽譜出版社、p162-163「ニューグループ エイプリル・フール」