クエンティン・リチャードソン
現役時代 (ニューヨーク・ニックス) のリチャードソン | |
デトロイト・ピストンズ AC | |
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ポジション | SG/SF |
役職 | アシスタントコーチ |
基本情報 | |
愛称 | Q , Q-Rich |
国籍 | アメリカ合衆国 |
生年月日 | 1980年4月13日(44歳) |
出身地 | イリノイ州シカゴ |
身長(現役時) | 198cm (6 ft 6 in) |
体重(現役時) | 104kg (229 lb) |
キャリア情報 | |
出身 | デポール大学 |
ドラフト | 2000年 1巡目18位 |
選手経歴 | |
2000-2004 2004-2005 2005-2009 2009-2010 2010-2012 2013 |
ロサンゼルス・クリッパーズ フェニックス・サンズ ニューヨーク・ニックス マイアミ・ヒート オーランド・マジック ニューヨーク・ニックス |
指導者経歴 | |
2014- | デトロイト・ピストンズ (選手育成担当) |
受賞歴 | |
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Stats Basketball-Reference.com | |
クエンティン・リチャードソン(Quentin L. Richardson、1980年4月13日 - )はアメリカ合衆国・イリノイ州シカゴ出身の元バスケットボール選手。身長198cm、体重104kg、ポジションはシューティングガード、スモールフォワード。
経歴
[編集]デポール大学で2年間プレイした後、アーリーエントリーを宣言。在学中は17.9得点、10.2リバウンドの成績を残した。現在まで、1000得点、500リバウンド、100スリーポイントシュートを1シーズンに記録した大学生唯一の選手である。2000年のNBAドラフトで1巡目18位指名をロサンゼルス・クリッパーズから受けて入団した。この年のドラフトでは全体3位でダリウス・マイルズ、全体10位でキーオン・ドゥーリングも入団している。
ルーキーシーズンは76試合に出場(28試合に先発出場)し、1試合平均8.1得点3.4リバウンドの成績を残す。その後3年間クリッパーズでプレー。03-04シーズンにはキャリア最高となる1試合平均17.2得点6.4リバウンド、1.2スティールの活躍を見せた。フリーエージェントとなった彼は04-05シーズンにフェニックス・サンズへ移籍。リーグ最多の631本の3ポイントシュートを放ち226本を成功させダン・マーリーが持っていたサンズのチーム記録199本を塗り替える活躍を見せた[1]。この記録はカイル・コーバーと共にシーズン記録となった[2]。また2004年12月29日に行われたニューオーリンズ・ホーネッツ戦ではチーム新記録となる9本のスリーポイントを決めている[1]。この年彼はオールスターウィークに行われたシュートアウトに出場し優勝した。
サンズはこのシーズン62勝を挙げてチームはウェスタンカンファレンスファイナルまで進出したがサンアントニオ・スパーズに敗れた。
シーズン終了後にニューヨーク・ニックスへ移籍。だが、移籍後は故障に苦しみ成績を大きく落としてしまっている。
2009-10シーズンは、4度のトレードを経てマイアミ・ヒートへ移籍し75試合にスターターとして出場し1試合平均8.9点、キャリアハイの3ポイント成功率.397の成績を残した。
2010年、オーランド・マジックに移籍し、2シーズンを過ごしたが、成績は低下し、2012年再びニューヨーク・ニックスに入団するも1試合に出場したのみで解雇され、FAとなっている。
その他
[編集]2002年の映画ヴァン・ワイルダー(Van Wilder)に俳優として出演している[3]。
家族
[編集]1992年に母親を乳癌で亡くし祖母に育てられた。2005年12月に兄が強盗に銃で撃たれて亡くなった。12歳の時も別の兄が同じく銃で撃たれて亡くなっていた [4][5]。
ポップシンガーのブランディ・ノーウッドと婚約し100万ドルの婚約指輪を贈っていたがその後破局している[5]。
主な受賞歴
[編集]- NBAスリーポイント・シュートアウト優勝
- カンファレンスUSA 最優秀選手 1998/99
- マクドナルド・オールアメリカン