クリア (古代ローマ)
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クリア(ラテン語: curiae、英語: curia、民団)は、古代ローマにおける市民団区分の一つ。男子集会所(メンズハウス)に起源を持つ、きわめて古い社会団体の遺制と考えられる[1]。
概説
[編集]王政ローマ建国時、ロームルスはまず市民の最小単位として30のクリアを作り、10のクリアで1つのトリブスとした。各クリアでは世話役としてのクリア長(curio)と祭司長(flamen curialis)を定め、市民の遺言や養子縁組を世話しており、それはつまり市民への加入を監督していたとも考えられ、軍事単位としても機能していた[2]。
こうした市民単位は古代ギリシアでも見られ、フラトリア(兄弟団)と似ているとされるが、クリアの方が単なる行政単位としての性格が強い[3]。このクリアを単位とするクリア民会では、王の指揮権を追認した[4]。
古伝によれば、都市ローマはティティエス、ラムネス、ルケレスの3つのトリブスからなり、各トリブスは10のクリアに、各クリアは10のゲンス(氏族)に区分されていた。クリアは元来徴兵機関を提供したと考えられ、防衛団体への加入と土地所有に対する監督役を持ち、最高政務官(magistratus)への軍事職務の委託(インペリウム)を承認した。クリアはすべて共通の公共祭祀を持つ国家的制度であったが、ゲンスはそれぞれ別の祭儀および守護神を持つ、国家外的な組織であった[5]。
クリアからなる初期のトリブスは血縁的な性格が強かったが、6代目セルウィウス・トゥッリウス王によってトリブスはより地縁的な4つの都市トリブスに再編され、ケントゥリアが定められ、ローマは市民の拡大に対応できる体制となった[6]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 的射場敬一「古代ローマにおける「市民」と「市民権」」『国士舘大学政治研究』第1巻、国士舘大学政経学部附属政治研究所、2010年、97-116頁。