ゴーティエ2世・ダヴェーヌ
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ゴーティエ2世・ダヴェーヌ Gautier II d'Avesnes | |
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アヴェーヌ領主 ブロワ伯 | |
在位 |
アヴェーヌ領主:1191年 - 1244年 ブロワ伯:1218年 - 1230年 |
出生 |
1170年 |
死去 |
1244年 |
配偶者 | ブロワ女伯マルグリット |
子女 |
ティボー マリー イザベル |
家名 | アヴェーヌ家 |
父親 | ジャック1世・ダヴェーヌ |
母親 | アデル・ド・ギーズ |
ゴーティエ2世・ダヴェーヌ(フランス語:Gautier II d'Avesnes, 1170年 - 1244年)は、アヴェーヌ、ルーズ、コンデおよびギーズの領主。ブロワ女伯マルグリットとの結婚により、ブロワ伯およびシャルトル伯となった。弟ブシャール4世はフランドル女伯・エノー女伯マルグリット2世と結婚した。
生涯
[編集]ゴーティエ2世はジャック1世・ダヴェーヌとギーズ女領主アデルの息子である[1]。1214年のブーヴィーヌの戦いにおいてフランドル伯フェラン側について戦い[2]、その後聖地へと向かった。ゴーティエ2世は捕虜となりテンプル騎士団に身代金を要求された。また1218年に、ペレリン城の建設を援助し[3]、この建設のために1,000サラセン・ベザントを寄付した[4]。
ギーズの領地からの収入で、ゴーティエ2世は居城の最新化に着手した。また、エノー伯領に向かう道を管理するためアングランクールに城を建設した。
家族
[編集]ゴーティエ2世は、ブロワ伯ティボー5世とアリックス・ド・フランスの娘マルグリットと結婚し[5]、3子をもうけた。
- ティボー - 早世
- マリー(1200年 - 1241年) - ブロワ女伯
- イザベル - オワジーおよびモンミライユ領主ジャンと結婚
脚注
[編集]- ^ Platelle 2004, p. 296.
- ^ Raymond 1903, p. 181.
- ^ Kennedy 2001, pp. 124–125.
- ^ Folda 2005, p. 111.
- ^ Platelle 2004, p. 284.
参考文献
[編集]- Platelle, Henri (2004) (フランス語). Présence de l'au-delà: une vision médiévale du monde. Presses Universitaires du Septentrion
- Raymond, F. (1903). Histoire populaire illustrée de la Champagne du Barrois et de la Brie. Vol. I. Librairie Historique des Provinces
- Kennedy, Hugh (2001). Crusader Castles. Cambridge University Press
- Folda, Jaroslav (2005). Crusader Art in the Holy Land, From the Third Crusade to the Fall of Acre. Cambridge University Press