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ジーン・ディクソン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジーン・ディクソン
生誕 リディア・エマ・ピンカート
1904年1月5日
ウィスコンシン州メドフォード
死没 1997年1月25日(1997-01-25)(93歳没)
ワシントンD.C.
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ジーン・ディクソンJeane Dixon, 1904年1月5日[1][2] - 1997年1月25日)は、アメリカ合衆国占星術師である。超能力者と位置付けられることもあり[3]、かつて日本ではノストラダムスエドガー・ケイシーなどともに「世界三大予言者」の一人とされていた。

ケネディ暗殺を予言したとして有名になったが、外れた予言も多いことで知られる。そのことから、当たった予言に比べて外れた予言が忘れられがちなために、実際より的中率が高いように思い込まれることが、「ジーン・ディクソン効果」と呼ばれたりしている。なお、彼女の名前は日本では「ジェーン・ディクスン」、「ジーン・ディクスン」などと表記されることもある[注釈 1]

生涯

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誕生から結婚まで

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ジーン・ディクソンはウィスコンシン州メドフォード英語版のドイツ系移民ゲルハルト・ピンカートとエマ・ピンカートの間に生まれた。ディクソンはしばしば1918年生まれとされ、本人もそのように主張していただけでなく[1][2]、その生年でパスポートが発行されたことさえあったが[1]、かつて彼女自身は宣誓供述書で1910年生まれと述べていたこともあった[1]

ピンカート夫妻の記録を調査したジャーナリスト、ダニエル・セント・アルビン・グリーンなどによると、夫妻の10人の子女の中にはジーンという娘はいないという。その代わり、唯一リディア(リディア・エマ・ピンカート、Lydia Emma Pinckert)という娘の消息だけがつかめなかったということから、おそらくこのリディアがのちのジーン・ディクソンであろうと考えられている[4]。しかし、リディアの生年は1904年のことであり、公称されていた生年とはかなり違う[5][4]

彼女の父は南カリフォルニアのサンタ・アナで、映画・テレビのプロデューサーディレクターであったハル・ローチ英語版とともに、自動車販売業を営んでいた[6]。ディクソン自身はのちに、自分が8歳の時に ロマの占い師から神秘的な才能を持って生まれたことを告げられ、有名な占い師となり、有力者たちに助言するようになると予言されたという[7]。ディクソンはその女性が使っていた水晶玉を譲り受け、様々な情景を見るようになったと主張していたが、その水晶玉は後に盗まれてしまったという[8][9]。若い頃のジーンは、女優を目指してハリウッド・ボウルで上演された舞台に出演したこともあり、当時のスタジオ・ポートレートも残されている[10]

なお、サンタ・アナの公文書には、「ジーン・A・ピンカート」という女性が1922年にスイス系移民チャールズ・ズーチャーと結婚したことと、ズーチャーがのちに離婚したことが記録されているという[4][注釈 2]。しかも、その結婚証明書ではジーンの年齢が22歳とされていて、1904年という記録とさえ齟齬をきたしている[4]。この結婚と離婚の話は自伝などには出てこないが、グリーンらの調査に基づく紹介と検証を行なった志水一夫は、彼女がカトリック信徒を標榜していたため、離婚歴は不都合だったのではないかと推測していた[4]

ジーンは、1932年[注釈 3]に離婚歴のあったジェイムズ・ディクソン(当時42歳くらい[10])と結婚した。

彼は少女時代のジーンが思いを寄せていたことがあったといい[10]、カリフォルニアで自動車販売業を営み、のちにワシントンD.C.では不動産販売業を営んだ[11]。ジーンは夫とともに何年も働き、会社の社長として勤務した[12][13]。夫妻には子供はおらず[14]、のちの1984年にジェイムズと死別することになる[15]第二次世界大戦中には軍人相手のボランティアとして、彼らを占ったりすることがあったという[10]

アメリカ大統領についての予言

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ジーン・ディクソンは、第二次世界大戦中にフランクリン・ルーズベルト大統領に二度招かれ、1944年11月と1945年1月にホワイトハウスを訪れたとされていた。一度目には国際情勢を聞かれ、米ソの冷戦を予言したといい、二度目には大統領自身の死期を聞かれ、その年の上半期に仕事を完遂しきるべきという助言をしたという[16]。ルーズベルトはその年の4月に亡くなり、予言は見事に成就したとされる。しかし、このエピソードは後に彼女自身が主張したことによって知られるようになった話であり[注釈 4]、前述のグリーンが検証したところ、ディクソンが実際にホワイトハウスを訪れたことは一切証明できなかったという[4]

実際にいつから予言で知られるようになったのかについては、ディクソンの宣伝的な伝記(後述)を書いたルース・シック・モンゴメリー英語版は、ディクソンの予言に関する記事が1944年にはワシントンの新聞に載るようになっていたと主張していて[17]、1946年に『アーミー・ジャーナル』に載った「国家」と「あなたがた」の関係に触れた一節が、のちのジョン・F・ケネディ大統領の就任演説に登場した有名な一節の下敷きになったとも述べていた[18]。予言に関して好意的な著書をまとめた元『ニューズウィーク』編集次長のジャーナリスト、ジェス・スターン英語版は、1948年の大統領選挙でハリー・S・トルーマンの勝利を予言していた記事が、事前にワシントンの新聞に載っていたと主張していた[19]

以上はディクソンに好意的だった人々の証言だが、ケネディ大統領暗殺を予言したと言われていることについては、懐疑的な検証においても部分的に確認されている。具体的に確認されているのは、彼女が1956年5月13日の『パレード英語版』誌において、1960年アメリカ合衆国大統領選挙民主党候補が勝利することと、その人物が執務室で暗殺されるか死ぬかすること、さらにそれが最初の任期中とは限らないことを予言していた点である[20][21]。ただし、この一見するところ民主党候補のケネディの当選と暗殺を的中させたかに見える予言も、細部の情景が一致していないことや、死の状況も暗殺かそれ以外の死かの二者択一であいまいに書かれていることなどに対して批判がある[21]。また、アメリカ大統領は20年ごとに在職中の死によって任期をまっとうできない人物が選出されるというジンクスが当時から知られており[注釈 5]、彼女はそれを念頭に予言したのではないかという指摘もある[21]

また、彼女はのちに1960年の大統領選挙でリチャード・ニクソンが当選するという正反対の予言もしており[22]、しかもその予言には共和党の努力しだいというような条件までが付けられていたため、外れても釈明できるようになっていた[21]。それどころか、1960年の選挙でケネディが落選すると明言したことさえあったのである[23][20][3]。モンゴメリーによると、ディクソンはそれらの予言について、実際にニクソンが当選するはずだったが、選挙に不正があったのでケネディが選出されてしまったという内容の釈明をしたことがあったという[24]

ケネディ暗殺については、暗殺されたのと同じ時間にディクソンが知人たちと一緒に昼食をとっていたところ、ケネディが銃撃されて安否不明という一報が入った時点で、すでに彼は死んでいると断言したという話もある。この話は居合わせたという知人たちが証言しているとされるが[25][注釈 6]志水一夫はこれについて、この種の記憶は後から無意識に改変されることがあるため、もしも時間がずれていたのなら、彼女が死亡の第一報に接した上でそのような発言をした可能性があることを示唆していた[21]

また、暗殺については、リンドン・ジョンソン副大統領の執務室から黒い手がネームプレートを外す幻を見たという予言によって、ジョンソンの大統領昇格を的中させたと言われることがある[26]。これについて山本弘は、このようなあいまいな表現ではジョンソンが失脚した時にも的中とされたであろうことを指摘している[27]

なお、日本では黒沼健がジーン・ディクソンの予言について比較的早い段階から紹介しており、ケネディ暗殺の予言的中にしても、暗殺直後にあたる1963年11月23日の『北海道新聞』夕刊の談話でいち早く言及していた[28][29]。翌年に刊行された著書での黒沼自身の主張によれば、彼はジェス・ステアン[注釈 7]の文章によってケネディ暗殺の予言を知っていたが、書くのが憚られるとして新聞の連載記事でも触れないでいたところ、実際に暗殺されたので驚いたという[30]

ベストセラーによる知名度の向上

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ディクソンは占いや予言に関する著書を何冊も発表したが、彼女の予言を有名にしたのは、友人[注釈 8]の作家ルース・シック・モンゴメリー[注釈 9]の著書『予言の賜物 - 驚異のジーン・ディクソン』(1965年)[注釈 10]である。この本は300万部売れたといい[31][32]、ディクソン自身、自分の知名度を高めた要因として、ケネディ暗殺の予言を公表したこととこの本の存在を挙げていた[33]。この本では、前述のように彼女が敬虔なカトリック信徒であることが表明されており、その予言能力が神から賜ったものであるとされている[12]。前述のルーズベルトの件をはじめ、マハトマ・ガンジーダグ・ハマーショルドマリリン・モンローなど、ディクソンの鮮やかに的中したとされる死の予言の多くはこの本に掲載されているものだが、それらはいずれも著書の刊行前に成就したものばかりで、事後予言にすぎないことが指摘されている[34]

もうひとつ、ジャーナリストのレニ・ノーバーゲンとの共著ということになっており、自伝と位置づけられることもある著書[35]『私の人生と予言』(1969年)[注釈 11]ミリオンセラーとなった。もっとも、この本に関しては、彼女の没原稿を書き直して出版したというアデル・フレッチャー (Adele Fletcher) に訴訟を起こされ、フレッチャーにも印税の5%を支払うよう裁判で命じられた[1]

モンゴメリーの著書を契機に知名度が上がったディクソンは、ギャラップ調査で「アメリカで最も賞賛される女性」の11位になったことがある[31]。なお、ディクソンはモンゴメリーに対し、占星術は手間が掛かるからやらないという趣旨の発言をしていた[36]。ただし、のちの著書には星占いを主題とする複数の著書が含まれている(後述の著書一覧参照)。ディクソン自身によれば、著名になるに従って、彼女のもとには世界中から相談の手紙が舞い込んだといい、それらに対して返事をしきれないことの埋め合わせとして、新聞などの星占い欄を担当するようになったという[37]。彼女は自伝を公刊した1969年の時点でアメリカ国内の300以上の新聞に自分の星占い欄が掲載されていると主張しており[33]、のちには世界各地の新聞にもジーン・ディクソン名義の星占い欄が掲載された[注釈 12]。ただし、それらは名義だけ貸して執筆は別人が担当するというゴーストライターの手法で書かれたものもあったとされている[38]

ディクソンは前述のように自身の予言を神からの賜りものだと位置付けており、競馬の予想などの金儲けの手段には使わないと主張していた。しかし、友人たちの誘いで断りきれなかった時には、友人たちは出走していることさえ認識していなかった未勝利の馬に手持ちの金を全て賭け、見事に大当たりしたことがあったと、自伝の中で述べている[39]。そのときにも、当たった大金を私利私欲には使わず、恵まれない子どもの就学支援にあてたという[40]

ディクソンは1964年に『児童援助基金』[注釈 13]という、恵まれない子どもの教育を支援する財団法人を発足させており、自分が予言で得た収入はこの基金に回されると主張していた[41]。この名誉会長に就任したのがFBI長官を務めたことがあるジョン・エドガー・フーヴァーである[3]。ディクソンはしばしば学生運動公民権運動が盛り上がる背後には、ソ連の大規模な暗躍があるという陰謀論的主張を行うことがあったが[42]、これはFBIの意向を受けていたからだという指摘もある[3]。なお、『児童援助基金』の活動については1970年代になって『ワシントニアン英語版』誌が批判的な記事を掲載し、45万ドル以上集まった寄付金のうち、実際に慈善活動に回ったのは5分の1に満たないと指摘した[31]。ディクソンはこれに対して1億ドル以上の名誉毀損訴訟などもちらつかせつつ抗議し、実際に700万ドルの支払いを求める訴訟を起こしたが、棄却された[31]

ディクソン自身によれば、有名になるに従い、彼女が言ってもいない予言が一人歩きすることもあったという。たとえば、

  • ビートルズが飛行機の墜落事故に遭う(1964年)
  • ピアスをつけた少女だけが1979年に奇病にかかってみんな死ぬ(1967年)
  • 火星人が襲来して未成年者たちを略取する(1967年)
  • 近くカリフォルニアが大地震で沈む(1969年)

などである(括弧内は話題になった年)。これらはいずれも彼女自身は何も言っていなかったのに、ディクソンが予言したという触れ込みで広まってしまったといい、カリフォルニア地震のケースに至っては、騒ぎを沈静化するために記者会見まで開いたという[43]

彼女の予言を信じる有力者もいた。リチャード・ニクソンは彼の秘書ローズ・メアリー・ウッズ英語版を通じて、ディクソンの助言に従っていたとされ、少なくとも1971年に一度、大統領執務室で彼女と面会した。1972年にはミュンヘンオリンピック事件を受けてアメリカでテロが起きるというディクソンの予言を受けて、ニクソンはテロ対策の特別委員会 (cabinet committee) を組織した[44][45]。また彼女は、ジョーン・キグリー英語版などとともに、ロナルド・レーガンが大統領だった時に、その妻ナンシー・レーガンに助言していた占星術師の一人だったという[38][15]

1984年の日本訪問

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日本ではノストラダムスエドガー・ケイシーとともに「世界三大予言者」と位置づけられることもしばしばであった[46][注釈 14]

彼女の初の(そして結果的に唯一の)訪日は1984年春に実現した。その際、オカルト雑誌だけでなく、一般の週刊誌も関連記事を掲載した[47]。彼女を招いたのは日本テレビで、ディレクターだった矢追純一の10年来の出演依頼に応じたものであったという[48]。来日直後[注釈 15]にあたる3月27日に赤坂プリンスホテルで開かれた記者会見で、なぜこのタイミングでの訪日となったのかという質問に対し、彼女は神の命じるところに従ったという趣旨の回答をした[48][49]。記者会見では、ほかにも以下の予言をしたという。

  • 日米同盟は堅持され、貿易摩擦でこじれようとも崩れない[49]
  • 2、3年以内に中国で文化大革命に似た「騒ぎ」がおきる[49]
  • 北方領土は返還されない。その代わり、21世紀になるころに、国際的な管理地域になる[49]

3月31日から4月1日にかけて京都を個人的に訪問したが、『ムー』の記者が同行した[49][注釈 16]。主目的であったテレビ番組『11PM』の収録は4月2日に行われ、翌日に帰国した[49]。収録された番組は5月7日に放送され[48][50]、以下のように、国際政治から日本のスポーツや芸能まで幅広い予言が行われた[注釈 17]

これらの予言について、志水一夫は的中したと見なしうる一部の例では表現が曖昧だった一方で、ディクソンの再来日の予言も含め、明らかに外れたものも多くあったとまとめている[52]。なお、プロ野球の優勝チームの予想については、パ・リーグの阪急優勝に驚きの声が上がった途端に慌てて釈明する場面もあったという(実際にはセ・リーグが外れ、パ・リーグが的中した)[53]

ディクソンの来日期間中には、政財界の関係者達との会食なども何度かもたれたという[48]。『週刊サンケイ』ではその一つとして1984年3月28日、赤坂の料亭「佳境亭」での会食をレポートしており、その席には徳洲会徳田虎雄をはじめ、麻生セメント佐川急便立石電機バンダイ服部セイコーなどの会社関係者が集まったとしていた[54][55]。また、『トワイライトゾーン』では1984年3月31日、京都の佐川急便社長邸での晩餐会の模様を報じており、佐川急便社長や京セラ社長等、京都財界のトップ達が集まったとしていた[56]

最期

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ディクソンは心不全に見舞われ、1997年1月25日にワシントンD.C.のシブレイ記念病院英語版で歿した[12]。日本でも一部の新聞で報じられたが、死亡時の年齢は1918年生まれという公称に従い、79歳とされていた[57]

ディクソンの遺品の多くは、彼女も顧客の一人だったワシントンD.C.の銀行家・投資家のレオ・M・バーンスタイン (Leo M. Bernstein) の手に渡った。2002年に彼は、ヴァージニア州ストラーズバーグ英語版にジーン・ディクソン博物館・図書館 (the Jeane Dixon Museum and Library) を開館し、遺品を展示した。彼女が使っていた水晶玉が展示されたほか、蔵書にはノストラダムスエドガー・ケイシートリノの聖骸布などに関する一般書などが含まれていた[58]。2008年にバーンスタインが亡くなると、2009年7月に全部で500箱にもなる遺品は、競売にかけられた[14]

予言の的中度

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ジーン・ディクソンは、著書や雑誌で発表した時点では未的中だった予言を多く残していた。日本語文献では志水一夫山本弘本城達也らがまとまった数の検証を行なっているが、当たった予言はほとんどないと判定されている[59]。たとえば、彼女の予言によれば、金門島馬祖島を巡る争いが1958年に第三次世界大戦の引き金を引くはずだったし、アメリカの労働組合の指導者のウォルター・ルーサーは1964年の大統領選挙に出馬するはずだったし、最初に人類の月着陸を実現するのはソ連のはずだった[60][61]。最初の2つについては、モンゴメリーの紹介本の前書きでも、予言が100%当たるわけではない例として挙げられている[62]

ほかにも刊行時点から見て未来に属していた予言を自著など[注釈 21]から列挙すると、以下のものがあった。

これらのうち、年号が明記されるなどによって真偽を確認できる予言はほとんどが外れている。さらに顕著な外れとしては、ジャクリーン・ケネディは再婚しないと予言し、アリストテレス・オナシスとの結婚が取りざたされても予言を変えず、新聞で再婚しないという予言を改めて公表した翌日、ジャクリーンが再婚したという出来事さえあった[98]

もちろん、当たったと見なされている予言もなくはないが、数は少ない。天文学者のロジャー・B・カルヴァーとフィリップ・A・イアンナは、ジーン・ディクソンの予言の的中率を、10.4%(期限が具体的に示された134件中14件の的中)と見積もっている[99]。また、山本弘は1980年代の予言のほとんどが外れただけでなく、本当に予言者であったならば見通していたはずの1980年代の重大事件[注釈 25]への言及がまったくないことも指摘している[100]。なお、ディクソンの予言にはソ連解体が存在していないため、彼女の予言では21世紀になっても「ソ連」が登場する[101]

ジーン・ディクソン効果

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テンプル大学の数学者ジョン・アレン・パウロス英語版は、「ジーン・ディクソン効果」という用語を創出した。これは、数多くの外れた予言が忘れられ、少数の当たった予言が宣伝される傾向を指す言葉である[12]。ディクソンの予言については、前述のように多くが外れてきたと指摘されている。しかし、そうした予言の多くは忘れられ、予言の的中を謳う本やテレビ番組では無視され、そのかわりに的中例が強調されるのが普通である。たとえば、前記のモンゴメリーの著書『予言の賜物』では、執筆時に編集部から外れた予言を記載しないようにという圧力があったという[102]。また、前記の『11PM』での予言は、のちに後番組『EXテレビ』でも再利用されたが、そのときにはあたかも的中している予言しかないように編集されていたという[51]

ほかに、日本では高橋良典がジーン・ディクソンの予言の具体性や明晰さを高く評価し、ディクソンの予言を軸に、他のノストラダムス聖書などの時期を明記されていない予言を組み合わせていく形で「大予言年表」を作成したことがあった[注釈 26]。しかし、その予言の多くが外れたため、1997年の著書[103]に採録された際には、外れた予言の削除や年代の変更が行われた。この結果、過去の的中例と未来の予言の間に6年分の不自然な空白ができてしまった。このことを公刊された文献で最初に指摘した山本弘は、過去の外れた予言の数々を無視して未来のシナリオをほとんど変更しようとしない姿勢に疑問を呈している[104]

パウロスは、自身が提唱した「ジーン・ディクソン効果」の概念を藪医者、株価予想、テレビ伝道師の予言などにも当てはめ、偶然の一致が偶然以上のものであるかのように錯覚される背景の説明に利用している[105]。また、日本でもいい加減な予言が当たっているかのように認識しがちな背景として、確証バイアスとともに、このジーン・ディクソン効果を挙げる者もいる[106]

著書

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脚注

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注釈

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  1. ^ 「ジーン・ディクソン」は黒沼 (1964)、スターン (1965)、高橋 (1982)、ディクソン (1983)、ディクソン (1985)、本城 (2012)などに見られる。「ジェーン・ディクスン」はモンゴメリイ (1966)、ディクスン&ウイリアムス (1983)で、「ジーン・ディクスン」は志水 (1997)、山本 [1997](2000) で見られる。
  2. ^ ズーチャーとの結婚を1922年とするのは志水 (1997) に従っているが、Schneck (2008) p.34 では、ズーチャーとの結婚は1928年のこととされている。
  3. ^ この結婚した年は正式に記録されているようだが、他方で彼女は1918年生まれで21歳に結婚したとも主張していた(志水 (1997) p.141)。Schneck (2008)は志水が紹介している異説の方を採って、再婚は1939年(ただし、ジーンの年齢は自称の21歳ではなく35歳)としていた (Schneck (2008) p.34)。
  4. ^ この話を比較的早い段階で紹介していたルース・モンゴメリーとジェス・スターンは、ともにディクソン自身から聞いた話として紹介している(スターン (1965) pp.41-42、モンゴメリイ (1966) pp.52-58)。
  5. ^ 1980年に当選したロナルド・レーガンはこのジンクスを破ったことで知られている(cf. 志水 (1997) p.136)。
  6. ^ 高橋 (1982) p.37では、昼食中に突然、ケネディが撃たれたと叫んだことになっている。
  7. ^ 『予言』(弘文堂)の著者ジェス・スターンと同一かもしれないが、黒沼の『予言物語』(1987年)に採録された文章でも「ステアン」のままなので、とりあえず表記の修正はしない。
  8. ^ 志水一夫によれば、のちに仲違いし、1986年に刊行されたモンゴメリーの自伝でもディクソンにはまったく触れていないという(志水 (1997) p.133)。
  9. ^ 彼女の著書の邦訳では「モンゴメリイ」と表記されているが、この姓は志水 (1997)、本城 (2012) など、20世紀末以降に刊行された文献で「モンゴメリー」と表記されているので、この記事本文でも「モンゴメリイ」ではなく「モンゴメリー」と表記する。
  10. ^ 原題はA Gift of Prophecy : The Phenomenal Jeane Dixon で、記事本文に示した日本語訳は志水 (1997) p.133に準じている。その邦訳書は、『水晶の中の未来 - ケネディ暗殺を予言した女』 (早川書房、1966年)である。なお、志水は原題の Gift を神からの賜りものという意味合いとし、この題を単に「贈り物」と訳す例が見られるのは不適切だと指摘している(志水 (1997) pp.194-195)。
  11. ^ 原題は My Life and Prophecies である。記事に示した邦題は高橋 (1982) p.134に基づくが、志水 (1997) p.148では『我が生涯、我が予言』と訳されている。これの邦訳書が『アポカリプス666』(自由国民社、1983年)である。『アポカリプス666』は訳者の前書きで、原書と比べて構成を変更したり、章を差し替えたことなどが説明されている。志水一夫はこの訳書について、「抄訳」と位置づけていた(志水 (1997) p.192)。
  12. ^ 『週刊平凡』の記事では、「18か国400紙に予言コラムを執筆中」と紹介されている(第26巻第14号、p.108)。
  13. ^ 原語は Children to Children で、直訳は「子どもから子どもへ」となる。実際にそう訳している日本語文献もあるが(キャロル (2008) p.77)、ここでは邦訳された自伝の表記に従う。
  14. ^ この点、文献によって挙げられている三人に違いがあることなどから、どういう基準で選んでいるのかが不明瞭だという指摘もある(ASIOS・菊池・山津 (2012) p.270)。
  15. ^ 日本到着は記者会見前夜の遅い時間帯だったという(『週刊平凡』第26巻第15号、p.109)
  16. ^ 『ムー』では京都旅行中に独占インタビューをしたと述べられているが、『週刊サンケイ』でも京都旅行中にとったというコメントが掲載されている。
  17. ^ ここでは主に『週刊平凡』に掲載された「誌上中継」に基づいて紹介するが、一部異なる出典に基づく情報もあるので、そのつど明記する。
  18. ^ 「噴火」ではなく、「爆発」という表現が使われているのは、『ムー』の記事での書き起こしなどでも同様である。この少し前の時期に、元気象庁相楽正俊が書いた『富士山大爆発 - 運命の1983年9月X日!』(徳間書店、1982年)が話題を呼んでおり、『週刊サンケイ』のディクソン関連記事では、富士山爆発を否定するディクソン予言について、相楽にもコメントを求めていた。
  19. ^ 『週刊平凡』では、括弧書きで「皇族か旧華族」と注記している。
  20. ^ これは志水の記述に基づくが、『ムー』1984年6月号の記事だと「政治家にもなれる大人物」(同誌p.113)という言い回しになっている。
  21. ^ 前述のようにディクソンは自分のものでない予言が勝手に語られていると主張していたので、ここでの紹介は彼女自身の著書とそのひとつの日本語版の訳者・高橋良典の著書、およびモンゴメリーの本で確認できる予言にとどめる。
  22. ^ パイクは心霊主義に転向して話題になった司教。この予言は1969年のディクソンの自伝に掲載されたが、パイクはその年に歿した(志水 (1997) p.148)。
  23. ^ エセルはロバート・ケネディの未亡人。2012年時点では再婚していない(本城 (2012) p.110)。
  24. ^ 高橋が示す引用文の中に年代は明記されていないが、高橋 (1982) および『UFOと宇宙』1980年3月号の同誌編集部による記事では1986年の予言と位置づけられている。
  25. ^ 山本が例示しているのは、フォークランド紛争チェルノブイリ原子力発電所事故チャレンジャー号爆発事故エイズ流行の4件である。
  26. ^ 高橋 (1982) の第1章。のちに増補し、高橋 (1983) として単行本化。
  27. ^ 高橋 (1982) の著者略歴、高橋 (1983) の参考文献欄にそれぞれ記載されている。高橋 (1982) の略歴によれば、「現代予言研究会」は高橋が代表を務めていたグループだというが、公刊された文献なのかについては明記されていない。少なくとも国立国会図書館の蔵書検索ではヒットしない。
  28. ^ 高橋 (1982) の略歴には、『星の黙示録』(現代予言研究会)という文献も挙げられているが、この本も同団体の『栄光への招待』と同じく詳細不明である。ただし、『星の黙示録』の刊行年は1975年とされており、そこからの引用とする文章は、のちに刊行される Yesterday, Today, and Foreverの邦訳書に見られる訳文と内容的にはほぼ合致する。上記の予言一覧において、訳書『ジーン・ディクソンの霊感星占い』と高橋 (1983) に見られる『星の黙示録』からの引用と称するものが合致する場合は、ひとつの脚注の中に参照ページを併記している。
  29. ^ この改訂版では、1985年版の巻末にあった「世界の未来と人間の態度」とする付録(pp.289-316)が丸ごと割愛されている。
  30. ^ 著者名表記は「ジェーン・ディクスン」。共著者としてイラストを手がけたL・メイソン・ウイリアムスの名が挙がっている。

出典

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  1. ^ a b c d e David St. Albin Greene, "The Untold Story...of Jeane Dixon", National Observer, 27 Oct 1972
  2. ^ a b Clauson-Wicker, Su, "Offbeat Attractions", Roanoke Times & World News, Roanoke, Virginia, 17 April 2005, "Displays lead you from Dixon's birth in Wisconsin in 1904 (she liked to say it was 1918)"
  3. ^ a b c d キャロル (2008) pp.76-77
  4. ^ a b c d e f 志水 (1997) pp.139-141
  5. ^ Denis Brian, Jeane Dixon: The Witnesses, Doubleday & Company, 1976, p147–148
  6. ^ Bordsen, John (21 July 2002). “Mementos of a crystal-gazer fill Jeane Dixon Museum”. Houston Chronicle 
  7. ^ “Celebrity Astrologer Jeane Dixon Dies”. The Washington Post. (27 January 1997) 
  8. ^ ディクソン (1983) pp.62-64, 75-76
  9. ^ 高橋 (1982) pp.129-130
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  106. ^ 原田実 (2012) 『オカルト「超」入門』 p.219

参考文献

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文献には自伝や信奉者側の情報源として用いたものを含んでいる。

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  • Dixon, Jeane, Noorbergen, Rene, Jeane Dixon: My Life and Prophecies, William Morrow and Company, August 1969, ISBN 978-0-688-02142-9
  • Robert Damon Schneck (2008), "America's Psychic : Jeane Dixon", Fortean Times, December 2008
  • ロバート・トッド・キャロル (2008) 『懐疑論者の事典・下』 小久保温高橋信夫長澤裕福岡洋一訳、楽工社
  • ジェス・スターン (1965) 『予言 - 未来をのぞいた人びと』 宇土尚男訳、弘文堂
  • ジェーン・ディクスン、L・メイソン・ウイリアムス (1983) 『犬の星占い』 高畑厚志訳、文化出版局
  • ジーン・ディクソン (1985) 『ジーン・ディクソンの霊感星占い』 宮本貞雄 加藤整弘共訳、たま出版
  • テレンス・ハインズ (2011) 『ハインズ博士 再び「超科学」をきる』 井山弘幸訳、化学同人
  • ジョン・A・パウロス (1997) 『数学するヒント - コラムで読む数学事典』 河野至恩訳、白揚社
  • ルース・モンゴメリイ (1966) 『水晶の中の未来 - ケネディ暗殺を予言した女』 坂入香子訳、早川書房
  • ASIOS菊池聡・山津寿丸 (2012) 『検証 予言はどこまで当たるのか』 文芸社
    • 本城達也 「ジーン・ディクソンの予言の的中率は85パーセントだった ?」(pp.107-113)
  • 黒沼健 (1964) 『予言と怪異物語』 新潮社
    • ディクソンを扱った章「水晶凝視」 (pp.30-44) は、のちに黒沼健 (1987) 『予言物語』 河出書房新社にも再録された (pp.44-66) 。
  • 志水一夫 (1997)『トンデモ超常学入門 - 志水一夫の科学もドキ !』 データハウス ISBN 4887184417
  • 高橋良典 (1982) 『大予言事典 悪魔の黙示666』 学習研究社
  • 高橋良典 (1983) 『世界大予言年表 諸世紀の秘密』 自由国民社
  • 羽仁礼 (2009) 『図解 西洋占星術』 新紀元社
  • 広瀬謙次郎 (1981) 『2037年への未来史 - 奇跡の人・ディクソン夫人は何を告げる ?』 早稲田出版
  • ムー編集部 (1984) 「世界の予言者ジーン・ディクソンが恐るべき地球の未来を語った」(『ムー』1984年6月号、pp.107-113)
  • 矢追純一「来日した世界最高の予知能力者 ジーン・ディクソン夫人の実像に迫る」(『トワイライトゾーン』1984年7月号、pp.70-76)
  • 山本弘・志水一夫・皆神龍太郎 [1997](2000) 『トンデモ超常現象99の真相』 宝島社〈宝島社文庫〉
    • 山本弘 「ケネディ暗殺を言い当てた !? 大予言者ジーン・ディクスン !」(pp.354-358)
  • 「ケネディ暗殺予言者 ディクソン夫人のちょっと気になる予言の中身」(『週刊平凡』第26巻第14号、pp.108-109)
  • 「またまた大予言 ケネディ暗殺予言者ディクスン夫人の来日」(『週刊サンケイ』第33巻第16号(1984年4月16日号)、pp.186-188)