セレウコス2世
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セレウコス2世 Σέλευκος Β' Καλλίνικος | |
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セレウコス2世の肖像が彫られたコイン | |
在位 | 紀元前246年 - 紀元前225年 |
出生 |
紀元前265年? |
死去 |
紀元前225年 |
配偶者 | ラオディケ2世 |
子女 |
セレウコス3世 アンティオコス3世 アンティオキス |
王朝 | セレウコス朝 |
父親 | アンティオコス2世 |
母親 | ラオディケ1世 |
セレウコス2世カリニコス(ギリシア語: Σέλευκος Β' Καλλίνικος、紀元前265年? - 紀元前225年)は、セレウコス朝シリアの王(在位:紀元前246年 - 紀元前225年)。アンティオコス2世とラオディケ1世の子。
生涯
[編集]父アンティオコス2世は、プトレマイオス朝エジプトよりベレニケを王妃に迎え、ラオディケ1世と離婚した。ラオディケは王妃に返り咲くため陰謀をめぐらし、紀元前246年には王妃に復帰してベレニケを殺害、アンティオコスも毒殺して息子セレウコス2世を即位させた。しかし、ベレニケの弟でエジプト王となったプトレマイオス3世は復讐を図り、第三次シリア戦争(紀元前246年 - 紀元前241年)を開始した。この戦争はエジプトが圧勝し、セレウコス朝シリアは弱体化していった。
エジプトに対する敗北に加え、内紛も国力弱体化を早めた。セレウコスの弟アンティオコス・ヒエラクスは、アナトリアにて自立して王位を主張した(紀元前240年頃 - 紀元前228年頃)。ヒエラクスはガラテア人と同盟してセレウコスを苦しめたが、ペルガモン王国のアッタロス1世の援助で撃破した。しかし、これはアッタロスの勢力拡大となり、シリアの安定にはつながらなかった。
セレウコスの死後、息子セレウコス3世、アンティオコス3世が王位を継承し、後者は一時的に帝国の再建に成功することになる。
子女
[編集]母方の叔母にあたるラオディケ2世と結婚、3子をもうけた。
脚注
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