テリー・ウィットフィールド
サンフランシスコ・ジャイアンツ時代 (1978年) | |
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | カリフォルニア州 ブライス |
生年月日 | 1953年1月12日(71歳) |
身長 体重 |
6' 1" =約185.4 cm 197 lb =約89.4 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 1971年 MLBドラフト1巡目 |
初出場 |
MLB / 1974年9月29日 NPB / 1981年4月4日 |
最終出場 |
MLB / 1986年5月23日 NPB / 1983年11月7日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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テリー・バートランド・ウィットフィールド(Terry Bertland Whitfield , 1953年1月12日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州出身の元プロ野球選手(外野手)。右投左打。NPBでの登録名は「テリー」。
経歴
[編集]1971年のMLBドラフト1巡目(全体の19番目)でニューヨーク・ヤンキースに指名され契約。1974年9月29日にメジャーデビュー。1977年、サンフランシスコ・ジャイアンツに移籍。
1981年3月、テリーはジャイアンツを退団し、西武ライオンズへ入団する。西武は前年の1980年は前期こそ最下位であったが、スティーブ・オンティベロスが加入した後期は一転、終盤に失速するまで首位に立つなり、最終順位は4位だったが首位と2ゲーム差の僅差だった[1]。これを見た堤義明オーナーは「スティーブ一人で優勝争いができたのなら、それ以上の大リーガーをもう一人加えたらもっとよくなるのではないか」と考え、フロントに対しスティーブ以上の大物のメジャー・リーガーを獲得するよう命じた[1]。これを受け、中村芳夫球団渉外担当が2月中旬よりアメリカに渡り、ジャイアンツとの間でテリーの獲得に成功したのだった[1]。
テリーは3月3日に来日し、翌4日に西武ライオンズとの間で3年契約、年俸5千万円でサインし、西武への入団が正式に発表された[2]。西武はジャイアンツからテリーを獲得するにあたって、トレードマネーや本人へ支払う年俸、滞在費などの付帯条件を合わせると3億円近くを投じたとされる[1]。テリーはジャイアンツで前年までの4年間レギュラー外野手であり、前年に入団したスティーブに続くメジャー・リーグの大物選手の西武への入団は、親会社の西武グループの資金力やチーム強化への強い姿勢を対外的に誇示するものとして、当時野球ファンやマスコミの話題を呼んだ[1]。
初球に強い打者で、その積極性が好成績につながっていた。性格も明るく、優勝後のビールかけの際にはユニークな日本語でインタビュアーに応答していた。
また、幼い頃に貧しく野球観戦ができなかった体験を基に、西武ライオンズ球場の年間予約席の一区画をポケットマネーで買い取り、「テリーズ・ボックス」と名づけて恵まれない子供を招待する心遣いや、日本で覚えた「礼」を重んじる精神から、ホームランを打った際、ホームイン後にヘルメットを取って観客席に向かい一礼する、といった優しさや礼儀正しさも多くのファンから共感を得ていた。
1983年オフ、西武フロントは3年契約が切れるテリーとの契約延長を望み、保留名簿にもテリーを載せていた。ところが、テリーは西武の保有権の下にあるにもかかわらず、テリーの代理人はメジャーの数球団と入団交渉を行っていたという[3]。西武は当初、これを年俸の交渉のつり上げのための駆け引きと見ていたが、テリーの代理人と改めて交渉したところ、テリーは残留の条件として「広岡達朗監督の選手管理から自由であること」を要求した[4]。だが西武はチーム運営の観点からこれを一切認めず再契約しないことを決定し、テリーは西武を退団することになった[4]。
1984年1月12日、ロサンゼルス・ドジャースはテリーと3年契約、年俸20万ドルでサインしたと発表し、テリーはメジャー復帰を果たした[5]。テリーは記者会見にて、西武を退団したのは家庭の事情とメジャー復帰を希望していたことを挙げた[5]。1986年に現役を引退した。
2019年8月7日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦で西武ライオンズOBとして『SAVE LIONS DAY』の始球式に登場[6]。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1974 | NYY | 2 | 5 | 5 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .200 | .200 | .200 | .400 |
1975 | 28 | 84 | 81 | 9 | 22 | 1 | 1 | 0 | 25 | 7 | 1 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 17 | 2 | .272 | .274 | .309 | .582 | |
1976 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | ---- | ---- | ---- | |
1977 | SF | 114 | 352 | 326 | 41 | 93 | 21 | 3 | 7 | 141 | 36 | 2 | 3 | 2 | 2 | 20 | 1 | 2 | 46 | 4 | .285 | .329 | .433 | .761 |
1978 | 149 | 543 | 488 | 70 | 141 | 20 | 2 | 10 | 195 | 32 | 5 | 11 | 17 | 3 | 33 | 5 | 2 | 69 | 9 | .289 | .335 | .400 | .734 | |
1979 | 133 | 445 | 394 | 52 | 113 | 20 | 4 | 5 | 156 | 44 | 5 | 4 | 7 | 4 | 36 | 6 | 4 | 47 | 15 | .287 | .349 | .396 | .745 | |
1980 | 118 | 348 | 321 | 38 | 95 | 16 | 2 | 4 | 127 | 26 | 4 | 2 | 4 | 2 | 20 | 3 | 1 | 44 | 6 | .296 | .337 | .396 | .733 | |
1981 | 西武 | 123 | 512 | 469 | 69 | 148 | 23 | 3 | 22 | 243 | 100 | 5 | 6 | 0 | 5 | 38 | 6 | 0 | 40 | 12 | .316 | .363 | .518 | .881 |
1982 | 122 | 484 | 453 | 53 | 123 | 15 | 4 | 25 | 221 | 71 | 6 | 9 | 2 | 6 | 20 | 0 | 3 | 44 | 16 | .272 | .303 | .488 | .791 | |
1983 | 129 | 531 | 485 | 76 | 135 | 22 | 3 | 38 | 277 | 109 | 2 | 2 | 0 | 5 | 38 | 2 | 3 | 59 | 19 | .278 | .331 | .571 | .903 | |
1984 | LAD | 87 | 200 | 180 | 15 | 44 | 8 | 0 | 4 | 64 | 18 | 1 | 4 | 2 | 0 | 17 | 2 | 1 | 35 | 5 | .244 | .313 | .356 | .669 |
1985 | 79 | 110 | 104 | 8 | 27 | 7 | 0 | 3 | 43 | 16 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 1 | 0 | 27 | 2 | .260 | .300 | .413 | .713 | |
1986 | 19 | 19 | 14 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 2 | 0 | 2 | 1 | .071 | .316 | .071 | .387 | |
MLB:10年 | 730 | 2106 | 1913 | 233 | 537 | 93 | 12 | 33 | 753 | 179 | 18 | 24 | 32 | 13 | 138 | 20 | 10 | 288 | 44 | .281 | .330 | .394 | .724 | |
NPB:3年 | 374 | 1527 | 1407 | 198 | 406 | 60 | 10 | 85 | 741 | 280 | 13 | 17 | 2 | 16 | 96 | 8 | 6 | 143 | 47 | .289 | .333 | .527 | .860 |
- 各年度の太字はリーグ最高
表彰
[編集]- NPB
記録
[編集]- NPB初記録
- 初出場・初先発出場:1981年4月4日、対ロッテオリオンズ前期1回戦(川崎球場)、5番・左翼手として先発出場
- 初打席・初安打:同上、2回表に村田兆治から
- 初打点:1981年4月5日、対ロッテオリオンズ前期2回戦(川崎球場)、8回表に水谷則博から適時打
- 初本塁打:1981年4月24日、対阪急ブレーブス前期4回戦(阪急西宮球場)、9回表に宮本四郎から3ラン
- NPBその他の記録
- オールスターゲーム出場:1回 (1983年)
背番号
[編集]- 51 (1974年)
- 44 (1975年 - 1976年)
- 45 (1977年 - 1986年)
関連情報
[編集]野球以外での表彰
[編集]- ベスト・ファーザー イエローリボン賞特別賞:1回 (1982年)
出典
[編集]- ^ a b c d e 週刊ベースボール1981年3月23日号「12球団週間報告 焦点 電光石火の入団 ウイットフィールド大リーグの現役三番打者」p83
- ^ 日刊スポーツ1981年3月5日2面「ホイットフィールド改め『テリー』 西武新外人 強烈!弾丸デビュー 3年契約 年俸5千万円 」
- ^ 日刊スポーツ1983年12月10日1面「テリー米復帰 協定違反だ! 帰国広岡怒る 西武解雇へ」
- ^ a b 日刊スポーツ1983年12月16日2面「広岡管理野球批判と特別待遇要求 ついにテリー解雇 西武」
- ^ a b 日刊スポーツ1984年1月14日2面「前西武テリー ド軍入り 年俸20万ドルで3年契約」
- ^ 西武レジェンドOBウィットフィールド氏が始球式 背番号「45」でノーバウンド投球披露 Full-Count
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- 個人年度別成績 テリー - NPB.jp 日本野球機構