デニス・ジョンソン
表示
この記事は英語版の対応するページを翻訳することにより充実させることができます。(2023年5月) 翻訳前に重要な指示を読むには右にある[表示]をクリックしてください。
|
現役時代のジョンソン (右はロバート・パリッシュ) | |
故人 | |
---|---|
愛称 | D.J. |
国籍 | アメリカ合衆国 |
生年月日 | 1954年9月18日 |
没年月日 | 2007年2月22日(52歳没) |
出身地 | カリフォルニア州サンペドロ |
身長(現役時) | 193cm (6 ft 4 in) |
体重(現役時) | 84kg (185 lb) |
キャリア情報 | |
出身 | ペパーダイン大学 |
NBAドラフト | 1976年 / 2巡目 / 全体29位[1] |
シアトル・スーパーソニックスから指名 | |
プロ選手期間 | 1976年–1990年 |
ポジション | PG / SG |
背番号歴 | 24, 3 |
永久欠番 | セルティックス 3 |
指導者期間 | 1993年–2007年 |
選手経歴 | |
1977-1980 1980-1983 1983-1990 |
シアトル・スーパーソニックス フェニックス・サンズ ボストン・セルティックス |
指導者経歴 | |
1993-1997 1999-2000 2000-2003 2003 2004-2005 2005-2007 |
ボストン・セルティックス(AC) ラクロス・ボブキャッツ ロサンゼルス・クリッパーズ(AC) ロサンゼルス・クリッパーズ フロリダ・フレイム オースティン・トロス |
受賞歴 | |
| |
NBA通算成績 | |
得点 | 15,535 (14.1 ppg) |
アシスト | 5,499 (5.0 apg) |
スティール | 1,477 (1.3 spg) |
Stats Basketball-Reference.com | |
バスケットボール殿堂入り選手 (詳細) |
デニス・ウェイン・ジョンソン(Dennis Wayne Johnson、1954年9月18日 - 2007年2月22日)は、アメリカ合衆国のバスケットボール選手。カリフォルニア州サンペドロ出身。ディフェンスの名手として知られ、NBAオールディフェンシブチームに計9度選出され、1980年代のボストン・セルティックスの黄金期を支えた。
NBAキャリア
[編集]- シアトル・スーパーソニックス (1976-80)
- ペパーダイン大学出身。1976年のNBAドラフト2順目29位指名と、下位指名でシアトル・スーパーソニックスに入団した。入団3年目の1978年のプレーオフで1977年優勝のポートランド・トレイルブレイザーズとデンバー・ナゲッツを破り、NBAファイナルに進出した。ファイナルの対戦相手であるワシントン・ブレッツはウェス・アンセルドとエルビン・ヘイズを擁したベテランチームで、ソニックスは3勝4敗で惜しくも敗れた。翌年の1978-79年もNBAファイナルに進み、再びブレッツと対戦して4勝1敗で優勝し、ジョンソンはファイナルMVPを受賞した。しかし、チームにおけるジョンソンの評判は悪化し、自己中心的なプレーヤーとして監督のレニー・ウィルキンスからも「ジョンソンはチームのガンだ」と言われた。
- フェニックス・サンズ (1980-83)
- 1980年にフェニックス・サンズに移籍した。ジョンソンは、選手として更なる名声を高めて主にシューティングガードとして活躍し、ソニックスでは2番手か3番手の選手だったがフェニックスではチームの主な得点源になった。
- ボストン・セルティックス (1983-90)
- ボストン・セルティックスは、プレイオフで何度かフィラデルフィア・セブンティシクサーズに敗れていた。セルティックスのゼネラルマネージャーだったレッド・アワーバックは、ジョンソンのディフェンス能力を高く評価しており、サンズから獲得した。セルティックスは、ラリー・バード、ケビン・マクヘイル、ロバート・パリッシュ、ダニー・エインジを擁して黄金期を築き、1984年と1986年に優勝した。
- バードは常々「DJは一緒にプレーした中で最高の選手だ」と語っており、2人のコンビプレーは見る者を楽しませた。特に1987年のプレイオフ、対ピストンズ戦でみせた残り5秒からの奇跡の逆転劇は伝説となっている。また、1984年のNBAファイナルでは前半こそ調子をおとしていたが、4戦以降目覚ましい活躍をみせ、得点はディフェンスでマジック・ジョンソンを苦しめ、優勝に大きく貢献した。
個人成績
[編集]略称説明 | |||||
---|---|---|---|---|---|
GP | 出場試合数 | GS | 先発出場試合数 | MPG | 平均出場時間 |
FG% | フィールドゴール成功率 | 3P% | スリーポイント成功率 | FT% | フリースロー成功率 |
RPG | 平均リバウンド数 | APG | 平均アシスト数 | SPG | 平均スティール数 |
BPG | 平均ブロック数 | PPG | 平均得点 | 太字 | キャリアハイ |
優勝シーズン |
NBA
[編集]レギュラーシーズン
[編集]シーズン | チーム | GP | GS | MPG | FG% | 3P% | FT% | RPG | APG | SPG | BPG | PPG |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1976–77 | SEA | 81 | – | 20.6 | .504 | – | .624 | 3.7 | 1.5 | 1.5 | .7 | 9.2 |
1977–78 | 81 | – | 27.3 | .417 | – | .732 | 3.6 | 2.8 | 1.5 | .6 | 12.7 | |
1978–79† | 80 | – | 34.0 | .434 | – | .781 | 4.7 | 3.5 | 1.3 | 1.2 | 15.9 | |
1979–80 | 81 | – | 36.3 | .422 | .207 | .780 | 5.1 | 4.1 | 1.8 | 1.0 | 19.0 | |
1980–81 | PHX | 79 | – | 33.1 | .436 | .216 | .820 | 4.6 | 3.7 | 1.7 | .8 | 18.8 |
1981–82 | 80 | 77 | 36.7 | .470 | .190 | .806 | 5.1 | 4.6 | 1.3 | .7 | 19.5 | |
1982–83 | 77 | 74 | 33.1 | .462 | .161 | .791 | 4.4 | 5.0 | 1.3 | .5 | 14.2 | |
1983–84† | BOS | 80 | 78 | 33.3 | .437 | .125 | .852 | 3.5 | 4.2 | 1.2 | .7 | 13.2 |
1984–85 | 80 | 77 | 37.2 | .462 | .269 | .853 | 4.0 | 6.8 | 1.2 | .5 | 15.7 | |
1985–86† | 78 | 78 | 35.0 | .455 | .143 | .818 | 3.4 | 5.8 | 1.4 | .4 | 15.6 | |
1986–87 | 79 | 78 | 37.1 | .444 | .113 | .833 | 3.3 | 7.5 | 1.1 | .5 | 13.4 | |
1987–88 | 77 | 74 | 34.7 | .438 | .261 | .856 | 3.1 | 7.8 | 1.2 | .4 | 12.6 | |
1988–89 | 72 | 72 | 32.1 | .434 | .140 | .821 | 2.6 | 6.6 | 1.3 | .3 | 10.0 | |
1989–90 | 75 | 65 | 27.1 | .434 | .042 | .843 | 2.7 | 6.5 | 1.1 | .2 | 7.1 | |
通算 | 1,100 | 673 | 32.7 | .445 | .172 | .797 | 3.9 | 5.0 | 1.3 | .6 | 14.1 | |
オールスター | 5 | 0 | 19.6 | .541 | --- | .864 | 3.6 | 1.8 | 1.0 | .8 | 11.8 |
プレーオフ
[編集]シーズン | チーム | GP | GS | MPG | FG% | 3P% | FT% | RPG | APG | SPG | BPG | PPG |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1978 | SEA | 22 | – | 37.6 | .412 | – | .704 | 4.6 | 3.3 | 1.0 | 1.0 | 16.1 |
1979† | 17 | – | 40.1 | .450 | – | .771 | 6.1 | 4.1 | 1.6 | 1.5 | 20.9 | |
1980 | 15 | – | 38.8 | .410 | .333 | .839 | 4.3 | 3.8 | 1.8 | .7 | 17.1 | |
1981 | PHX | 7 | – | 38.1 | .473 | .200 | .762 | 4.7 | 2.9 | 1.3 | 1.3 | 19.6 |
1982 | 7 | – | 38.7 | .477 | .000 | .769 | 4.4 | 4.6 | 2.1 | .6 | 22.3 | |
1983 | 3 | – | 36.0 | .458 | .000 | .833 | 7.7 | 5.7 | 1.7 | .7 | 18.0 | |
1984† | BOS | 22 | – | 36.7 | .404 | .429 | .867 | 3.6 | 4.4 | 1.1 | .3 | 16.6 |
1985 | 21 | 21 | 40.4 | .445 | .000 | .860 | 4.0 | 7.3 | 1.5 | .4 | 17.3 | |
1986† | 18 | 18 | 39.7 | .445 | .375 | .798 | 4.2 | 5.9 | 2.2 | .3 | 16.2 | |
1987 | 23 | 23 | 41.9 | .465 | .115 | .850 | 4.0 | 8.9 | .7 | .3 | 18.9 | |
1988 | 17 | 17 | 41.3 | .433 | .375 | .796 | 4.5 | 8.2 | 1.4 | .5 | 15.9 | |
1989 | 3 | 1 | 19.7 | .267 | --- | --- | 1.3 | 3.0 | 1.0 | .0 | 2.7 | |
1990 | 5 | 5 | 32.4 | .484 | .333 | 1.000 | 2.8 | 5.6 | .4 | .4 | 13.8 | |
通算 | 180 | 85 | 38.9 | .439 | .239 | .802 | 4.3 | 5.6 | 1.4 | .6 | 17.3 |
引退後
[編集]セルティックスのスカウトやアシスタントコーチを務めた。その後NBAデベロップメント・リーグのオースティン・トロスでヘッドコーチとなったが、2007年2月22日に練習後、駐車場へ向かう最中に突然倒れ亡くなった。死因は心臓発作であった[1]。
プレースタイル
[編集]ジョンソンは非常にディフェンスに優れた選手だった。スティールがうまく、相手がスティールされたことに気づかないこともしばしばあった。またガードにしては背が高く、腕が長かったためリバウンドも得意とした。攻撃においては、初期は無理にペネトレートしたり、あまり得意ではないジャンプシュートを撃つこともあったが、ボストンに移ったころには攻撃の起点として見事なアシストをみせ、チームプレーに徹していた。また決して足は速くなかったが、独特なステップ(相手からウサギのダンスのようだと言われた)でペネトレートし得点、あるいは相手のファールを誘った。接戦に強いことでも知られ、それまで不調でも4クォーターになると多くのシュートを成功させた。大学ではフォワードであったこともあり、ポストプレーもうまかった。また競争心が強いことで知られるラリー・バードをして「DJは俺より競争心が強い」と言わせるほどの負けず嫌いだった。
主な受賞
[編集]- ファイナルMVP(1979)
- オールNBAファーストチーム(1981)
- オールディフェンシブファーストチーム(1979-1983、1987)
- オールディフェンシブセカンドチーム(1984-1986)
- 15535得点
- 4249リバウンド
- 5499アシスト
- 1477スティール
脚注
[編集]- ^ “Dennis Johnson, ex-Celtic star, dead at age 52”. ボストン・グローブ (2007年2月23日). 2009年1月12日閲覧。
外部リンク
[編集]- 選手の通算成績と情報 NBA、NBA日本、Basketball-Reference