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トミー・ジョン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
トミー・ジョン
Tommy John
2008年撮影
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 インディアナ州
生年月日 (1943-05-22) 1943年5月22日(81歳)
選手情報
投球・打席 左投右打
ポジション 投手
プロ入り 1961年
初出場 1963年9月6日
最終出場 1989年5月25日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

トマス・エドワード・ジョン・ジュニア(Thomas Edward John Jr.、1943年5月22日 - )は、アメリカ合衆国インディアナ州出身の元プロ野球選手。左投右打。

側副靱帯再建手術(トミー・ジョン手術)を最初に受けた選手として有名。怪我からの復活劇から、あだ名は「バイオニック・トミー[1]

経歴

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プロ入りとインディアンス時代

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1961年クリーブランド・インディアンスに入団。1963年9月6日に弱冠20歳でメジャー初登板。同年は0勝2敗、翌1964年も2勝9敗に終わる。

ホワイトソックス時代

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1965年1月20日に3球団が絡む交換トレードシカゴ・ホワイトソックスへ移籍[2]。同年は14勝7敗、翌1966年も14勝10敗をあげ、2年連続でリーグ最多の完封を記録。ホワイトソックスには7シーズン在籍し、1968年にはMLBオールスターゲームに初選出。1969年を除いて毎年2桁勝利をあげる。

ドジャース時代

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1971年オフにディック・アレンとの交換トレードで他の1選手と共にロサンゼルス・ドジャースへ移籍した。移籍初年度の1972年は11勝5敗、1973年は16勝7敗を記録し勝率.696はナショナルリーグ1位。1974年もシーズン途中まで13勝3敗を記録していたが[3]7月17日モントリオール・エクスポズ戦で、左肘の腱を断裂する大怪我を負う。マウンドから一目散にベンチに駆け戻り、当初選手生命はおろか、日常生活にも支障を来しかねないほどの大怪我と診断され、再起は絶望視されたが、この当時ドジャースのチームドクターだったフランク・ジョーブ博士が考案した、損傷した靱帯を切除し他の正常な腱の一部を移植するという手術を受ける。 1年以上のブランクを経て、1976年4月16日アトランタ・ブレーブス戦でメジャーに復帰。この年は207イニングを投げ10勝10敗、防御率3.09でカムバック賞ハッチ賞を受賞した。 1977年は自身初の20勝を記録する。1978年も17勝を記録したが、このシーズン限りでフリーエージェントとなる。 チームは1977年1978年と2年連続でリーグ優勝し、ワールドシリーズに進出するが、いずれも後年所属するニューヨーク・ヤンキースに敗れる。

ヤンキース時代

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1979年にニューヨーク・ヤンキースにフリーエージェント移籍。同年からは2年連続20勝以上を記録するなど、手術の影響を微塵も感じさせない快投を見せた。ジョンの復活劇を受けて、ジョーブ博士が考案した腱移植手術は彼にちなんで「トミー・ジョン手術」と呼ばれるようになった。1981年にはリーグ優勝しワールドシリーズに進出するが、今度は古巣ドジャースに敗れた。

エンゼルス時代

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1982年のトレード期限8月31日に後日発表の選手(デニス・ラスムッセン)との交換トレードでカリフォルニア・エンゼルスへ移籍。同年は両球団併せて14勝12敗、翌1983年は11勝13敗。手術からの復帰後、この年までは1981年のMLBストライキ でシーズンが中断された1981年を除いて毎年10勝・200イニングを続けていたが、41歳となった1984年は7勝13敗、181回1/3に終わる。

アスレチックス時代

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1985年シーズン途中に解雇され、オークランド・アスレチックスと契約。このシーズンは4勝10敗に終わる。この年限りで再びフリーエージェントとなる。

ヤンキース復帰

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1986年にヤンキースへ復帰。このシーズンは5勝に終わり、再びフリーエージェントとなる。このシーズンにはアスレチックスの新人マーク・マグワイア(翌年新人王)と対戦し、2安打を許すが、マグワイアの父は歯科医でジョンは受診したことがあり、「あなたの息子にヒットを打たれるようなことがあったら引退する時だろう。」と語ったという。一度はこのシーズン限りで引退して大学野球の投手コーチに就任することを示唆したが、撤回してヤンキースと再契約。 1987年は13勝6敗と4シーズンぶりの2桁勝利を記録し、契約延長。 1988年7月27日ミルウォーキー・ブルワーズ戦では、「1つの打球で3失策」を記録している。まず、ピッチャーゴロをはじいて1失策目、さらに一塁に悪送球して2失策目、一塁走者が三塁を回った時点で、右翼手デーブ・ウィンフィールドからの返球を中継したところ、本塁への送球が悪送球となり、走者の生還を許して3失策目となった。9勝8敗を記録したこのシーズン終了後に一旦解雇されるが、1989年2月に再契約。7シーズンぶりに開幕投手に起用されるが、10先発で2勝7敗の成績で、シーズン途中に引退フィル・ニークロ1939年生まれ)が1987年限りで引退したため、1988年・1989年はメジャーリーグ最年長選手だった。実働年数26シーズン[4]は当時のメジャータイ記録であったが、後年ノーラン・ライアン(27シーズン)に更新される。

通算勝利数288は左投手としては歴代7位の記録であり、手術以降の14シーズンでその半数以上にあたる164勝を挙げている。

引退後

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2006年12月、独立リーグアトランティックリーグブリッジポート・ブルーフィッシュの監督に就任した。

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1963 CLE 6 3 0 0 0 0 2 0 -- .000 91 20.1 23 1 6 1 0 9 1 0 10 5 2.21 1.43
1964 25 14 2 1 [5]0 2 9 0 -- .182 412 94.1 97 10 35 4 0 65 5 1 53 41 3.91 1.40
1965 CWS 39 27 6 1 [6]0 14 7 2 -- .667 752 183.2 162 12 58 6 2 126 8 0 67 63 3.09 1.20
1966 34 33 10 5 [7]3 14 11 0 -- .560 904 223.0 195 13 57 4 7 138 10 1 76 65 2.62 1.13
1967 31 29 9 6 [8]3 10 13 0 -- .435 715 178.1 143 12 47 7 5 110 5 0 62 49 2.47 1.07
1968 25 25 5 1 [9]1 10 5 0 -- .667 705 177.1 135 10 49 4 12 117 2 1 45 39 1.98 1.04
1969 33 33 6 2 [10]0 9 11 0 -- .450 984 232.1 230 16 90 10 1 128 15 1 91 84 3.25 1.38
1970 37 37 10 3 [11]0 12 17 0 -- .414 1133 269.1 253 19 101 16 9 138 17 0 117 98 3.27 1.31
1971 38 35 10 3 [12]3 13 16 0 -- .448 975 229.1 244 17 58 5 5 131 10 0 115 92 3.61 1.32
1972 LAD 29 29 4 1 [13]1 11 5 0 -- .688 766 186.2 172 14 40 1 3 117 10 0 68 60 2.89 1.14
1973 36 31 4 2 [14]0 16 7 0 -- .696 888 218.0 202 16 50 2 4 116 3 0 88 75 3.10 1.16
1974 22 22 5 3 [15]0 13 3 0 -- .813 616 153.0 133 4 42 0 1 78 5 0 51 44 2.59 1.14
1976 31 31 6 2 [16]0 10 10 0 -- .500 868 207.0 207 7 61 4 0 91 7 1 76 71 3.09 1.30
1977 31 31 11 3 [17]1 20 7 0 -- .741 906 220.1 225 12 50 3 3 123 6 0 82 68 2.78 1.25
1978 33 30 7 0 [18]1 17 10 1 -- .630 912 213.0 230 11 53 7 5 124 6 1 95 78 3.30 1.33
1979 NYY 37 36 17 3 [19]3 21 9 0 -- .700 1116 276.1 268 9 65 1 4 111 11 1 109 91 2.96 1.21
1980 36 36 16 6 [20]6 22 9 0 -- .710 1089 265.1 270 13 56 1 6 78 5 0 115 101 3.43 1.23
1981 20 20 7 0 [21]0 9 8 0 -- .529 580 140.1 135 10 39 2 3 50 6 2 50 41 2.63 1.24
1982 30 26 9 2 [22]1 10 10 0 -- .500 766 186.2 190 11 34 1 3 54 5 2 84 76 3.66 1.20
CAL 7 7 1 0 0 4 2 0 -- .677 152 35.0 49 4 5 0 0 14 2 0 18 15 3.86 1.54
'82計 37 33 10 2 1 14 12 0 -- .538 918 221.2 239 15 39 1 3 68 7 2 102 91 3.69 1.25
1983 34 34 9 0 [23]3 11 13 0 -- .458 1010 234.2 287 20 49 5 2 65 11 0 126 113 4.33 1.43
1984 32 29 4 1 [24]0 7 13 0 -- .350 797 181.1 223 15 56 3 4 47 11 0 97 91 4.52 1.54
1985 12 6 0 0 0 2 4 0 -- .333 176 38.1 51 3 15 1 1 17 5 0 22 20 4.70 1.72
OAK 11 11 0 0 0 2 6 0 -- .250 221 48.0 66 6 13 0 1 8 2 0 37 33 6.19 1.65
'85計 23 17 0 0 0 4 10 0 -- .286 397 86.1 117 9 28 1 2 25 7 0 59 53 5.53 1.68
1986 NYY 13 10 1 0 [25]0 5 3 0 -- .625 290 70.2 73 8 15 1 2 28 2 0 27 23 2.93 1.25
1987 33 33 3 1 [26]0 13 6 0 -- .684 802 187.2 212 12 47 7 6 63 9 0 95 84 4.03 1.38
1988 35 32 0 0 0 9 8 0 -- .529 776 176.1 221 11 46 4 6 81 5 5 96 88 4.49 1.51
1989 10 10 0 0 0 2 7 0 -- .222 290 63.2 87 6 22 2 3 18 3 0 45 41 5.80 1.71
通算:26年 760 700 162 46 26 288 231 3 -- .555 19692 4710.1 4783 302 1259 102 98 2245 187 16 2017 1749 3.34 1.28
  • 各年度の太字はリーグ最高

獲得タイトル・表彰・記録

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  • MLBオールスターゲーム選出 4回:1968年, 1977年, 1978年, 1979年
  • 最高勝率2回:1973年, 1974年
  • 実働年数:26年(歴代3位タイ)
  • 通算勝利数:288勝(歴代26位, 左腕投手では歴代7位)
  • 通算投球回:4710.1回(歴代20位, 左腕投手では歴代3位)

脚注

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  1. ^ 米本国で「バイオニック・ジェミー」が初放映されたのがジョンが手術から復帰した1976年。また、本国では「バイオニック・ジェミー」の原題が「THE BIONIC WOMAN」、ジョンのあだ名も原語では「THE BIONIC MAN」である。
  2. ^ インディアンス、ホワイトソックスの他にカンザスシティ・アスレチックスが絡む。インディアンスからはジョン、トミー・エイジーを含む3選手がホワイトソックスに移籍。ホワイトソックスはインディアンスに1選手、アスレチックスに2選手を移籍させる。アスレチックスからはロッキー・コラビトがインディアンスに移籍する。なお、日本プロ野球ではこのような「三角トレード」は野球協約で禁止されている。
  3. ^ 結果としてこの1974年の勝率.813もリーグ1位であった。
  4. ^ 一年間プレイしなかった1975年は計算しない。
  5. ^ https://www.baseball-reference.com/players/gl.fcgi?id=johnto01&t=p&year=1964
  6. ^ https://www.baseball-reference.com/players/gl.fcgi?id=johnto01&t=p&year=1965
  7. ^ https://www.baseball-reference.com/players/gl.fcgi?id=johnto01&t=p&year=1966
  8. ^ https://www.baseball-reference.com/players/gl.fcgi?id=johnto01&t=p&year=1967
  9. ^ https://www.baseball-reference.com/players/gl.fcgi?id=johnto01&t=p&year=1968
  10. ^ https://www.baseball-reference.com/players/gl.fcgi?id=johnto01&t=p&year=1969
  11. ^ https://www.baseball-reference.com/players/gl.fcgi?id=johnto01&t=p&year=1970
  12. ^ https://www.baseball-reference.com/players/gl.fcgi?id=johnto01&t=p&year=1971
  13. ^ https://www.baseball-reference.com/players/gl.fcgi?id=johnto01&t=p&year=1972
  14. ^ https://www.baseball-reference.com/players/gl.fcgi?id=johnto01&t=p&year=1973
  15. ^ https://www.baseball-reference.com/players/gl.fcgi?id=johnto01&t=p&year=1974
  16. ^ https://www.baseball-reference.com/players/gl.fcgi?id=johnto01&t=p&year=1976
  17. ^ https://www.baseball-reference.com/players/gl.fcgi?id=johnto01&t=p&year=1977
  18. ^ https://www.baseball-reference.com/players/gl.fcgi?id=johnto01&t=p&year=1978
  19. ^ https://www.baseball-reference.com/players/gl.fcgi?id=johnto01&t=p&year=1979
  20. ^ https://www.baseball-reference.com/players/gl.fcgi?id=johnto01&t=p&year=1980
  21. ^ https://www.baseball-reference.com/players/gl.fcgi?id=johnto01&t=p&year=1981
  22. ^ https://www.baseball-reference.com/players/gl.fcgi?id=johnto01&t=p&year=1982
  23. ^ https://www.baseball-reference.com/players/gl.fcgi?id=johnto01&t=p&year=1983
  24. ^ https://www.baseball-reference.com/players/gl.fcgi?id=johnto01&t=p&year=1984
  25. ^ https://www.baseball-reference.com/players/gl.fcgi?id=johnto01&t=p&year=1986
  26. ^ https://www.baseball-reference.com/players/gl.fcgi?id=johnto01&t=p&year=1987

外部リンク

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