ポール・フランドラン
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ポール・フランドラン Paul Flandrin | |
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Francesco Raffaello Santoroによる肖像画 | |
生誕 |
1811年5月28日 フランス、リヨン |
死没 |
1902年3月8日 (90歳没) フランス、パリ |
ポール・フランドラン(Paul Jean Flandrin、1811年5月28日 - 1902年3月8日)は、フランスの画家である。おもに風景画を描いた。
略歴
[編集]リヨンで、工芸画家の息子に生まれた。兄のオーギュスト・フランドラン(Auguste Flandrin: 1804-1842)とイポリット・フランドラン(1809-1864)も画家になった。
リヨンの風景画家、アントワーヌ・デュクロー(Antoine-Jean Duclaux: 1783-1868)や彫刻家のジャン=フランソワ・ルジャンドル=エラル(Jean-François Legendre-Héral)に学び、リヨン国立高等美術学校やパリ国立高等美術学校で学び、ドミニク・アングルの工房でも学んだ。
ローマ賞のコンクールに2度参加し、入賞することはできなかったが、1832年にローマ賞を受賞した兄のイポリット・フランドランのローマ留学に自費で同行した。ポール・フランドランはローマに4年間滞在し、古典的な風景画を学んだ。1838年からパリのサロンに出展し、兄のイポリット・フランドランの歴史画の背景の風景部分を描くこともあった。兄のオーギュスト・フランドランからは版画を学んだ。1844年にサン・セヴラン教会(Église Saint-Séverin de Paris)の壁画も描いた。
1852年に風景画家アレクサンドル・デゴッフ(Alexandre Desgoffe: 1805-1882) の娘と結婚した。夫妻の子孫には息子の建築家ジョゼフ・フランドリン(Joseph Flandrin:1857-1939)や画家の孫マルテ・フランドリン(Marthe Flandrin: 1904-1987)がいる[1]。
作品
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ヴィエンヌ近くのローヌ河畔の風景
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ローマ、パラティーノの宮殿
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"Souvenir de Provence"
脚注
[編集]- ^ “La SARL Flandrin Frères, portraits et paysages” (フランス語). Le Monde.fr. (16 August 2021)
参考文献
[編集]- Emmanuelle Brugerolles (dir.), Ingres et ses élèves, Carnets d’études 39, Beaux-arts de Paris éditions, 2017.
- Hans Vollmer: Flandrin, Jean Paul. In: Ulrich Thieme (Hrsg.): Allgemeines Lexikon der Bildenden Künstler von der Antike bis zur Gegenwart. Begründet von Ulrich Thieme und Felix Becker. Band 12: Fiori–Fyt. E. A. Seemann, Leipzig 1916, S. 74–75 (Textarchiv – Internet Archive).