ユーワフォルテ
この記事は「旧馬齢表記」が採用されており、国際的な表記法や2001年以降の日本国内の表記とは異なっています。 |
ユーワフォルテ | ||||||
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欧字表記 | Yuwa Forte[1] | |||||
品種 | サラブレッド[1] | |||||
性別 | 牡[1] | |||||
毛色 | 黒鹿毛[1] | |||||
生誕 | 1985年5月9日[1] | |||||
死没 | 1997年11月13日(13歳没・旧表記) | |||||
父 | ミルジョージ | |||||
母 | サシマサンダー[1] | |||||
母の父 | ネヴァービート[1] | |||||
生国 | 日本(北海道三石町)[1] | |||||
生産者 | 福田清[1] | |||||
馬主 | (株)ユーワ[1] | |||||
調教師 | 保田隆芳(美浦)[1] | |||||
競走成績 | ||||||
生涯成績 | 6戦5勝[1] | |||||
獲得賞金 | 6753万6600円[1] | |||||
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ユーワフォルテ(欧字名:Yuwa Forte、1985年5月9日 - 1997年11月13日)は、日本の競走馬、種牡馬[1]。主な勝ち鞍に1990年の新潟大賞典。
経歴
[編集]競走馬時代
[編集]脚部不安を抱えていたことから4歳秋と遅いデビューになったが[2]、初戦の2着を経て2戦目に初勝利を挙げた。その後は4か月の休養後に2勝目、1年の休養後に3勝目と、順調に出走できないものの連勝を続け、6歳となった1990年5月に新潟大賞典で重賞に初出走。当日3番人気の支持を受けると、中団前方から最後の直線で抜け出し、モガミチャンピオンに1馬身4分の3差を付けて勝利を挙げた。初出走から3年間で6戦5勝・2着1回という成績で、騎乗した徳吉一己は「このあと無事に成長してくれれば、それこそどこまで伸びるか。本当に楽しみですよ[2]」、管理調教師の保田隆芳は「もし順調にいけば先々はGIでも通用する馬なんですけどね[2]」と期待を口にした。だが、以後ふたたび出走することはできず引退となった。結果として、6戦連対率100パーセントという成績を残しての引退であった。
引退後
[編集]引退後は種牡馬となった。85頭が血統登録されたが、重賞勝ち馬は現れず、地方競馬での勝利馬を数頭出したにとどまった。
競走成績
[編集]以下の内容は、netkeiba.com[4]およびJBISサーチ[5]に基づく。
年月日 | レース名 | 格 | 頭数 | 枠番 | 馬番 | 人気 | 着順 | 距離(状態) | タイム | 着差 | 騎手 | 斤量 | 馬体重 | 勝ち馬/(2着馬) | |||
1988 | 10. | 1 | 福島 | 4歳未勝利 | 12 | 6 | 7 | 4 | 2着 | ダ1000m(稍) | 1:00.0 | 0.6秒 | 徳吉一己 | 55 | 494 | トシサンシー | |
10. | 15 | 福島 | 4歳未勝利 | 12 | 7 | 10 | 1 | 1着 | ダ1000m(良) | 1:01.7 | -0.4秒 | 徳吉一己 | 55 | 494 | (ジョイスポート) | ||
1989 | 2. | 19 | 東京 | 4歳上400万下 | 13 | 5 | 7 | 3 | 1着 | ダ1400m(重) | 1:25.6 | -0.1秒 | 的場均 | 56 | 506 | (デトネーション) | |
1990 | 2. | 15 | 中山 | 4歳上500万下 | 16 | 4 | 7 | 3 | 1着 | ダ1800m(重) | 1:52.9 | -0.6秒 | 徳吉一己 | 57 | 504 | (セノエスター) | |
3. | 17 | 中山 | 総武特別 | 900 | 11 | 7 | 9 | 1 | 1着 | 芝1800m(良) | 1:49.3 | -0.0秒 | 徳吉一己 | 57 | 496 | (ラブリーストーム) | |
5. | 13 | 新潟 | 新潟大賞典 | GIII | 14 | 8 | 13 | 3 | 1着 | 芝2000m(良) | 2:02.1 | -0.3秒 | 徳吉一己 | 53 | 484 | (モガミチャンピオン) |
血統
[編集]血統表
[編集]ユーワフォルテの血統(ミルリーフ系 / ) | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | ミルリーフ系 |
[§ 2] | ||
父 *ミルジョージ Mill George 1975 鹿毛 アメリカ |
父の父 Mill Reef 1968鹿毛 アメリカ |
Never Bend | Nasrullah | |
Lalun | ||||
Milan Mill | Princequillo | |||
Virginia Water | ||||
父の母 Miss Charisma 1967鹿毛 アメリカ |
Ragusa | Ribot | ||
Fantan | ||||
*マタティナ Matatina |
Grey Sovereign | |||
Zanzara | ||||
母 サシマサンダー 1978 栗毛 日本 |
*ネヴァービート Never Beat 1959 栃栗毛 イギリス |
Never Say Die | Nasrullah | |
Singing Grass | ||||
Bride Elect | Big Game | |||
Netherton Maid | ||||
母の母 *シァラShiara 1970 鹿毛 イギリス |
Shantung | Sicambre | ||
Barley Corn | ||||
Tarara | Tamerlane | |||
Fairbourne F-No.4-i | ||||
母系(F-No.) | シアラ系(FN:4-i) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | Nasrullah 4×5×4=15.63%、Nearco 5×5×5=9.38% | [§ 4] | ||
出典 |
母・サシマサンダー
[編集]母サシマサンダーは屠殺寸前で本馬の生産者である福田清に救われたエピソードを持つ。サシマサンダーは未熟馬であったうえ発育も著しく悪かったため競馬に使えず、繁殖牝馬としても失格と見なされて一時は廃用と決まった[2]。屠殺場行きの馬運車に乗せられたが、途中、家畜商が休憩のため知り合いだった福田の牧場に立ち寄る[2]。そこでサシマサンダーの血統を聞かされた福田は、ブルードメアサイアー(母の父)としても良績を挙げていた名種牡馬ネヴァービートの子と知って牧場に引き取ることにし、サシマサンダーは屠殺を免れた[2]。ユーワフォルテが新潟大賞典を制し、福田から「とんだ掘り出し物」「牧場の宝」と賞賛されたが[2]、翌年に死亡。フォルテの全妹であるユーワジョイナーが繁殖牝馬としてブリーダーズゴールドカップ、オグリキャップ記念と交流重賞を2勝したアルアランのほか、北海道2歳優駿勝ち馬メトロノースの母マンハッタン、ケイアイチョウサン・オジュウチョウサン兄弟の母シャドウシルエットを出した[7]。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n “ユーワフォルテ”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年9月28日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『優駿』1990年7月号、p.158
- ^ ユーワフォルテ(JPN) - 血統書サービス、2021年5月14日閲覧。
- ^ “(馬名)の競走成績”. netkeiba. Net Dreamers Co., Ltd.. 2019年9月28日閲覧。
- ^ “(馬名) 競走成績”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年9月28日閲覧。
- ^ a b c “ユーワフォルテ 血統情報:5代血統表”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年9月28日閲覧。
- ^ a b c “ユーワフォルテの5代血統表”. netkeiba. Net Dreamers Co., Ltd.. 2019年9月28日閲覧。