住友軽金属男子排球団
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住友軽金属男子排球団 | |
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ホームタウン | 愛知県名古屋市港区 |
創設年 | 1961年 |
廃部年 | 1982年[1] |
チーム所在地 | 愛知県名古屋市港区 |
体育館所在地 | 愛知県名古屋市港区 |
住友軽金属男子排球団(すみともけいきんぞく だんしはいきゅうだん)は、愛知県名古屋市を本拠地に活動していた、住友軽金属工業(現:UACJ)の男子バレーボールチームである。
歴史
[編集]1961年10月1日に、名古屋工場で創部。団長に志賀取締役(当時)、栗山重男監督、郡司彰三主将という顔ぶれであった[2]。
1969年の日本リーグ出場決定戦で日本リーグ昇格を決めた[3]。チームのモットーは「仕事とバレーの完全両立」だが、日本リーグと実業団リーグの昇降を繰り返した。1975年5月に行われたサントリーとの日本リーグ入替戦では、勝敗、セット率で並び、得点率0.025%差で涙を飲んでいる。特に中心選手として活躍した濱野光之が引退したのちは、数年間実業団リーグに甘んじた。
1982年に廃部となっている[1]。
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成績
[編集]主な成績
[編集]- 日本リーグ
- 優勝 なし
- 準優勝 なし
- 実業団リーグ
- 優勝 1回(1972年)
- 準優勝 なし
- 国民体育大会一般男子(6人制)
年度別成績
[編集]大会名 | 順位 | 参加チーム数 | 試合数 | 勝 | 敗 | 勝率 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
日本リーグ | 第3回 (1969/70) | 5位 | 6チーム | 10 | 3 | 7 | 0.300 |
実業団リーグ | 第2回 (1970/71) | 準優勝 | 6チーム | 10 | 8 | 2 | 0.800 |
日本リーグ | 第5回 (1971/72) | 6位 | 6チーム | 10 | 0 | 10 | 0.000 |
第6回 (1972/73) | 6位 | 6チーム | 10 | 1 | 9 | 0.100 | |
実業団リーグ | 第5回 (1973/74) | 優勝 | 6チーム | 10 | 9 | 1 | 0.900 |
日本リーグ | 第8回 (1974/75) | 5位 | 6チーム | 10 | 3 | 7 | 0.300 |
実業団リーグ | 第7回 (1975/76) | 準優勝 | 6チーム | 10 | 7 | 3 | 0.700 |
第8回 (1976/77) | 4位 | 6チーム | 10 | 4 | 6 | 0.400 | |
第9回 (1977/78) | 5位 | 6チーム | 10 | 3 | 7 | 0.300 | |
第10回 (1978/79) | 4位 | 6チーム | 10 | 4 | 6 | 0.400 | |
第11回 (1979/80) | 3位 | 6チーム | 10 | 6 | 4 | 0.600 | |
第12回 (1980/81) | 優勝 | 6チーム | 10 | 10 | 0 | 1.000 | |
日本リーグ | 第15回 (1981/82) | 8位 | 8チーム | 21 | 1 | 20 | 0.048 |
脚注
[編集]- ^ a b Vリーグ機構. “リーグのあゆみ - (3) Vリーグの10年・・企業チームの試練”. 2012年9月7日閲覧。
- ^ 日本社史全集 - 住友軽金属工業社史 - 140ページ 編纂:日本社史全集刊行会、発行:常盤書院 1977年8月15日刊行
- ^ 当時は実業団リーグがまだなく入替戦は行われていなかった。
参考文献
[編集]- 月刊バレーボール 1977年1月号臨時増刊 102-103ページ
- 昭和52年度全日本バレーボール選抜男女リーグ公式プログラム 財団法人日本バレーボール協会、日本実業団バレーボール連盟刊