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利用者‐会話:怪蘇

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ウィキペディアにようこそ!

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こんにちは、怪蘇さん、はじめまして!ウィキペディアへようこそ!

  • ウィキペディアで活動する際にはガイドブックを是非ご一読ください。きっとご参考になるものと思います。
  • よろしければ自己紹介してみてください。
  • お隣の利用者ページは、ご自身の自己紹介の他、作業用のスペースなどとして利用することができます。
  • 執筆の際には中立的な観点および著作権にご留意ください。
  • 何か疑問点がありましたらWikipedia:井戸端で質問することができます。

あなたが実り多き活動をされることを楽しみにしております。

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歓迎します。--ようこそ 2006年3月17日 (金) 23:38 (UTC)


日ごろのご活動に敬意を込めて

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はじめまして。suifuと申します。自分の投稿履歴を確認中、何度と貴方様の補筆を頂き改善頂いておりましたのを知り、ここに感謝の意をこめて元祖、刻苦勤勉、記紀バーンスター(歴史関連)をお贈りさせて頂きます。今後ともよろしくお願い申し上げます。

今後のご活躍を祈念致します。--Suifu 2006年9月18日 (月) 13:59 (UTC)[返信]

Suifuありがとうございます。Suifuさんのノートにはお礼を書き込んでいましたが、改めて自分のノートでも感謝申し上げます。

はじめまして怪蘇と申します。今回はバーンスターを三つも贈っていただき身に余る光栄です。これからも公正中立の立場で活動を続け、ウィキペディアの発展にいっそう力を尽くしたいと思います。Suifuさんの活躍におおいに感銘を受けています。これからもどうぞよろしくお願いいたします。--怪蘇 2006年9月18日 (月) 21:57

歴史バーンスターの新設により、記紀バーンスターが神話関連の記事を対象とすることとなったのに伴い、歴史バーンスターに差し替えさせて頂きます。今後とも宜しくお願い致します。--海衛士 2006年10月15日 (日) 09:32 (UTC)[返信]

清衡の家族について

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Papamaruchan22ともうします。お初に訪問させていただきます。ご何時も怪蘇様の活躍拝見させて頂いてます。さて、清衡の妻子の皆殺しの時期ですが、今回の編集によりますと後三年のあと殺されたようにも受け取れます。1087年12月に後三年の役は、終了してますので1089年の記述の前に書いた方がよろしいかと存じますが、、、。異母兄弟の戦いは、3者それぞれし集合離反して書き方が大変ですが、1087年12月金沢柵で終了し1089年には、清衡の奥六郡の支配権が確立してます。清原清衡にとって異父異母兄の真衡・実母の生んだ異父弟の家衡がいて複雑な血縁ですね。皆殺しのいきさつは、もう少しボリュームを増やしてみたら私にもどうにか書けますが。papamaruchan22 2006年10月14日 (土) 10:57 (UTC)[返信]

ハセガワの件です

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Sankiと申します。怪蘇さんが追記されたハセガワの「概要」ハイテックシリーズの追記は、ハセガワではなく、グンゼ産業・「現GSIクレオス」の製品のことです。約20年も昔のことですので、勘違いされたと思います。折角の投稿文ですが、ハセガワからはコメント除去致しました。GSIクレオス側へのハイテックシリーズの投稿をお願いします。--Sanki 2006年11月8日 (水) 18:11 (UTC)[返信]

内閣官房報償費の「事務局」について

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初めまして。先ほど貴殿が記事内閣官房長官に加筆された「内閣官房報償費」の節の中に「内閣総務官と事務局が分掌する」という部分があります。内閣官房には法令に根拠を有する組織で「事務局」の名を有するものはありません。ただ、閣議決定や官房長官決裁という低いレベルに基づく事務局なら複数あります(拉致問題対策本部事務局とか)。貴殿の言われる「事務局」とはもしかしてそういう事務局ですか。もしそうならただ単に「事務局」と単数形でしか書かないのは言葉足らずというか、誤解を生むと思います。できればその辺りがわかりやすくなるようにもう少し加筆いただけないでしょうか。あるいは加筆がご面倒であれば、ここでその旨のご返答いただければ当方のほうで加筆いたしますので、よろしくお願いします。--無言雀師 2007年10月16日 (火) 12:04 (UTC)[返信]

はじめまして。ご指摘大変恐縮です。私自身それほどそちらの知識があるわけでなく、単に調べたことを書き込んだだけなので、詳しい方が訂正加筆をご自由になさって結構です。--怪蘇 2007年10月17日 (水) 08:36 (UTC)[返信]
お返事いただきありがとうございました。少々冗長になりましたが当該部分に加筆致しました。--無言雀師 2007年10月17日 (水) 11:51 (UTC)[返信]

ご相談のこと

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以前、元弘の乱の統合議論ではお世話になりました。

実はその件で御相談したいことがあります。

最近、森茂暁さんの著書を読んだのですが、その中で「元弘の変」と「元弘の乱」の定義が異なることが書かれていました。詳細はノート:元弘の乱にも書きましたが、簡単に申上げれば、後醍醐天皇が京都から脱出して隠岐に流されるまでの事件が「元弘の変」で、その事件を含めた鎌倉幕府滅亡までの一連の戦乱が「元弘の乱」ということのようなのですが、となると、先の統合にはいささか問題があるように思われます。

最近、ご活動の方はなされていらっしゃられないようですが、もし差支えが無ければ、現状の統合状態のままで宜しいのか、やはり改めて議論すべき案件なのかをお伺い出来れば幸いです。

突然のお便りで申し訳ないのですが、何卒よろしくお願いいたします。--水野白楓 2010年8月7日 (土) 04:42 (UTC)[返信]