南野信吾
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南野 信吾(みなみの しんご、1970年[1]4月26日 - 2012年6月10日)は、デジターボ(ニトロプラス・ゲームソフト部門)所属の音楽プロデューサー、音楽家。大阪府大阪市生野区出身[2]。
略歴
[編集]1990年代、新宿ロフトの店員を経て、ロックバンドBOICE(後の4-STiCKS)のボーカルとして1996年、同バンドでエピックレコードと契約・メジャー・デビュー。解散後はソロ活動や複数のバンド活動を経て、2007年、デジターボに入社[1]。同社の音楽部門「GEORIDE」でレーベルマスター兼プロデューサーを務め、ニトロプラスがリリースするゲームソフトの音楽を担当した。
2012年6月10日、大阪心斎橋通り魔殺人事件に巻き込まれ、急逝。享年42[3]。当日は心斎橋のライブハウス「ミューズホール」で同夜に行われたレーベル発足5周年記念ライブに訪れるため、来阪していた[4]。
2013年6月10日、上記の事件の風化を防ぐべく、南野と親交の深かったバンド14組が出演しての追悼ライブ「すべては彼のために」が開催された[5]。以降、この追悼ライブは毎年行われており(2017年よりMINAMINO ROCK FESTIVALに名称を変更)、NHK BSプレミアム『新日本風土記』(2021年7月30日放送「東京の地下」)でも取り上げられた[6]。経費を除く売上は南野の遺族へ支援金として送られている。2020年は新型コロナウイルス感染症の流行のため、無観客での追悼ライブ配信を行った[7]。
主な作品
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b “CEDEC2007 講師プロフィール”. コンピュータエンターテインメント協会 (2007年). 2012年6月11日閲覧。
- ^ “信吾 南野(GEORIDE)”. myspace. 2014年3月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年5月25日閲覧。
- ^ “~南野信吾 遺族支援募金のお願い~ - information”. LOFT PROJECT. (2012年8月8日) 2015年5月25日閲覧。
- ^ “音楽プロデューサー南野信吾さん 会場へあと少し…”. Sponichi Annex. (2012年6月11日) 2012年6月12日閲覧。
- ^ “「忘れない」ライブに誓う 心斎橋通り魔事件1年:音楽ニュース:音楽:エンタメ”. YOMIURI ONLINE(読売新聞). (2013年6月11日). オリジナルの2013年6月13日時点におけるアーカイブ。 2015年5月25日閲覧。
- ^ “新日本風土記「東京の地下」”. テレビマンユニオン | TV MAN UNION. 2022年8月6日閲覧。
- ^ 三上健太郎 (2020年6月5日). “無観客でも「命日に開く意味」 ミナミ通り魔の被害者追悼ライブ、10日に配信”. 毎日新聞 2021年2月15日閲覧。
外部リンク
[編集]- Shingo Minamino“Pure”Night(追悼イベントサイト)
- 南野信吾.COM(公式ホームページ)
- 南野信吾 (@georide_ism) - X(旧Twitter)