吼えろ! ドラゴン
「吼えろ! ドラゴン」 | ||||||||
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カール・ダグラス の シングル | ||||||||
B面 | ギャンブリン・マン | |||||||
リリース | ||||||||
規格 | 7インチ・シングル | |||||||
ジャンル | ディスコ | |||||||
時間 | ||||||||
レーベル |
20世紀フォックス・レコード パイ・レコード | |||||||
作詞・作曲 | カール・ダグラス | |||||||
プロデュース | ビドゥ | |||||||
ゴールドディスク | ||||||||
ゴールドディスク | ||||||||
チャート最高順位 | ||||||||
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カール・ダグラス シングル 年表 | ||||||||
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「吼えろ! ドラゴン」(原題: Kung Fu Fighting)は、ジャマイカ出身の歌手、カール・ダグラスが1974年に発表した大ヒット曲。世界中で1,100万枚売り上げたと言われている[3]。
概要
[編集]インド出身のプロデューサー、ビドゥがカール・ダグラスに歌わせるために「I Want to Give You My Everything」という楽曲を用意したところから話は始まる。ビドゥはダグラスに「I Want to Give You My Everything」のB面曲用に使える詞がないかと尋ね、彼は自作の詞をいくつかビドゥに見せた。その中から選ばれたのが本作品であった。ビドゥは次のように回想している。「何しろB面だったからね。タイトルも『Kung Fu Fighting』と適当に決めて曲を作り始めた。冗談半分で作ったよ」[4]
A面曲は2時間以上かけて制作された一方で、本作品はスタジオをおさえた時間の残り10分で素早く録音された。しかも2テイクで完成した。そして両方の曲を聴いたパイ・レコードのプロデューサー、ロビン・ブランチフラワーの意見により、本作品がA面に変更された[3]。
発売当初はほとんど話題にならなかったが、ダンス・クラブなどで徐々に人気を集め[4]、イギリスでは1974年8月17日に最初にチャートインし、9月から10月にかけて3週連続で1位を記録した。本国アメリカでは12月7日から12月14日にかけてビルボード・Hot 100の1位を記録した[5]。またソウル・チャートでも1位を記録し、ビルボードの1975年の年間チャート14位を記録した。そのほかフランス、西ドイツ、アイルランド、オーストリア、ベルギー、オランダ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ共和国の10か国で1位を記録した。
脚注
[編集]- ^ 45cat - Carl Douglas - Kung Fu Fighting / Gamblin' Man - 20th Century - USA - TC-2140
- ^ 45cat - Carl Douglas - Kung Fu Fighting / Gamblin' Man - Pye - UK - 7N 45377
- ^ a b Ellis, James (27 October 2009). “Biddu”. Metro February 23, 2016閲覧。
- ^ a b Bronson, Fred (1988年). “Kung Fu Fighting”. The Billboard Book of Number One Hits. Super Seventies. February 23, 2016閲覧。
- ^ The Hot 100 - 1974 Archive | Billboard Charts Archive
関連項目
[編集]先代 ビリー・スワン 「アイ・キャン・ヘルプ」 |
Billboard Hot 100 第1位 1974年12月7日 - 12月14日(3週) |
次代 ハリー・チェイピン 「キャッツ・イン・ザ・クレイドル」 |
先代 スティーヴィー・ワンダー 「レゲ・ウーマン」 |
Hot Soul Singles 第1位 1975年1月11日(1週) |
次代 バリー・ホワイト 「マイ・エヴリシング」 |
先代 オズモンズ 「愛ある世界を求めて」 |
全英シングルチャート 第1位 1974年9月21日 - 10月5日(3週) |
次代 ジョン・デンバー 「緑の風のアニー」 |