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和碩和嘉公主

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
和碩和嘉公主
続柄 乾隆帝第四皇女

出生 乾隆10年12月2日(1745年12月24日
死去 乾隆32年9月7日(1767年10月29日
配偶者 フルンガ
子女 富紳済倫
富紳果勒敏
家名 愛新覚羅氏
父親 乾隆帝
母親 純恵皇貴妃蘇氏
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和碩和嘉公主(わせきわかこうしゅ、乾隆10年12月2日(1745年12月24日) - 乾隆32年9月7日(1767年10月29日))は、乾隆帝の娘。母は純恵皇貴妃嘉慶帝の異母姉。

生涯

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乾隆10年(1745年、乾隆帝とその妃嬪純貴妃の娘として生まれる・

乾隆25年(1760年)、一等忠勇公フルンガ(清の武将で乾隆帝の重臣フヘンの子、乾隆帝の最初の正妃孝賢純皇后の甥)に降嫁する。

乾隆32年9月初旬、乾隆帝は公主の体調が悪化したことを鑑み、北京にいた活仏チャンキャ・ホトクトに『度経』の作成を命じ、同月7日に大臣らや乾隆帝の妃嬪皇貴妃穎妃、皇貴妃所生の第七皇女和碩和静公主・第九皇女和碩和恪公主が見舞いに駆けつけたが、その日に公主は亡くなってしまった。享年21。

子女

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  • 富紳済倫 - 前妻に乾隆帝第三皇女固倫和敬公主(生母は孝賢純皇后)の四女である四格格を娶る。後妻は伊爾根覚羅氏。
  • 富紳果勒敏

参考文献

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