奉写一切経司
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奉写一切経司(ほうしゃいっさいきょうし)は、律令制における官職。写経所を管理する組織で、称徳天皇発願の一切経書写にあたった。
概要
[編集]『正倉院文書』では神護景雲元年(767年)九月廿六日付造東大寺司牒が初見であり[1]、宝亀3年(772年)8月11日には「先奉写一切経司」と見えるため[2]、それ以降に廃止されたものと見られる。写経事業は元来図書寮管下で、天平宝字6年(762年)十二月廿一日付文書が初出の「奉写御執経所」[3]が行っていたが、それが母体となって、神護景雲3年(769年)7月から8月の間に改称して奉写一切経司となっている。称徳天皇の願経は当初、奉写一切経司と東大寺奉写一切経所とで書写されていたが、宝亀2年(771年)8月以前にすべて東大寺奉写一切経所へ事業が移されている。次官に任命されている若江王・秦智麻呂はそれぞれ奉写一切経司牒に署判を加えている[4]。そのほか、主典として念林老人・三島県主宗麻呂・因幡国造田作の名が挙げられている[5]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『続日本紀』4 新日本古典文学大系15 岩波書店、1995年