Location via proxy:   [ UP ]  
[Report a bug]   [Manage cookies]                
コンテンツにスキップ

寺島信子

半保護されたページ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

てらしま のぶこ
寺島 信子
寺島 信子
1952年
本名 寺島 信子[1][2][3]
生年月日 (1929-01-23) 1929年1月23日(95歳)
出身地 日本の旗 日本東京都[4]
民族 日本人
身長 160 cm(1963年時点)[5]
血液型 A型[6]
ジャンル 俳優声優
配偶者 原弘男(1959年[7][8] - 1963年[9]
受賞
第10回芸術祭賞奨励賞
テンプレートを表示

寺島 信子(てらしま のぶこ[2][10]、てらじま のぶこ[5][1][11]1929年1月23日[6][5][3] - )は、日本の女優声優東京都出身[3]

略歴

1954年

大和田小学校[12]、日出高等女学校(現・目黒日本大学高等学校)卒業[2][13][12]。高校卒業後は新協劇団の研究生となり、初舞台を踏む[3]。井上正夫演劇道場を経て[11][3]、父親の縁で[13]水谷八重子 (初代)の一座に入団[3][11][注 1]。新派の舞台で6年間活動[2]。1950年には幹部となるが、一座が解散することになり[13]ラジオ東京放送劇団に1期生として入団[5][13]。1957年4月に退団後は[14]、プレーヤーズセンター[3]りんどうプロ[15]、第一協団[5]、森事務所[16]東京俳優生活協同組合[17]、劇団新派[18]江崎プロダクション[1]、田上事務所[10]に所属していた。

過去には市川寿美礼近松麗江とともに竜の落とし子グループとして活動していた[3]

1950年に『悲恋華』で映画デビューする。当初はラジオドラマの出演が多く、その後テレビドラマでは『これが青春だ』や『でっかい青春』などの青春学園ドラマで母親として出演していた。また、『ニルスのふしぎな旅』のアッカ隊長役や『ERII緊急救命室』などの海外ドラマで声優としても活躍しており、キャサリン・ヘップバーンを持ち役としていた[19]。現在は高齢のため、声優業を行っていない。

人物

父親は新派の俳優、寺島正広[13]。弟の寺島康夫は[13]東京放送技術局の業務部長を務めた[20]。息子がおり、テレビドラマ『パパ起きてちょうだい』(写真出演)、ラジオドラマ『最後の人』で親子共演を果たしている[21]

ラジオ東京放送劇団の後輩であった嵯峨隆一とは結婚の約束をしていたが、嵯峨は1955年4月1日に熱海のホテルで自殺[22][13]。寺島が嵯峨に冷たくするようになったことを悲観しての自殺であるなどと報道された[22]。嵯峨の遺族から「許婚がいる相手を誘惑し、自身の潔白を主張して故人の名誉を棄損した」として損害賠償を請求された(後に取り下げ)[13]。寺島は許婚の存在に関して嵯峨から聞かされていたが[22][13]、嵯峨本人から「何とかする」と説明され[13][22]、嵯峨の母親からも「そのつもりなら、先方と話しを付けても良い」と答えられたこと述べている[22]

寺島は許婚の件が片付くまでは結婚しないつもりだったこと、職場に恋愛を持ち込まないことを決めていたことや、スケジュールの都合で嵯峨に会う事が難しかったことが、彼を追い詰めてしまったのではないかと述べている[13]

寺島は引退することを考えていたが水谷八重子から励まされたことで仕事を続けていくことが出来たとされる[11]

1958年12月15日にTBSプロデューサーの原弘男と結婚し、赤坂プリンスホテルで式を挙げるが[7][8]、1963年に離婚[9]。離婚の条件として息子の親権は原に渡った[9]。その際、原からは「今後も母親として息子に接することは構わない」と言われたが、離婚後、息子は一月ごとに原の知人の家を転々とする生活を送らされた[9]。寺島は原の言葉を鵜呑みにしたことを後悔し、家庭裁判に親権者変更調停の申立てを行い親権を得ることに成功[9]。その後、原は一切の養育費を支払わず、TBS社内ではこのことがきっかけとなり、寺島の起用を控えるようになったとされる[9]

後任・代役

出演作品

テレビドラマ

映画

吹き替え

洋画・海外ドラマ

海外アニメ

テレビアニメ

1968年
1970年
1980年
1986年

ナレーション

脚注

注釈

  1. ^ 雑誌『婦人倶楽部』では、高校卒業後に父親の縁で井上正夫演劇道場に入り、道場が解散した後、新協劇団の研究生となり、井上正夫に水谷八重子を紹介され、劇団新派に入ったと記載されている[12]

出典

  1. ^ a b c 『声優事典』(第2版)キネマ旬報社、1996年、465頁。ISBN 4-87376-160-3 
  2. ^ a b c d 「ラジオ声優・アナ」『現代日本新人物事典 : 大臣からファッション・モデルまで 1956年度版』近代社、1955年、463頁。 
  3. ^ a b c d e f g h 「新桜オールスタァ名鑑」『芸能画報』4月号、サン出版社、1958年。 
  4. ^ 『声優名鑑』成美堂出版、1999年8月10日、187頁。ISBN 4-415-00878-X 
  5. ^ a b c d e 『タレント名鑑』《NO2》芸能春秋社、1963年、153頁。 
  6. ^ a b 寺島信子のプロフィール・画像・写真(0000043379)”. ザテレビジョン. 2021年10月28日閲覧。
  7. ^ a b 「寺島信子の秘めたる情事」『小説倶楽部』1月号、桃園書房、1959年1月、192頁。 
  8. ^ a b 長谷川鏡次「赤いセーターのお嬢さん」『武昇記』日本林材新聞社、1959年、169頁。 
  9. ^ a b c d e f 寺島信子「みのるちゃんパパがいなくても頑張つてね」『婦人生活』8月号、婦人生活社、1966年8月、192 - 194頁。 
  10. ^ a b 出演者名簿』《2002年版》著作権情報センター、2001年、238頁。 
  11. ^ a b c d 「ラジオスタァ評判記」『婦人生活』8月号、婦人生活社、1956年8月、209 - 210頁。 
  12. ^ a b c 「婚約不履行時代」『婦人倶楽部』11月号、講談社、1955年11月、124 - 126頁。 
  13. ^ a b c d e f g h i j k 「一千万の男の貞操」『婦人生活』11月号、婦人生活社、1955年、136 - 140頁。 
  14. ^ 『芸術新潮』第8号、新潮社、1957年6月、28頁。 
  15. ^ 『出演者名簿』《昭和38年版》著作権資料協会、1963年、309頁。 
  16. ^ 『出演者名簿』《昭和43年版》著作権資料協会、1967年、253頁。 
  17. ^ 出演者名簿』《昭和49年度版》著作権情報センター、1973年、274頁。 
  18. ^ 出演者名簿』《1980年》著作権情報センター、1979年、274頁。 
  19. ^ 松田咲實「洋画吹き替え持ち役リスト(女優1)」『声優白書』江崎加子男(資料協力)、オークラ出版、2000年3月1日、21頁。ISBN 4-87278-564-9 
  20. ^ 国勢協会 編『国勢総覧 1990年版』国際連合通信社、1989年12月、7300頁。 
  21. ^ 「赤ちゃんバンザイ」『婦人生活』8月号、婦人生活社、1961年2月。 
  22. ^ a b c d e 「私は恋人を殺していない!」『新婦人』11月号、文化実業社、1955年11月、88 - 91頁。 
  23. ^ 黒い罠[吹]土曜映画劇場版”. スターチャンネル. 2023年11月2日閲覧。
  24. ^ ニルスのふしぎな旅”. スタジオぴえろ 公式サイト. ぴえろ. 2023年1月16日閲覧。

外部リンク