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川内追廻

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
川内追廻
町丁
青葉山公園整備前の町内
(2008年5月26日)
地図北緯38度18分 東経140度54分 / 北緯38.3度 東経140.9度 / 38.3; 140.9座標: 北緯38度18分 東経140度54分 / 北緯38.3度 東経140.9度 / 38.3; 140.9
日本の旗 日本
都道府県 宮城県の旗 宮城県
市町村 仙台市
行政区 青葉区
人口情報2024年4月1日現在[1]
 人口 1 人
 世帯数 1 世帯
設置日 1878年(明治11年)
10月21日
郵便番号 980-0863
市外局番 022
ナンバープレート 仙台
町字ID[2] 0095000
運輸局住所コード[3] 04001-0288
ウィキポータル 日本の町・字
宮城県の旗 ウィキポータル 宮城県
ウィキプロジェクト 日本の町・字
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川内追廻(かわうちおいまわし)は、宮城県仙台市青葉区町丁郵便番号は980-0863[4]。人口は1人、世帯数は1世帯(2024年4月1日現在)[1]。丁目の設定のない単独町名である。全域で住居表示が実施されている[5]。旧仙台区川内追廻、仙台市川内追廻

仙台城本丸および三の丸の東側崖下、広瀬川右岸にあり、面積は約7ha[6]大橋西詰付近に接続する1本の市道[7]以外は袋小路となっている。1950年代には約600世帯、約4000人が住んでいた[8]が、核家族化が進んだ平成に入る頃には600世帯弱ながら人口は約1/3まで減少した[9]2023年全国都市緑化フェアが開催され[10]、それと前後して最後の1軒となった住宅が解体された[11]。その後も仙台市によって青葉山公園整備事業が進められている。

歴史

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仙台城三の丸とは長沼を隔てた外側、広瀬川の内側にあたり、江戸時代には仙台城の防衛上重要な地であった。大橋の北西角にあたる北側が家臣の片倉家の仙台屋敷で、追廻はその南に続く南北に細長い地区であった。城に近い西側に馬場、その東隣に三つの厩、その隣に馬事にかかわる役人の屋敷が並んだ[12]

明治維新後、仙台城に第二師団が置かれると、建物が取り払われた。射撃場や練兵場、競馬場などとして利用された。1920年代には青葉軌道長町駅から通町駅まで川内追廻を通って電車を引く計画を立てたが、実現しなかった[要出典]

第二次世界大戦後、国は戦争被災者のために国有地に応急住宅を整備した(追廻住宅)[13]。事業主体だった住宅営団の解散後、住民は建物を買い取って生活を続けた[13]

一方、仙台市は1946年(昭和21年)に青葉山一帯を公園用地とする都市計画を決定し、国と仙台市の間で土地の移転交渉が続けられ、下水道や都市ガス、道路整備などの整備は見合わされた[13]。しかし、1973年(昭和48年)から仙台市は住宅の新築や増改築を容認する方針をとり、1977年(昭和52年)には住宅金融公庫(現住宅金融支援機構)の一般融資が受けられるようになったため新規の居住者が増えて問題が複雑化した[13]

国と仙台市の土地移転交渉は難航し、住民は国に土地賃貸料を支払って居住を続けたが、2006年には大半の賃貸借契約の契約期間が満了した[13]。2011年3月には集団移転先となる市営住宅が完成したが、一部住民は国に借地権の契約更新を求めて退去を拒否した[13]

2020年6月に国と仙台市は追廻地区を含む地域を市に対して2025年5月末まで無償で貸し出す契約を結び、2023年の全国都市緑化フェアのメイン会場となることが決定した[13]。2022年9月には追廻住宅に残っていた最後の1軒が仙台市の補償に応じて移転に同意したことが発表された(ただし、国が遅延損害金を求めた訴訟が継続している)[13]

2023年2月に前述の最後の1軒が取り壊され[11]、同年4月から6月には全国都市緑化フェアのメイン会場となった。それと前後して「仙臺緑彩館」がオープンするなど整備が進められている[14]

年表

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世帯数・人口

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各年10月1日現在の世帯数・人口(住民基本台帳
(2段の場合は、上段が4月1日現在、下段が10月1日現在)[9]
世帯数 人口
1989年 593 世帯 1,471 人
1990年 577 世帯 1,414 人
1991年 567 世帯 1,387 人
1992年 568 世帯 1,362 人
1993年 551 世帯 1,313 人
1994年 527 世帯 1,245 人
1995年 518 世帯 1,184 人
1996年 484 世帯 1,098 人
1997年 453 世帯 1,004 人
1998年 374 世帯 787 人
1999年 309 世帯 650 人
2000年 261 世帯 536 人
2001年 221 世帯 454 人
2002年 198 世帯 395 人
2003年 178 世帯 355 人
2004年 166 世帯 326 人
2005年 145 世帯 275 人
2006年 110 世帯 207 人
2007年 84 世帯 159 人
2008年 72 世帯 138 人
2009年 67 世帯 秘匿措置
66 世帯 秘匿措置
2010年 65 世帯 秘匿措置
64 世帯 秘匿措置
2011年 57 世帯 102 人
13 世帯 24 人
2012年 11 世帯 秘匿措置
8 世帯 16 人
2013年 8 世帯 秘匿措置
8 世帯 秘匿措置
2014年 8 世帯 秘匿措置
7 世帯 秘匿措置
2015年 6 世帯 秘匿措置
6 世帯 秘匿措置
2016年 秘匿措置 秘匿措置
秘匿措置 秘匿措置
2017年 5 世帯 8 人
4 世帯 5 人
  • 秘匿措置が採られている統計値は、グラフ上において0で示す。

住民基本台帳 世帯数(各年10月1日現在)

100
200
300
400
500
600

各年10月1日の世帯数の前年比(2015年まで)

住民基本台帳 人口(各年10月1日現在)

250
500
750
1,000
1,250
1,500

主な施設

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脚注

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出典

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  1. ^ a b 町名別年齢(各歳)別住民基本台帳人口”. 仙台市. 2024年9月3日閲覧。
  2. ^ 日本 町字マスター データセット”. デジタル庁 (2022年3月31日). 2024年3月3日閲覧。
  3. ^ 自動車登録関係コード検索システム”. 国土交通省. 2024年3月3日閲覧。
  4. ^ 宮城県 仙台市青葉区 川内追廻の郵便番号”. 日本郵便. 2024年3月3日閲覧。
  5. ^ 仙台市 住居表示実施地区 町名一覧表(区毎・50音順)”. 仙台市. 2024年3月3日閲覧。
  6. ^ a b c d e 8世帯なお移転拒否 仙台・追廻住宅の明け渡し(河北新報 2011年6月8日)
  7. ^ 仙台市道青葉1340号・追廻天主台線
  8. ^ a b 残された「無番地」の街読売新聞追憶の風景 戦後70年」 2015年5月12日)
  9. ^ a b 町名別年齢(各歳)別住民基本台帳人口”. 仙台市 (2017年10月10日). 2017年12月5日閲覧。
  10. ^ 全国都市緑化仙台フェア(未来の杜せんだい2023―Feel green!―)”. 仙台市. 2024年9月3日閲覧。
  11. ^ a b c “仙台から消えた町”追廻…70年以上続いた移転交渉「ボタンの掛け違い」から生まれた住民と行政の確執”. FNNプライムオンライン. FNN (2023年6月28日). 2024年9月3日閲覧。
  12. ^ 鈴木省三『仙台風俗志(全)』53頁。
  13. ^ a b c d e f g h i 【独自】仙台「戦後処理」の象徴・追廻住宅 最後の1軒が移転同意、来年3月までに退去へ”. 河北新報. 2022年9月2日閲覧。
  14. ^ 青葉山公園 仙臺緑彩館”. 青葉山エリアマネジメント. 2024年9月3日閲覧。
  15. ^ a b c d e f 旧軍用地に係る土地政策と転用実態 ―終戦直後から戦災復興期の都市部における旧軍用地転用― (PDF) (土地総合研究 2015年夏号)pp.152-153
  16. ^ a b c d e f 巻末資料 (PDF) (仙台市)
  17. ^ 事業概要 (PDF) (仙台市建設局 2016年8月)
  18. ^ {{{1}}} (PDF) (1949年11月9日。国立国会図書館
  19. ^ a b c d 移転先「政府倉庫」敷地に決定 仙台・追廻住宅(河北新報 2008年2月7日)
  20. ^ 仙台政府倉庫建造物調査報告書仙台市教育委員会 2009年3月)

参考文献

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  • 鈴木省三『仙台風俗志』、1937年。鈴木省三・著、青木大輔・中山栄子・編『仙台風俗志(全)』、歴史図書社、1977年に収録。
  • 仙台学 vol6 2008 『戦争ー場所の記憶を訪ねて』

関連項目

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外部リンク

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