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川崎義徳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

川崎 義徳(かわさき よしのり、1931年11月29日 - )は日本の裁判官滋賀県生まれ[1]

概要

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京都大学卒業[1]1954年に司法修習生となる[1]1956年に岐阜地裁・家裁で裁判官実務を経験し、1965年に最高裁調査官、1967年に最高裁事務総局で民事局課長、1972年に那覇地裁総括判事、1975年3月に東京地裁総括判事を経験[1]。1975年4月に司法研修所事務局長に就任するも、1976年5月に女性が法曹界に進出するのに否定的発言をするという形で女性研修生に対する差別として、同年9月14日に研修所から書面による厳重注意処分を受けた(裁判官訴追委員会から訴追請求を受けるも不訴追となった)[2][3][4][注釈 1]

1979年10月に東京地裁総括判事、1981年3月に最高裁民事・行政局長、1983年7月に最高裁経理局長、1986年9月に最高裁事務次長、1988年1月に千葉地裁所長、1989年11月に最高裁事務総長1992年2月に大阪高裁長官、1994年3月に東京高裁長官を歴任し、1996年11月に定年退官[6][7][8][9]

1997年7月から2002年6月まで公害等調整委員会委員長を務めた[10]。公害等調整委員会委員長時代は香川県豊島の産業廃棄物問題について不法投棄現場を直接視察した上で公害調停を出し、小田急沿線騒音について住民に慰謝料を支払うことを求める裁定を下した[11][12][13]

2004年4月瑞宝大綬章受章[14]

脚注

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注釈
  1. ^ スイスでは1886年に法学者エミリー・ケンピン=スピリの法曹団体への参加が認められなかったことがあったが、1971年には女性参政権(選挙権)が可決された[5]
出典
  1. ^ a b c d 日本民主法律家協会司法制度委員会 1990, p. 66.
  2. ^ 日本民主法律家協会司法制度委員会 1990, p. 67・285.
  3. ^ “「法律家よりも家庭婦人に…」 司法研教官ら 修習生に“差別発言” 女性弁護士、怒りの抗議”. 朝日新聞. (1976年7月13日) 
  4. ^ “二人に厳重注意 司法研修所の“女性差別発言” 二人は不問に”. 朝日新聞. (1976年9月15日) 
  5. ^ スイスの女性参政権ドイツ語版。「武者小路実世#エピソード」も参照。
  6. ^ 日本民主法律家協会司法制度委員会 1990, p. 67.
  7. ^ “最高裁判事に小野幹雄大阪高裁長官”. 読売新聞. (1992年2月7日) 
  8. ^ “高裁長官 東京は川崎、大阪は藤井、福岡は山口氏決まる”. 読売新聞. (1994年2月25日) 
  9. ^ “東京高裁長官に金谷利広・最高裁事務総長を任命/政府”. 読売新聞. (1996年11月22日) 
  10. ^ “公害等調整委員会の委員長に川嵜義徳・元東京高裁長官を起用/総理府”. 読売新聞. (1997年7月1日) 
  11. ^ “香川・豊島の産業廃棄物問題 状況「想像以上」 川嵜義徳・公調委委員長視察”. 読売新聞. (1997年7月25日) 
  12. ^ “香川・豊島の産業廃棄物問題 公害調停で7社の解決金支払いが正式決定/岡山”. 読売新聞. (1998年2月5日) 
  13. ^ “小田急沿線 住民に慰謝料計956万円、「鉄道」で初の裁定/公害等調整委”. 読売新聞. (1998年7月24日) 
  14. ^ 平成16年春の叙勲 瑞宝大綬章受章者” (PDF). 内閣府. p. 1 (2004年4月29日). 2004年7月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月24日閲覧。

参考文献

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  • 日本民主法律家協会司法制度委員会『全裁判官経歴総覧』公人社、1990年。