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川村カオリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
川村 カオリ
(川村 かおり)
出生名 川村 かおり
別名 SORROW
生誕 1971年1月23日
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国モスクワ
死没 (2009-07-28) 2009年7月28日(38歳没)
日本の旗 日本東京都
学歴 英国四天王寺学園高等部
ジャンル J-POPロック
職業 歌手
作詞家
ファッションモデル
女優
エッセイスト
担当楽器
活動期間 1988年 - 2009年
レーベル ポニーキャニオン
(1988年 - 1993年)
ファンハウス
(1995年 - 1997年)
ユニバーサル ミュージック ジャパン
(2003年 - 2009年)
共同作業者 上田ケンジ
marhy
松浦晃久

川村 カオリ(かわむら カオリ、1971年1月23日 - 2009年7月28日)は、日本ロック歌手[1][2][3]。本名及び旧芸名は川村 かおりモスクワ生まれ。血液型はB型。父は歴史学者の川村秀、弟は俳優の川村忠、娘はモデルDJの刈込るちあ[4][5]乳癌を患い、闘病しながら音楽活動を継続していたが2009年7月28日死去[3]

略歴

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日本人の父親とロシア人の母親とのハーフとしてモスクワで生まれる[2]。幼い頃に正教洗礼を受ける。聖名ギリシャ語で「復活」「復活した女」を意味するアナスタシア[6]

17歳で歌手としてデビュー。俳優ラジオパーソナリティDJモデルエッセイストとしても活動[3]。1989年春から務めたオールナイトニッポンでは、日露ハーフである事を最大限に生かしてロシア語を教えたりソビエト連邦(当時)から生放送を行ったりした。番組の最終目標は当時のソ連の書記長ゴルバチョフを番組のゲストに招く事であったが、1991年4月に海部俊樹首相(当時)に晩餐会に招待され、念願であった面会を果たした[1][2]。女優としてドラマや映画に出演。映画「東京の休日」(1991年公開)や「BLACK KISS」(2006年公開)では主演も果たし、国内アパレルブランド[7]のモデルとしてパリ・コレクションなどのファッションショーにも多数出演した[1][2]。自身のプロデュースブランド「Royal Pussy」も全国展開させた[1][2]

SORROW(ソロウ)

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1999年から川村の音楽活動の再開にあたり、ソロプロジェクトとしてスタート[8]ギタリスト弥吉淳二との共同プロデュースでミニ・アルバム2枚リリース後、ライブ活動の過程で次第にバンドとして形成されるようになり、何度かのメンバー・チェンジを経て2000年より正式にバンド「SORROW」を結成[8][9][10]。メンバーはギターに川村の当時の夫で元SOBUTのMOTOAKI、ウッドベースに元HELLBENTのYUICHI、ドラムスにASSFORT・ROSSOのドラマーのMASATO[10]

来歴

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11歳の時に家族と共にモスクワから千葉県に移住。帰国後に編入した小学校で、「純粋な日本人ではない」「混血、ハーフ」と揶揄を受け、いじめに遭う[注 1]

都内の中学校に進学した1983年、大韓航空機撃墜事件[注 2]が起きると、同級生はおろか、教師からも心無い非情な言葉を浴びせられたという[11]。このこともあり学校への不信感を募らせ、同級生が多く進学するであろう地域ではない高校への進学を考える。

1986年、東京都立田柄高等学校に進学。芸術の選択教科は美術であり、音楽の授業は普通教科のみであった[注 3]。高校進学後は特にいじめられることはなかった。新宿ロフトやツバキハウスなどに頻繁に出入りするようになったのもこの時期である。そこで音楽関係者と知り合い、後にデビューの足掛かりとなった。

1987年、都立高校を中退し渡英。ライブハウスに通い詰める。暫くして英国四天王寺学園高等部(2000年閉校)に編入、単位を修得し卒業。程なく帰国する。

1988年11月、辻仁成プロデュースにより川村かおりとしてシングル「ZOO[注 4]および同名アルバムでデビュー[1][2]

1989年4月から1991年6月の間、オールナイトニッポン土曜2部のパーソナリティを務める。

1990年、「神様が降りてくる夜」が自身も準レギュラーとして出演した『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』のテーマ曲やテレビドラマ「悪魔のKISS」の挿入歌として使用される[2]

1991年、「翼をください[注 5]もヒット。音楽番組だけではなくバラエティ番組などにも出演するようになる。また、モデルとして雑誌やショーに出演する機会も増える。同年、『東京の休日』で映画初主演。

1992年、エッセイ集『volume―僕の手の中』を発表。

1993年より活動を休止し、ニューヨーク等で過ごす[1]

1995年6月、所属レコード会社を移籍、シングル「Big Beat」で音楽活動を再開。

1996年、NHK-BSのテレビドラマ『新宿鮫・屍蘭』に出演[注 6]。翌1997年にも同シリーズの『新宿鮫・毒猿』に引き続き出演。

1998年、クラブ音楽の制作を目的としたソロプロジェクト「SORROW」を開始[1][2]。またクラブイベントでDJとしての活動も始め、モデルの坂田かよと共にクラブイベント「696」を開催する。この頃、「川村かおり」から「川村カオリ」に改名。同年、母が乳癌で他界。

1999年2月、バンド「SOBUT」のギタリストであったMOTOAKIと結婚[12]。同年、手塚眞監督の映画『白痴』に出演。

2000年、「SORROW」のメンバーに中村達也を加えてイベントを全国で展開。このツアー以降、「SORROW」はソロプロジェクトからMOTOAKIを含む4人編成のバンド形態へと移行し、インディーズで活動を続ける[1][2][8]

2001年、クラブイベント「696」の全国ツアーの様子を自ら撮影したドキュメンタリー映画『696 TRAVELING HIGH』を公開。同年、行定勲監督『贅沢な骨』に出演。また同年12月、長女を出産[12]

2003年、「SORROW」名義でユニバーサルJ(ユニバーサル ミュージック)よりミニアルバムメジャー・デビュー。同年、MOTOAKIとの別居生活を始める。

2004年、乳がんが見つかり、左乳房の切除手術と抗がん剤治療を受ける[12]

2005年、復帰して芸能活動を再開。9月に自伝的フォトエッセイ『Helter Skelter』を出版。少女期に受けたいじめや結婚・出産、音楽活動での紆余曲折、乳癌とその闘病生活などをつづった。

2006年、手塚眞監督の映画『BLACK KISS』で主演を務める。

2007年2月、「SORROW」の活動休止(実質解散)を発表。同年、北村龍平監督の『LOVE DEATH』に出演。6月には3年半の別居の末にMOTOAKIと離婚。
6月20日に発売されたTHE NEATBEATSのアルバム『JAPANESE ROCK & ROLL ATTACK!!ロックンロールの逆襲〜日本編』に、「ロックンロール・ウィドウ」のカバーで参加。
9月29日、ピンクリボン運動のイベントでトークショーに出演。「年に1度はマンモグラフィー検査に行ってほしい」と訴える[13][14]。イベント終了後の記者会見では、話し合いを経て共に悔いの無い心境で離婚届を提出した事、長女の親権は川村が持つ事などを明かした[15]

2008年10月1日、ブログで癌の再発を発表。同日参加したピンクリボンフェスティバル終了後の記者会見で手術が不可能なため抗がん剤治療を続けていることを明かす[注 7][12]

2009年1月23日、11年ぶりの誕生日ライブを東京・原宿アストロホールで行う。
3月22日、東京渋谷HMVでシングル「バタフライ」と書籍『MY SWEET HOME』の発売記念インストアライブを行う。
4月4日、単発特番の『川村カオリのオールナイトニッポン』が放送される予定だったが、体調不良のため川村本人は生出演せず、急遽『川村カオリのためのオールナイトニッポン』として放送された。MCは構成作家の鈴木おさむ
5月5日、東京渋谷C.C. Lemonホールで生前最後のステージとなった20周年を記念したワンマンライブを開催[注 8][17]。デビュー当時からの想いが詰まったホールでどうしてももう一度ステージに立ちたいという自身の強い希望から行われた[17]。直前で体調が悪化したために公演中は椅子に座ったままの状態だったが3時間にわたるライブをやり遂げ、アンコールの『ZOO』ではギターを抱えて立って歌った[17]
5月27日、13年ぶりのフルアルバム『K』を発売。
7月1日、ブログで癌の新たな転移が見つかったことを報告。
7月28日11時01分、乳がんのため東京都内の病院で死去[18][19]。38歳没。正教の信徒であったため、葬儀は日本正教会最大の教会であるニコライ堂で行われた。7月30日夜にパニヒダ(通夜)、31日昼に埋葬式(葬儀)[注 9]が行われ、友人・知人からの献花を受けた[20]。聖堂内には川村のCD、愛用のギター三本などが並べられた[21]。喪主は、カオリの弟である川村忠が務めた[22]

2023年2月19日、『オールナイトニッポン55周年記念 オールナイトニッポン55時間スペシャル』内で放送された『伊集院光のオールナイトニッポン あのときの2部オールスターズ〜2部振り返り&反省会スペシャル〜』で、伊集院光をはじめ当時の2部を担当していたパーソナリティが集結。昔を懐かしみ、エンディングには出演が叶わなかった川村の『ZOO』が流された。

ディスコグラフィー

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※1stシングル - 17thシングル/1stアルバム - 7thアルバムまでは川村かおり名義。

※18thシングルと8thアルバムは川村カオリ名義となっている。

シングル

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  発売日 タイトル 規格 規格品番 収録曲 レーベル 備考
1st 1988年11月2日 ZOO 8cmCD S10A-0183 SEE SAW[注 10]
2000年8月19日 CD PCCA-01471
2nd 1989年2月21日 Sweet Little Boy 8cmCD S10A-0242
3rd 1989年5月21日 Hard Rain 8cmCD S9A-1017
4th 1989年9月21日 MERRY-GO-ROUND 8cmCD PCDA-00002
5th 1990年2月21日 僕たちの国境 8cmCD PCDA-00052
6th 1990年5月21日 神様が降りて来る夜 8cmCD PCDA-00085
7th 1990年11月21日 三日月に腰かけて 8cmCD PCDA-00134
8th 1991年1月23日 翼をください 8cmCD PCDA-00150
9th 1991年11月13日 見つめていたい 8cmCD PCDA-00251
10th 1992年12月16日 からっぽの僕 8cmCD PCDA-00394
11th 1993年6月18日 風の生まれる場所から 8cmCD PCDA-00430
12th 1995年6月25日 Big Beat 8cmCD FHDF-1486 ファンハウス[注 11]
13th 1995年8月25日 HEY HEY 8cmCD FHDF-1496
14th 1995年12月1日 DREAMER DREAMER 8cmCD FHDF-1519
15th 1996年5月22日 Go Home No Home 8cmCD FHDF-1551 NHKBS2ドラマ「新宿鮫 屍蘭」の主題歌。
16th 1996年8月21日 夏の朝にキャッチボールを 8cmCD FHDF-1569 THE HIGH-LOWS真島昌利作詞・作曲によるシングル。
17th 1997年1月22日 WONDER RAIN 8cmCD FHDF-1608
18th 2009年3月18日 バタフライ 〜あの晴れた空の向こうへ〜 CD UMCC-5008 MILESTONE CROWDS[注 12] デビュー20周年シングル。

スタジオ・アルバム

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  発売日 タイトル 規格 規格品番 レーベル 備考
1st 1988年11月21日 ZOO CD D32A-0402 SEE SAW[注 10] 2018年11月21日にUHQCDにて

ポニーキャニオンから再発売
PCCA-50304

2nd 1989年10月21日 CAMPFIRE PCCA-00006
3rd 1990年7月21日 Hippies PCCA-00091
4th 1992年2月5日 Weed PCCA-00345
5th 1995年9月1日 BEATA FHCF-2247 ファンハウス[注 11]
6th 1996年9月21日 BANBITA FHCF-2309
7th 2009年5月27日 K CD+DVD<初回限定盤> UMCC-9018 MILESTONE CROWDS[注 12]
CD UMCC-1033

ベスト・アルバム

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  発売日 タイトル 規格 規格品番 レーベル
1st 1991年3月21日 Church CD PCCA-00247 SEE SAW[注 10]
2nd 2003年4月16日 Anthology 川村かおりBEST PCCA-01882 ポニーキャニオン
3rd 2008年7月16日 川村かおり ベスト・コレクション PCCS-00047
4th 2014年7月16日 メモリアルベスト 39番目の夢 CD+DVD PCCA-4072

ライブ・アルバム

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  発売日 タイトル 規格 規格品番 レーベル
1st 2010年7月28日 Message-Last Live 2009.05.05- 2CD PCD-18636 Pヴァイン

SORROW名義

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  発売日 タイトル 規格 規格品番 収録曲 レーベル 備考
シングル
1st 2000年6月21日 TEENAGE HERO CD DGRC-1001 DEAD GIRLS
2nd 2004年8月11日 Buddy CD DGCD-1002
3rd 2004年9月25日 CRAZY BUZZ BUGGY<限定盤> CD DGCD-1003
4th 2004年12月15日 RIVIERA CD DGCD-1004
2005年4月27日 BUDDY & RIVIERA DRIVE<限定盤> 2CD DGCD-1005 シングル2枚組セット。
ミニ・アルバム
1st 1999年3月25日 SORROW CD CRCH-10001 ミッション・ヒル TX系「サッカーTV」エンディング・テーマ「My name is Sorrow」他を収録。
2nd 1999年10月21日 MACARONI CD PIPR-1003 DEAD GIRLS
3rd 2003年2月5日 TOKYO RODEO CD UPCH-1217 ユニバーサルJ
フルアルバム
1st 2002年1月23日 Lagrimas de Maria CD DGCD-1001 DEAD GIRLS
2nd 2003年11月5日 confusion CD UPCH-1298 ユニバーサルJ
ベスト 2005年9月14日 THIRTEEN:13 CD DGCD-1008 DEAD GIRL

その他

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楽曲提供

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  • 「遠い声」LOVE(作詞)

映像作品

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ソロ名義

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  発売日 タイトル 規格 規格品番 レーベル 備考
ビデオ・クリップ・ドキュメント集 1989年5月21日 KAORI KAWAMURA 1 ZOO VHS VX45M1887 ポニーキャニオン ポニーキャニオン時代の各アルバムタイトルよりビデオクリップ、

ゆかりの地へ赴く様子やメイキング、オフショットを収録したもの。

※「KAORI KAWAMURA 1 ZOO」のブックレットに依るとM4「Russian Blue」には、赤の広場に於ける"近衛兵交代"の貴重なシーンがある為一部、自然音で収録されている。

1990年1月10日 Kaori Kawamura 2 CAMPFIRE PCVP-10118
1990年9月21日 Kaori Kawamura 3 Hippies PCVP-10324
ビデオ・クリップ集 1996年9月21日 VIDEO BEATA FHVF-1115 ファンハウス[注 11] ※未DVD化
ライブ映像集 2009年5月6日 re-birth 20090123 DVD UMBC-1010 MILESTONE CROWDS[注 12] 2009年1月23日、11年ぶりに行われた"20th Anniversary Birthday Live「re-birth」"の映像を収録。
2010年9月22日 UMBC-9013<初回生産限定盤>
ビデオ・クリップ・ドキュメント集 2019年1月16日 KAORI KAWAMURA 1・2・3 PCBP-53504 ポニーキャニオン ポニーキャニオン時代のVHS、3タイトルをDVDパッケージに1枚にまとめ再発。

ボーナストラックとして「翼をください」、「見つめていたい」を収録。

SORROW名義

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  発売日 タイトル 規格 規格品番 レーベル 備考
ライブ映像集 2003年11月5日 RODEO GIGs Nights DVD UPBH-1100 ユニバーサルJ
2005年6月29日 UPBH-9200
ライブ映像集 2004年4月28日 Night of confusion DVD DGDV-1001 DEAD GIRLS
ビデオ・クリップ集 2005年3月30日 NINE CLIPs DVD DGDV-1002
ライブ映像集 2005年3月30日 THE LIVE UNDERGROUND DVD DGDV-1003

出演

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映画

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  • 東京の休日」(1991年、長尾直樹監督) - ナーシア 役(主演)
  • 白痴」(1999年) - メイク 役
  • 贅沢な骨」(2001年) - クラブの女 役
  • 「696TRAVELING HIGH」(2001年)[23] - 川村カオリ(本人) 役(主演・監督)
  • 「BLACK KISS」(2006年、手塚眞監督) - ルーシー(黒木香純) 役
  • 「LOVEDEATH」(2007年) - カオリン 役

TVドラマ

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TVバラエティー

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ラジオ

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CM

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著書

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写真集

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  • 『THESE ARE THE DAYS』(2000年)
  • 『True Romance』(撮影:ニッキー・スターキー、2000年) - MOTOAKIとの写真集。

関連人物(楽曲提供・プロデュースなど)

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参考

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脚注

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注釈

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  1. ^ 私物を隠されたり、教科書を破かれることもしばしばあった。一部の生徒が「川村かおりを殺す会」と呼称したグループまで作り、時に給食にゴミや害虫などの異物を入れるような酷い仕打ちをしたという。
  2. ^ ソ連上空を領空侵犯した大韓航空機がソ連防空軍の戦闘機に迎撃され撃墜した事件。日本人犠牲者は28人。
  3. ^ 1986年当時の同校芸術選択教科は、美術・音楽・書道の三つから選択。
  4. ^ 後に辻仁成自身(所属バンドECHOESによるセルフカバー)や菅野美穂(ドラマ「愛をください」の役名の「蓮井朱夏」名義)、福山雅治伴都美子沼倉愛美などによりカバーされた。
  5. ^ 赤い鳥(1971年)のカヴァー。
  6. ^ 原作の「青木晶」は川村をイメージしてキャラクター付けされているという。
  7. ^ 前年関節炎と診断された胸の痛みの原因が実際はがんである事が1月に判明、リンパ節の3ヶ所に転移しており、手術が不可能なため点滴での抗がん剤治療を続けている事を明かした[16]
  8. ^ ゲストは鈴木祥子浅井健一高橋研吉川晃司、渡辺俊美、鈴木彩子で、13年ぶりのフルアルバム『K』に参加したメンバーが入れ換わりで演奏した。合間にはオールナイトニッポンの公開録音を行った。
  9. ^ 埋葬式は主教祈祷
  10. ^ a b c ポニーキャニオンのレーベル。
  11. ^ a b c 現・ARIOLA JAPAN
  12. ^ a b c ユニバーサル ミュージックの邦楽レーベル。
  13. ^ 主題歌として「メリーゴーラウンドに乗ってる君のことが好きだよ」を使用の他、挿入歌としてアルバム『ZOO』から「Kids」、『Hippies』から「パイレーツ」をそれぞれ使用。ビデオパッケージによると、原作者である江口寿史本人の希望によって実現した。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h BIOGRAPHY”. Kaori Kawamura web. 2018年2月2日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i 川村カオリBIOGRAPHY”. UNIVERSAL MUSIC JAPAN. 2018年2月2日閲覧。
  3. ^ a b c ロック歌手・川村カオリ献花式“アナスタシア””. ZAKZAK. 夕刊フジ (2009年10月1日). 2018年2月2日閲覧。
  4. ^ “川村カオリの娘(るちあ)の現在(2023)。旦那のモトアキとは離婚。弟の川村忠は俳優?”. アスネタ (バイロンベイ). (2023年8月16日). https://asuneta.com/archives/32199 2023年10月29日閲覧。 
  5. ^ 刈込るちあ”. PUMP management. 2023年10月29日閲覧。
  6. ^ 川村カオリさん通夜に700人”. スポーツ報知 (2009年7月31日). 2009年8月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月2日閲覧。
  7. ^ LIMI feu(リミフゥ・山本耀司の長女・里美のブランド)、alfredo BANNISTER(アルフレッド・バニスター)、Roen(ロエン)、Candy Stripper(キャンディストリッパー)、HIROMICHI NAKANO(ヒロミチナカノ)、FULLCOUNT(フルカウント)など
  8. ^ a b c BAND PROFILE”. SORROW OFFICIAL WEBSITE. 2018年2月2日閲覧。
  9. ^ グラン・トリノ”. 川村カオリ オフィシャルブログ (2009年4月29日). 2018年2月3日閲覧。
  10. ^ a b FACTORY #0102 SORROW – Profile”. フジテレビ (2003年1月11日). 2018年2月2日閲覧。
  11. ^ 2009年3月13日放送『金スマ波瀾万丈』及び、自伝『Helter Skelter』参考。
  12. ^ a b c d 『川村カオリ作品展 “FACES”』ピンクリボン月間に開催中。”. Techinsight. ウーマンエキサイト (2015年10月3日). 2018年2月2日閲覧。
  13. ^ 川村カオリ、自身の乳がん体験を初告白”. ORICON NEWS (2007年9月30日). 2018年2月2日閲覧。
  14. ^ 『ピンク ピンク ピンク!』開催のお知らせ”. 富士フイルム (2007年8月29日). 2007年9月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月2日閲覧。
  15. ^ OICON STYLE ニュース 川村カオリ、離婚届は「笑いながら」提出 参考。
  16. ^ 川村カオリ「歌い続けたい」ガン再発を告白”. スポーツ報知 (2008年10月2日). 2008年10月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月2日閲覧。
  17. ^ a b c 川村カオリ、生前最後のステージを収めたライブアルバム”. 音楽ナタリー (2010年5月27日). 2018年2月2日閲覧。
  18. ^ information”. 川村カオリ公式サイト. 2020年10月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年9月30日閲覧。
  19. ^ 歌手の川村カオリさん死去、乳がんで闘病”. サンケイスポーツ (2009年7月28日). 2009年7月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月2日閲覧。
  20. ^ “川村カオリさん 翼を広げ 天国へ”. スポニチ. (2009年8月1日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2009/08/01/kiji/K20090801Z00002440.html 2023年9月30日閲覧。 
  21. ^ “川村カオリさん“ロック葬”で天国へ…”. デイリースポーツ. (2009年7月31日). http://www.daily.co.jp/gossip/obituaries/2009/07/31/0002182693.shtml 2011年2月15日閲覧。 [リンク切れ]ただし、出典記事には正教会の用語等につき多くの誤りがあり、これを修正して本項文章を作成。
  22. ^ 川村カオリさん死去…2度の乳がん転移の末”. Sponichi Annex (2009年7月29日). 2009年7月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月2日閲覧。
  23. ^ “映画公式サイト”. https://web.archive.org/web/20010808210855/http://www.696officialgate.com/special/index.html 2022年6月4日閲覧。 
  24. ^ 川村カオリ『ヘルター・スケルター』p.11

外部リンク

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