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毛岸英

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
毛岸英
ソ連軍軍服を着た毛岸英
プロフィール
出生: 1922年民国11年)10月24日
死去: 1950年11月25日
朝鮮民主主義人民共和国の旗 北朝鮮 平安北道昌城郡東倉面大榆洞
(現:東倉郡大楡労働者区)
出身地: 中華民国の旗 中華民国 湖南省長沙県撈刀河鎮
職業: 軍人
各種表記
繁体字 毛岸英
簡体字 毛岸英
拼音 Máo Ànyīng
和名表記: もう がんえい
発音転記: マオ・アンイン
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毛 岸英(もう がんえい、マオ・アンイン、1922年10月24日 - 1950年11月25日)は、中華人民共和国軍人毛沢東楊開慧の長男。弟に毛岸青がいる。

生涯

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湖南省長沙市湘雅医院に生まれる。中国共産党の活動家であった母の楊開慧は毛岸英が8歳の時に国民党軍に逮捕・銃殺された。母の死後、上海で浮浪児となっていたところを発見され、1936年ソ連モスクワ東部イヴァノヴォにあるインタードームに留学した[1]第二次世界大戦中は赤軍に加わり、独ソ戦ではポーランド砲兵として戦った[2]

妻の劉松林と

1947年ソ連共産党に入党、ロシア語に堪能なために幹部のロシア語通訳として勤務した。1949年10月に劉松林と結婚する。1950年夏に北京機器総厰の党総支部の副書記に任じられた。しかし、朝鮮戦争彭徳懐のロシア語通訳として従軍中、平安北道昌城郡東倉面大楡里(現在の東倉郡大楡労働者区)において、アメリカ空軍ナパーム弾による爆撃で戦死した(#戦死時の状況を巡る議論も参照)。毛沢東は息子の死を1951年1月3日に秘書の報告で知った。

毛岸英の墓は朝鮮民主主義人民共和国平安南道檜倉郡中国人民志願軍烈士陵園にあり、銅像も存在する[3]中朝関係を象徴するものとして、北朝鮮の最高指導者でもある金正日[4]やその後継者の金正恩[5][6][7][8]など両国の要人が訪れている[9]。中国側でも、国境の町遼寧省丹東市の市街地を見下ろす丘にある「抗米援朝記念館」に毛岸英の胸像がある[10]

没後60年にあたる2010年には毛岸英を主人公とするテレビドラマが制作され、中央電視台より放送された。

戦死時の状況を巡る議論

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1994年に出版された彭徳懐の伝記『一个真正的人』には、作戦処参謀の高瑞欣と翻訳者の毛岸英が蛋炒飯(卵チャーハン)を作っていたところ爆撃を受けた旨の記述がある[11]。また、作戦処副処長を務めた楊迪が1998年に出版した回顧録『在志願軍司令部的歳月里』には、3人の同志が蛋炒飯を作っていたという記述があり、当時楊迪はそのうち成普という同志については知っていたが、後の2人は作戦処の参謀とロシア語翻訳者であることしか知らなかった。爆撃後、成普を除く2人は戦死したというのである。『在志願軍司令部的歳月里』第2版(2003年)、第3版(2008年)の加筆によれば、その卵は当時人民志願軍司令部に派遣されていた北朝鮮の朴一禹が贈ったものだったという[12][13][14]。一方、その場に居合わせた成普自身は、毛岸英と高瑞欣はストーブで北朝鮮から贈られたリンゴを炙って焼きリンゴを作っていたと証言し、蛋炒飯説を否定している[15]

2020年頃より中国歴史研究院中国語版が蛋炒飯作成説を否定し、毛岸英は電報の作成と送受信を気にかけて死亡したと主張している[16]

蛋炒飯抗議中国語版は、この戦死時の状況に関連して生まれた当局への抗議活動である。毛岸英の誕生日である10月24日あるいは命日の11月25日前後、抗議者らは卵チャーハンのレシピを投稿したり、ジョークを共有するなどして、中国の歴史は必ずしも好ましいものではなかったが、毛岸英の死により少なくとも北朝鮮のような特定の一族による世襲国家にはならずに済んだことを記念するのである。こうした卵チャーハンに関するジョークは当局によって禁じられており、実際に処分を受けた例も知られている[17]ほか、処分に至らないまでも強い非難を浴びた例も存在している[18]

毛岸英学校

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毛岸英が1950年10月23日夜、朝鮮へ渡った場所とされる鴨緑江岸の遼寧省寛甸満族自治県長甸鎮河口村には、毛岸英の胸像、「毛岸英学校」、および校内に「毛岸英生平業績陳列館」が建てられている。

建設経緯

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2001年、作家の楊大群(1927年 - )が「毛岸英」を執筆、その印税を学校建設に寄付したほか、同年6月18日、毛岸英の妻だった劉思齊(1930年 - 2022年、別名・劉松林、1962年に再婚)が河口村を訪れ学校建設について協議した。その後、各界からも寄付を募り、2003年9月26日に学校竣工、デザイン設計は大連理工大学土木建筑設計院が担った。2010年、抗美援朝60周年に合わせて毛岸英学校の教師と生徒が北朝鮮の中国人民志願軍烈士陵園を訪れ献花した[19]

脚注

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  1. ^ 李樹華の戦時ソ連生活回顧」&「イヴァノヴォ学校の子供たち」[新京報 2015.05.08.] (中国語)
  2. ^ Pathanothai, Sirin. The Dragon Pearl. Simon and Schuster. 1994. p 163.
  3. ^ 中国軍上層部代表団が朝中友誼塔に献花”. 中国網. 2016年9月4日閲覧。
  4. ^ “金総書記の「中朝血盟ショー」、毛岸英氏の墓に献花”. 東亜日報. (2010年10月29日). http://japanese.donga.com/List/3/all/27/313606/1 2018年4月14日閲覧。 
  5. ^ “正恩氏、デビューの途端に出ずっぱり 「後継」アピール”. 朝日新聞. (2010年10月29日). http://www.asahi.com/special/08001/TKY201010280518.html 2018年4月14日閲覧。 
  6. ^ “金正恩氏が中国人民志願軍烈士の墓地を参拝”. 人民日報. (2013年7月31日). http://j.people.com.cn/94474/8347666.html 2018年4月14日閲覧。 
  7. ^ “金正恩総書記、中国人民志願軍の墓に花輪を贈呈”. 中国網. (2015年7月28日). http://japanese.china.com/news/world/329/20150728/426958.html 2018年4月14日閲覧。 
  8. ^ “金正恩氏 毛沢東氏長男の墓参拝=休戦協定締結65周年迎え”. 聯合ニュース. (2018年7月27日). http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2018/07/27/0200000000AJP20180727000200882.HTML 2018年7月28日閲覧。 
  9. ^ 朴斗植「朝鮮戦争は「正義の戦争」だったという習近平氏」、『朝鮮日報』日本語版、2010年10月27日付コラム。平岩俊司『北朝鮮 変貌を続ける独裁国家』(中公新書、中央公論新社、2013年)189-190頁。新華社『新華網日本語版』「金正恩氏、桧仓郡の中国人民志願軍烈士陵園に赴き弔う」、2013年7月31日付(2015年10月閲覧)。
  10. ^ 二つの線が町の運命を変えた 鉄原1945~1953”. 朝日新聞. 2015年6月21日閲覧。
  11. ^ “参谋与毛岸英一同葬身火海 遗腹女身世被瞒46年”. 中国新闻周刊. (2010年11月11日). http://news.sina.com.cn/c/sd/2010-11-11/103121453469.shtml 
  12. ^ 杨迪 (1998年9月). 在志愿军司令部的岁月里——鲜为人知的真实情况. 北京: 解放军出版社. pp. 292-293. ISBN 7506535629 
  13. ^ 杨迪 (2003年7月). 在志愿军司令部的岁月里——鲜为人知的真实情况 (第2版 ed.). 北京: 解放军出版社. pp. 337-338. ISBN 7506535629 
  14. ^ 杨迪 (2008年9月). 在志愿军司令部的岁月里——鲜为人知的真实情况 (第3版 ed.). 北京: 解放军出版社. pp. 309-310. ISBN 9787506556927 
  15. ^ 成普(口述); 成曦、密巍(整理) (2011年12月). “现场目击者见证 毛岸英牺牲真相”. 文史参考 (23): 40-43. オリジナルの2013-08-13時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130813191049/http://news.ifeng.com/history/zhongguoxiandaishi/detail_2011_11/29/10971470_0.shtml 2013年7月20日閲覧。. 
  16. ^ “「毛沢東の長男はチャーハンを作っていて爆死」…中国共産党が“修正”したい不都合な史実”. クーリエ・ジャポン. (2021年7月5日). https://courrier.jp/columns/251699/ 2021年7月6日閲覧。 
  17. ^ Colby Cosh (2021年11月9日). “Colby Cosh: Why posting about egg fried rice could land you in a Chinese jail”. National Post. 2023年12月1日閲覧。
  18. ^ 中国著名シェフ、二度と卵チャーハンを作らないと宣言 毛沢東の息子侮辱と批判され”. CNN (2023年11月30日). 2023年12月3日閲覧。
  19. ^ “訪問団が毛岸英学校の掲揚式に参加 老校長の退職前の願い”. 東方網. 2017年1月29日閲覧。