清瀬義三郎則府
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人物情報 | |
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生誕 |
1931年1月25日[1] 日本 東京府東京市麹町区 |
死没 | 2017年7月30日(86歳没)[1] |
国籍 | 日本 |
出身校 |
京都大学文学部 インディアナ大学大学院ウラル・アルタイ学研究科博士課程 |
両親 | 清瀬一郎 |
学問 | |
研究分野 | 言語学 |
学位 | Ph.D.(哲学博士)(インディアナ大学) |
称号 | ハワイ大学名誉教授 |
清瀬 義三郎則府(きよせ ぎさぶろう のりくら、1931年1月25日 - 2017年7月30日[1][2])は、日本の言語学者。ハワイ大学名誉教授。英語筆名はGisaburo N. Kiyose。
人物
[編集]アルタイ言語学・古代朝鮮語・女真語女真文字・満洲語の研究に従事。日本語に関する著作も多く、日本語とアルタイ諸語とで共通する膠着語的性格などを説く。また「日本語の動詞は活用しない」とする派生文法を提唱[3]。音韻史の分野にも一家言があり、ハ行子音は平安朝までP-音であったとする[4]。原日本語の8母音説を採り、各母音の音価を推定した[5]。
来歴
[編集]1954年京都大学文学部言語学科卒業。大東文化大学・兼国士舘大学講師を務め、1964年より米国インディアナ大学で助手・講師・助教授を歴任。1973年にはインディアナ大学大学院ウラル・アルタイ学研究科博士課程を修了、Ph.D.(哲学博士)を受ける。その間、オハイオ州立大学・ミネソタ大学・ミシガン大学・ウィスコンシン大学、各夏学期兼任講師。1974年にカリフォルニア州立大学助教授に転じ、1979年にはハワイ大学に転じて大学院助教授・準教授・正教授を歴任。また、1989年から1991年まで京都大学招聘教授として来日。1994年、ハワイ大学名誉教授となる。爾後は帰朝して、姫路獨協大学教授ほか2001年まで大阪外国語大学講師など[6]。
著書
[編集]- Fundamentals of Japanese (with Toyoaki Uehara), Bloomington: Indiana University Press, 1974.
- A Study of the Jurchen Language and Script: Reconstruction and Decipherment(女真館訳語の研究), Kyoto: Horitsubunka-sha(法律文化社), 1977.
- 『日本語文法新論・派生文法序説』桜楓社(おうふう)、1989年、2版 1993年。
- 『日本語学とアルタイ語学』/Japanese Linguistics and Altaic Linguistics, 明治書院、1991年.
- Japanese Grammar: A New Approach, Kyoto: Kyoto University Press(京都大学学術出版会), 1995.
- 『満洲語文語入門』(河内良弘と共編著)京都大学学術出版会、2002年、2版 2005年、3版 2014年。
- 『日本語文法体系新論・派生文法の原理と動詞体系の歴史』ひつじ書房、2013年。
- Introduction to Literary Manchu, (with Yoshihiro Kawachi), Wiesbaden: Harrassowitz, forthcoming.
脚注
[編集]- ^ a b c Obituary: Gisaburo N. KIYOSE, 1931–2017 - Permanent International Altaistic Conference
- ^ “清瀬義三郎則府先生逝去”. 新かもしかみち (2017年12月1日). 2020年10月31日閲覧。
- ^ 清瀬義三郎則府、「連結子音と連結母音と――日本語動詞無活用論」、『国語学』 86集、1971年、42-56頁、その他。
- ^ 清瀬義三郎則府、「平安朝波行子音P音論」、『音声の研究・21集』、東京:日本音声学会、1985年、73-87頁、その他。
- ^ 清瀬義三郎則府、「日本語の母音組織と古代音価推定」、『言語研究』96号、1989年、23-42頁、その他。
- ^ 『日本紳士録』第79版、東京:交詢社、2005年、き256頁。