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濃畑三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

濃畑 三郎(のうはた さぶろう、1885年明治18年)2月22日[1][2] - 1943年昭和18年))は、日本の実業家政治家

宮市大丸(現在の大和)常務取締役[2]、みくに新聞社社長、福井県会議員[1]を務めた。

経歴

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北海道朝田庄次郎の三男として福井県坂井郡三国町(現在の坂井市)に生まれ、その後先代・安吉の養子となる。濃畑家は三国町で金銀箔も扱う紙問屋・四日市屋で、「四の三(しのさん)」と呼ばれていた[3]。『茶の本』『東洋の理想』等の著書で知られる日本美学界の泰斗・岡倉天心の母・この(旧姓:濃畑(野畑))とも関係があったという[4]

1922年大正11年)、家督を相続する。明治大学修業、内務省勤務を経て福井県会議員や宮市大丸常務取締役を歴任した[5]金沢市から福井市に宮市大丸を誘致し、福井駅前の現在の北陸銀行福井支店西隣辺りに福屋デパートを開店した(詳細は「福井大和」を参照)[6]

その後、三国町の地元紙・みくに新聞の社長や三国電燈会社の重役を歴任した[7][8]

人物

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宗教は浄土真宗[5]。趣味は碁・書画[5]

家族

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  • 妻・コウ1894年(明治27年)12月生、福井、梶伊助の妹)[7]
  • 男・英二郎1921年(大正10年)1月生)[7]
    東京帝国大学経済学部卒業、日本製鋼所元勤務[9][10]。父・三郎の死にともない、1949年(昭和24年)に三国の家を整理し、東京に居を移す[3]
  • 男・安太郎1912年(明治45年)3月生、生母は北海道、伊藤その)[7]
    紙問屋を継ぐ。30代で没した後は妻が引き継いだものの、現在その店は閉店・解体され現存しない[3]

脚注

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  1. ^ a b 濃畑 三郎 | デジタルアーカイブ福井”. www.library-archives.pref.fukui.lg.jp. 2024年6月20日閲覧。
  2. ^ a b 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2024年6月20日閲覧。
  3. ^ a b c 佐々木美帆、椎野晃史、長野栄俊 編『岡倉天心展 : 生誕150年・没後100年記念』福井県立美術館、2013年、31頁。 
  4. ^ 佐々木美帆、椎野晃史、長野栄俊 編『岡倉天心展 : 生誕150年・没後100年記念』福井県立美術館、2013年、232頁。 
  5. ^ a b c 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2024年6月20日閲覧。
  6. ^ 福井新聞社社史編纂委員会 編『福井を伝えて一世紀 : 福井新聞百年史』 2巻、福井新聞社、2000年、60頁。 
  7. ^ a b c d 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2024年6月20日閲覧。
  8. ^ 福井県坂井市. “港町の世相が生き生きと 「みくに新聞」が市へ(4月13日)”. 福井県坂井市. 2024年6月20日閲覧。
  9. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2024年6月20日閲覧。
  10. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2024年6月20日閲覧。

参考文献

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  • 人事興信所 編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。
  • 福井新聞社社史編纂委員会 編『福井を伝えて一世紀 : 福井新聞百年史』 2巻、福井新聞社、2000年。
  • 佐々木美帆、椎野晃史、長野栄俊 編『岡倉天心展 : 生誕150年・没後100年記念』福井県立美術館、2013年。