犬上郡
人口19,941人、面積157.2km²、人口密度127人/km²。(2024年10月1日、推計人口)
以下の3町を含む。
郡域
[編集]1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。
- 甲良町・多賀町の全域
- 彦根市の大部分(松原町、古沢町、里根町、原町、野田山町より南西かつ三津屋町、日夏町、清崎町、賀田山町、太堂町、安食中町より北東[1])
- 豊郷町の北東部(安食西・安食南・三ツ池・四十九院・石畑・八目・雨降野・八町)
地理
[編集]東部地域は南北に走る鈴鹿山脈の西麓にあたり、東麓側にある三重県いなべ市(旧・員弁郡)および岐阜県大垣市上石津地域自治区(旧・養老郡)と県境を接する。主な山として霊仙山と三国岳がある。多賀町域の山間部は石灰岩帯であり、総延長距離全国第4位の大洞窟として知られる鍾乳洞の河内風穴を擁している。
地域は扇状地であり、標高は東に高く、西に低い。最も面積の大きい多賀町は町域の大半が山地であり、平地が少ないのに対して、甲良町と豊郷町は全域が平地である。そして、これらの平地は湖東平野の一部をなしている。
地域の北部を流れる芹川は、霊仙山に発して西進し、彦根市域に入ったのち、琵琶湖に流入する。南部を流れる犬上川は、東方の鈴鹿山脈に発した北谷川と南谷川が多賀町川相(かわない)で合流し、犬上川となって西進。多賀町域から甲良町域・彦根市域を経て琵琶湖に達している。また、最も南部を流れる宇曽川は、鈴鹿山麓の東近江市北東部の永源寺地区の北東に発して西進し、愛知郡愛荘町域・豊郷町域・彦根市域を経て琵琶湖に注ぐ。
中世以前
[編集]近世以前は、いぬがみのこおり、いぬがみこおり、いぬがみごおり、いぬかみごおり、とも呼ばれた。日本武尊(やまとたけるのみこと)の子・稲依別王の後裔と『記紀』に記載される地方豪族・犬上君(いぬがみのきみ、犬上氏)や、天津彦根命の後裔で三上氏の同族である犬上県主(いぬがみのあがたぬし)らが勢力的地盤としていた地域であり、郡名もそれら氏族の名に由来している。
古代
[編集]下記の郷が置かれた。
- 多賀郷(たがのごう) / 多可郷(たかのごう)
- 水沼村(みぬまむら) - 現在の多賀町敏満寺字尼子の南部一帯にあった。現存する日本最古の地図の一つであり、現存する世界最古の地籍図の一つとも考えられる「東大寺領近江国水沼村墾田図」(天平勝宝3年〈751年〉に作成された絵地図。正倉院所蔵)で有名[2]。後世、東大寺の荘園となる[3]。
- 甲良郷(かわらのごう)
- 安食郷(あじきのごう、あんじきのごう) - 現・豊郷町域の半分。阿直岐氏の居住地とされる。
- 覇流村(へるむら) - 犬上郡と愛智郡の郡境で琵琶湖と荒神山に挟まれた曽根沼(現在は彦根市に所在)一帯。「東大寺領近江国水沼村墾田図」に記された水沼村と同様、「東大寺近江国開田図」に記述がある。後世、東大寺の荘園となる[3]。
中世
[編集]下記の荘が置かれた。
- 犬上荘(いぬかみのしょう) - 領家は、広隆寺領、興福寺領、山門家領、ほか。
- 多賀荘 - 領家は多賀神社(現・多賀大社)。
- 水沼荘(みぬまのしょう) - 水沼村を前身とする荘園。領家は東大寺[3]。
- 高宮庄 - 領家は山門領。
- 甲良荘(かわらのしょう) - 尼子郷(尼子氏発祥地)、下之郷(多賀氏の本拠地)、藤堂村(藤堂氏発祥地)、法養寺村(甲良氏発祥地)、ほか。
- 安食荘(あじきのしょう、あんじきのしょう)
- 安養寺荘
- 覇流荘(へるのしょう) - 覇流村を前身とする荘園。領家は東大寺[3]。
近世以降
[編集]江戸時代には中山道が郡の中央を南北に走り、犬上郡内の宿場としては高宮宿(64番目、現・彦根市高宮町)が設けられていた。また、旧・坂田郡の鳥居本宿(63番目、現・彦根市鳥居本町)を北の起点として始まる朝鮮人街道も郡内を通っていた。ただしこれらの全ては現在、近代になって犬上郡から分かれた彦根市の市域となっている。
近代以降の沿革
[編集]- 彦根町[5]、後三条村、松原村、中藪村、長曽根村[6]、里根村、大藪村、開出今村、野瀬村、宇尾村、八坂村、甘呂村、西今村、竹ヶ鼻村、平田村、小泉村、岡村、東沼波村、正法寺村、戸賀村、山之脇村、西沼波村、地蔵村、高宮村、野田山村、土田村、月ノ木村、小林村、曽我村、久徳村、大堀村、中川原村、一円村、栗栖村、八重練村、●多賀村、敏満寺村、四手村、大岡村、猿木村、大尼子村、今畑村、落合村、入谷村、桃原村、杉村、甲頭倉村、屏風村、後谷村[7]、水谷村、保月村、河内村、五僧村、向ノ倉村、富之尾村、藤瀬村、川相村、霜ヶ原村、霜ヶ原村出屋敷、佐目村、南後谷村[8]、大君ヶ畑村、萱原村、一ノ瀬村、大杉村、小原村、仏ヶ後村、樋田村、長寺村、金屋村、●池寺村、北落村、小川原村、楢崎村、横関村、正楽寺村、法養寺村、在士村、下之郷村、八目村、雨降野村、尼子村、八町村、石畑村、四十九院村、南川瀬村、川瀬馬場村、野口村、極楽寺村、葛籠町村、西葛籠町村、森堂村、法士村、普賢寺村、蓮台寺村、堀村、金剛寺村、辻堂村、太堂村、明福寺村、楡村、安食中村、安食西村、安食南村、北山崎村、大山崎村、小山崎村、小田部村、茂賀村、●清水村、島村、中沢村、泉村、妙楽寺村、安田村、筒井村、五僧田村、寺村、須越村、三津屋村、大橋村、大橋中村[9]、外町村[9]、安清村、出町村[10]
- 明治4年
- 明治5年
- 明治7年(1874年)(1町110村)
- 5月
- 彦根町の一部(佐和町および北新町の一部)が分立して古沢村となる。
- 明福寺村・楡村・安食中村が合併して千尋村となる。
- 大山崎村・小山崎村・小田部村・茂賀村が合併して賀田山村となる。
- 大橋村・大橋中村・外町村が合併して芹川村となる。
- 10月
- 普賢寺村の一部(枝郷大野)が分立して広野村となる。
- 中藪村・長曽根村が合併して中根村となる。
- 霜ヶ原村出屋敷が霜ヶ原村から正式に独立して壺村となる。
- 安食南村の一部が分立して三ツ池村となる。
- 高宮村の一部が分立して呉竹村となる。
- 小林村・曽我村が合併して木曽村となる。
- 今畑村・落合村・入谷村が合併して霊仙村となる。
- 島村・中沢村・泉村・妙楽寺村・安田村・筒井村・五僧田村・寺村が合併して日夏村となる。
- 5月
- 明治12年(1879年)(1町107村)
- 明治14年(1881年)2月 - 中根村が分割されて中藪村・長曽根村となる。(1町108村)
- 明治19年(1886年)9月 - 千尋村の一部が分立して楡村・安食中村となる。(1町110村)
町村制以降の沿革
[編集]- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。(1町18村)
- 彦根町(彦根町[12]が単独町制。現・彦根市)
- 北青柳村 ← 中藪村、長曽根村、松原村(現・彦根市)
- 磯田村 ← 八坂村、大藪村、須越村、三津屋村(現・彦根市)
- 南青柳村 ← 甘呂村、開出今村(現・彦根市)
- 福満村 ← 竹ヶ鼻村、宇尾村、西今村、野瀬村、戸賀村、平田村、小泉村(現・彦根市)
- 青波村 ← 岡村、山之脇村、後三条村、芹川村、里根村、安清村、古沢村(現・彦根市)
- 千本村 ← 野田山村、正法寺村、大堀村、東沼波村、西沼波村、地蔵村(現・彦根市)
- 高宮村(単独村制。現・彦根市)
- 川瀬村 ← 蓮台寺村、辻堂村、極楽寺村、森堂村、金剛寺村、堀村、広野村、犬方村、川瀬馬場村、南川瀬村、野口村、西葛籠町村、葛籠町村、出町村(現・彦根市)
- 日夏村(単独村制。現・彦根市)
- 安水村 ← 清崎村、賀田山村、安食中村、楡村、太堂村、千尋村(現・彦根市)
- 豊郷村 ← 安食西村、安食南村、三ツ池村、四十九院村、石畑村、八目村、雨降野村、八町村(現・豊郷町)
- 西甲良村 ← 尼子村、在士村、下之郷村、小川原村、呉竹村(現・甲良町)
- 東甲良村 ← 横関村、北落村、法養寺村、長寺村、金屋村、池寺村、正楽寺村(現・甲良町)
- 大滝村 ← 藤瀬村、川相村、一ノ瀬村、仏ヶ後村、大杉村、樋田村、萱原村、楢崎村、壷村、小原村、霜ヶ原村、南後谷村、佐目村、大君ヶ畑村、富之尾村(現・多賀町)
- 多賀村 ← 四手村、多賀村、敏満寺村、土田村、猿木村(現・多賀町)
- 久徳村 ← 八重練村、大岡村、栗栖村、一円村、久徳村、月ノ木村、中川原村、木曽村(現・多賀町)
- 芹谷村 ← 水谷村、桃原村、屏風村、後谷村、向之倉村、甲頭倉村、河内村、霊仙村(現・多賀町)
- 脇ヶ畑村 ← 杉村、保月村、五僧村(現・多賀町)
- 明治23年(1890年)8月16日 - 川瀬村が改称して河瀬村となる。
- 明治24年(1891年)5月6日 - 北青柳村が分割され、一部(松原)に松原村、残部に改めて北青柳村が発足。(1町19村)
- 明治25年(1892年)6月25日 - 安水村が改称して亀山村となる。
- 明治31年(1898年)4月1日 - 郡制を施行。
- 大正元年(1912年)9月10日 - 高宮村が町制施行して高宮町となる。(2町18村)
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和12年(1937年)2月11日 - 彦根町・松原村・青波村・北青柳村・福満村・千本村が合併して彦根市が発足し、郡より離脱。(1町13村)
- 昭和16年(1941年)11月3日 - 多賀村・久徳村・芹谷村が合併して多賀町が発足。(2町10村)
- 昭和17年(1942年)6月10日 - 磯田村・南青柳村が彦根市に編入。(2町8村)
- 昭和25年(1950年)4月1日 - 日夏村が彦根市に編入。(2町7村)
- 昭和30年(1955年)4月1日
- 東甲良村・西甲良村が合併して甲良町が発足。(3町5村)
- 多賀町・大滝村・脇ヶ畑村が合併し、改めて多賀町が発足。(3町3村)
- 昭和31年(1956年)9月30日(3町1村)
- 昭和32年(1957年)4月3日 - 高宮町が彦根市に編入。(2町1村)
- 昭和46年(1971年)2月11日 - 豊郷村が町制施行して豊郷町となる。(3町)
変遷表
[編集]明治22年4月1日 | 明治22年 - 大正15年 | 昭和1年 - 昭和19年 | 昭和20年 - 昭和29年 | 昭和30年 - 昭和64年 | 平成元年 - 現在 | 令和元年 - 現在 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
彦根町 | 彦根町 | 昭和12年2月11日 彦根市 |
彦根市 | 彦根市 | 彦根市 | 彦根市 | |
北青柳村 | 北青柳村 | ||||||
明治24年5月6日 分立 松原村 | |||||||
青波村 | 青波村 | ||||||
福満村 | 福満村 | ||||||
千本村 | 千本村 | ||||||
磯田村 | 磯田村 | 昭和17年6月10日 彦根市に編入 | |||||
南青柳村 | 南青柳村 | ||||||
日夏村 | 日夏村 | 日夏村 | 昭和25年4月1日 彦根市に編入 | ||||
川瀬村 | 明治23年8月16日 改称 河瀬村 |
河瀬村 | 河瀬村 | 昭和31年9月30日 彦根市に編入 | |||
安水村 | 明治25年6月25日 改称 亀山村 |
亀山村 | 亀山村 | ||||
高宮村 | 大正元年9月10日 町制施行 高宮町 |
高宮町 | 高宮町 | 昭和32年4月3日 彦根市に編入 | |||
多賀村 | 多賀村 | 昭和16年11月3日 多賀町 |
多賀町 | 昭和30年4月1日 多賀町 |
多賀町 | 多賀町 | |
久徳村 | 久徳村 | ||||||
芹谷村 | 芹谷村 | ||||||
大滝村 | 大滝村 | 大滝村 | 大滝村 | ||||
脇ヶ畑村 | 脇ヶ畑村 | 脇ヶ畑村 | 脇ヶ畑村 | ||||
東甲良村 | 東甲良村 | 東甲良村 | 東甲良村 | 昭和30年4月1日 甲良町 |
甲良町 | 甲良町 | |
西甲良村 | 西甲良村 | 西甲良村 | 西甲良村 | ||||
豊郷村 | 豊郷村 | 豊郷村 | 豊郷村 | 昭和31年9月30日 豊郷村 |
昭和46年2月11日 町制施行 豊郷町 |
豊郷町 | 豊郷町 |
愛知郡 日枝村 |
愛知郡 日枝村 |
愛知郡 日枝村 |
愛知郡 日枝村 |
出身有名人
[編集]- 古代
- 中世
- 尼子詮久 - 武将、土豪、近江国守護代。尼子郷生まれ。
- 尼子持久 - 武将、土豪、官吏(出雲国守護代)。
- 多賀高忠 - 戦国武将、室町幕府京都所司代。
- 藤堂虎高 - 戦国武将、土豪。
- 藤堂高則 - 戦国武将、土豪。
- 藤堂高虎 - 戦国武将、土豪、大名。
- 甲良宗広 - 大工。
- 近世
- 絹屋半兵衛(伊藤半兵衛) - 陶芸家、商人。外船町(そとふなまち。現・彦根市船町)生まれ[13]。
- 桜川大龍 - 江州音頭宗家。
- 井伊直弼 - 大名、江戸幕府大老。
- 日下部鳴鶴 - 書家、彦根藩士、政治家(太政官等)。彦根城下生まれ。
- 初代 伊藤忠兵衛 - 商人、実業家。
- 六代目 伊藤長兵衛 - 実業家。
- 近現代
- 横山運平 - 俳優。
- 二代目 伊藤忠兵衛 - 実業家。
- 夏原平次郎 - 実業家。
- 団鬼六 - 小説家、脚本家、演出家。
- 田原総一朗 - ジャーナリスト、評論家、ニュースキャスター。
- 藤木てるみ - 漫画家。
- 大野和三郎(おおの・わさぶろう) - 政治家(元豊郷町長)。1955年(昭和30年)豊郷村生まれ。
- ねこしたPONG(犬上利一) - 漫画家。
- 岡野弘文 - 実業家(エキセントリックデザイン株式会社社長)。1975年(昭和50年)豊郷町生まれ。
- 西川純司 - 元プロ野球選手。
- 則本昂大 - プロ野球選手。多賀町出身。
行政
[編集]- 歴代郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 明治12年(1879年)5月16日 | |||
大正15年(1926年)6月30日 | 郡役所廃止により、廃官 |
脚注
[編集]- ^ 地区名で示すと鳥居本地区・稲枝地区を除いた地域。
- ^ 織田武雄『地図の歴史 日本篇』 369巻、講談社〈講談社現代新書〉、1974年11月28日。ISBN 978-4-0611-5769-9。
- ^ a b c d “敏満寺西遺跡”. 滋賀県文化財学習シート 遺跡編(公式ウェブサイト). 滋賀県教育委員会事務局 文化財保護課. 2013年1月1日閲覧。
- ^ 中山道の脇往還である木曽街道を題材として描かれた名所絵揃物『木曽街道六十九次』の1枚。cf. 中山道六十九次。
- ^ 彦根村・佐和町に分かれて記載。本項では便宜的に1町に数える。
- ^ 「旧高給領取調帳」には記載なし。石高は中藪村に含む。
- ^ 記載は「屏風・後谷村」。
- ^ 記載は後谷村。
- ^ a b 「旧高給領取調帳」には記載なし。石高は大橋村に含む。
- ^ 「旧高給領取調帳」には記載なし。
- ^ 彦根芹新町、彦根岡町、彦根芹中町、彦根大橋町となる。
- ^ この時点では、彦根京極下片原町、彦根尾末町、彦根金亀町、彦根連着町、彦根桶屋町、彦根四十九町、彦根上魚屋町、彦根下魚屋町、彦根職人町、彦根下藪下町、彦根西馬場町、彦根丸野木町、彦根石ヶ崎町、彦根内船町、彦根観音堂筋、彦根中島町、彦根一番町、彦根二番町、彦根三番町、彦根四番町、彦根五番町、彦根本町、彦根中藪上片原町、彦根中藪下片原町、彦根中藪下横町、彦根中藪土橋町、彦根東栄町、彦根西栄町、彦根下番衆町、彦根池洲町、彦根芹橋一丁目、彦根芹橋二丁目、彦根芹橋三丁目、彦根芹橋四丁目、彦根芹橋五丁目、彦根芹橋六丁目、彦根芹橋七丁目、彦根芹橋八丁目、彦根芹橋九丁目、彦根芹橋十丁目、彦根芹橋十一丁目、彦根芹橋十二丁目、彦根芹橋十三丁目、彦根芹橋十四丁目、彦根芹橋十五丁目、彦根勘定人町、彦根西池洲町、彦根小道具町、彦根鷹匠町、彦根餌指町、彦根彦根町、彦根柳町、彦根外船町、彦根北新町、彦根上瓦焼町、彦根下瓦焼町、彦根上藪下町、彦根上新屋敷町、彦根北組町、彦根東新町、彦根京町、彦根七十人町、彦根三筋町、彦根水流町、彦根百石町、彦根安清新屋敷町、彦根小藪町、彦根安養寺町、彦根平田町、彦根安養寺中町、彦根上番衆町、彦根中組西町、彦根中組東町、彦根江戸町、彦根外馬場町、彦根伊賀町、彦根河原町裏町、彦根旗手町、彦根上川原町、彦根巽町、彦根安清町、彦根袋町、彦根川原町、彦根橋本町、彦根土橋町、彦根芹新町、彦根岡町、彦根橋向町、彦根後三条町、彦根芹中町、彦根大橋町、彦根沼波町が存在。
- ^ “湖東焼の開祖 絹屋半兵衛 - 彦根のむかしばなし”. こどもひこねっと(公式ウェブサイト). 彦根市教育委員会事務局生涯学習課. 2012年12月23日閲覧。
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 25 滋賀県、角川書店、1979年4月1日。ISBN 404001250X。
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
[編集]淡海(おうみ、琵琶湖) | 坂田郡 | 美濃国養老郡 | ||
愛智郡 | 美濃国養老郡 伊勢国員弁郡 | |||
犬上郡 | ||||
愛智郡 | 愛智郡 | 愛智郡 |
彦根市 | 彦根市、米原市 | 岐阜県大垣市 | ||
彦根市 愛知郡愛荘町 |
岐阜県大垣市 三重県いなべ市 | |||
犬上郡 | ||||
愛知郡愛荘町 | 愛荘町、東近江市 | 東近江市 |